そんな話は聞いてない!
「どういうこと……」
寮の自室で、私は思わず頭を抱えていた。
目の前には今日の魔法実習で配られた課題と、入学祝に貰ったガラスペン。今日中に済ませなければならない課題を前にして、私はその難問に途方にくれている──わけではない。
課題以上に気がかりなものに、どうしても考えずにはいられなかったのだ。
私ことエリゼ・ウィルビーには前世の記憶というものがあった。魔法ではなく科学が発達した世界で平凡に暮らしていた記憶だ。
物心ついた頃から常に奇妙な違和感みたいなものが付き纏っていて、それが前世と今世の世界の違いのせいだったと気付いた時は本当に驚いた。
けれど、鏡に映るどこか野暮ったい雰囲気の少女の姿に、よくある乙女ゲームや恋愛小説の登場人物に転生したというわけではないと気付いて、喜びは一瞬で沈下した。
前世の知識を活かそうにも、石鹸もシャンプーも前世と同等かそれ以上ものがすでに存在している。醤油や味噌といった大豆製品やお米は見つからなかったけど、なくても十分なほどに食卓に並ぶ料理はどれもおいしい。
極端に味が濃い薄いとかもなく、ちょっとお高そうなおいしいお肉が平然と食卓に出されたときは驚いた。しかもそれは、いわゆるレアなモンスターのお肉だった。
(モンスター肉まで一般的に普及してるなら、私にできることなんてなくない?)
ちょっと……多少は……いやかなりあったチート無双に対する憧れも早々に打ち砕かれた。じゃあどうして前世の記憶なんて持って生まれてしまったのかと項垂れた私は、けれどそれでもお腹は空く現実にさっぱりと気持ちを切り替えた。
まあ未練がないわけでもないけど、いつまでも前世を引きずっていても仕方がない。私はもうこの世界に生まれてしまっているのだから。ならば今世を楽しまなくちゃ。
それにこの世界には前世にはなかった魔法がある。魔法である。
この世界の人たちは魔法を操る魔力を持って生まれる。中には魔力のない人もいるけれど、それはごくわずか。
平民と貴族でもまた魔力の保有量は違っていて、当然平民より貴族の方が保有量は多い。魔力を絶やさないように血筋を大切にしてきたお陰だそう。さすがに近親婚まではやっていないそうで、少しほっとした。
中流の貴族家に生まれた私もそこそこの魔力を持っていて、五大属性──火、水、風、土、光の中では特に水との相性が良かった。水は生活の中でも身近なものだったから、嬉しかったのを覚えている。
それから私はひたすらに水魔法を磨くことに専念して、魔法学院への入学が許される十六になった年、意気揚々とその門をくぐった。
そして学院生活が始まって、私は驚いたのだ。
「えっ、ここって乙女ゲームの世界だったの!?」
小さな叫びは誰にも聞こえなかった、と思う。
果たして、周囲を見渡せば目の保養になるような人物ばかりだった。同じ講義を受ける生徒の中で特に目立っていた美少女たち。気難しそうな銀髪クール系に、おっとりした緑髪の癒し系、勝ち気そうな赤髪の破天荒系……。
だけど生憎、彼女たちの容姿に見覚えはなかった。ということは私が前世でプレイしていたゲームの世界ではないのだろう。
これからの展開や彼女たちのポジションも見えないことにがっかりしつつ、やっぱりモブ転生だったのか、と諦めながら受け入れて、間近で起こるのだろう恋の鞘当てを楽しませてもらうつもりでいた。
(銀髪クール系がいわゆる悪役令嬢かな……。いつも周りにお供を引き連れているし、ピリピリしてる気がするしなぁ……。近寄らないようにしよう)
面倒ごとに巻き込まれるのは誰だって遠慮したいだろう。
そうして学院内の人間関係に目を向けたり、魔法の鍛錬に勉学にと、私の学院生活はとても充実していた。
だけど。
次の講義に向かうために移動していた時。ふと廊下の窓から中庭を見下ろして、奇妙な違和感が胸をざわつかせた。
中庭の芝生の上にシートを敷いて休憩している学生たち。和やかに楽しげな声がこちらにまで聞こえてきそうな光景は微笑ましい──のだけれど、妙に釈然としない。
そんな気持ちのまま、講義に遅れないようにと急ぎながら、振り返ってみる。
中庭に集まっていた彼女たちはタイプは違えど美少女揃いだった。では、その中心にいた彼はどうか。
その男子生徒の名前は私も知っている。私が注目している令嬢たちがよくその名前を口にしていたからだ。
リヒト・グレイ。
目立つ容姿をしているわけでもない、平民出身の特待生。平民は魔力の保有量が少ないという定説がある中では珍しく保有量が多く、入学当初はそれなりに話題の人物だった。
あまりパッとしない容姿に、私の興味はすぐに薄れていた。
だけど中庭でその令嬢たちに囲まれているリヒトの姿は、なんというかこう、彼女たちみたいな派手さはないけれど落ち着いた雰囲気で、細身だけどなよっとした様子もない。いわゆる隠れイケメンというやつだったのではないだろうか。
だけどどうして、美少女たちは彼一人に群がっているのか。
まさか、とよぎった考えに、私は観察対象をリヒトに絞った。
するとどうだろうか。リヒトの傍らにはいつも決まって一人の少女がいることがわかった。少し小柄で、栗色のふわふわした髪をした庇護欲をそそる可憐な美少女。名前はマリア。
リヒトと同じ平民で、学院への入学を許されるくらいの魔力もあって、ほとんどの行動を共にしている幼馴染。リヒトを見上げる瞳に浮かぶのは隠しきれない独占欲と溢れんばかりの恋心。なのにリヒトはマリアを周囲に紹介する時は、平然と妹分だと告げていた。
……傍目から見てもわかりやすいというのに、リヒトはまったく気付いた様子もない。ちょっと鈍感すぎやしないだろうか、この男。
さらにリヒトという男の行動パターンを分析していくと、ある決定的な特徴に行き当たった。
彼はとにかく、困っている人を見捨てられない性格だった。お人好しともいう。
廊下で重い荷物を抱えてよろめく令嬢がいればサッと駆け寄り、高いところの本を取れずに背伸びしている令嬢がいれば無言で手を伸ばし、実習でミスをして落ち込んでいる令嬢がいればさりげなく励ましてやる気を引き出していく。
ただしそれが発動するのは一緒に中庭にいた彼女たちだけに対してで、他一切はスルーしている。
その結果、どうなったか。
一人の男性を複数の美少女たちが取り合う空間が完成する。つまりはハーレムだ。
……いや、待て。待て待て待って。
ノートに書き殴っていた人物相関図を前に、ぐちゃぐちゃとそれを黒く塗り潰す。
これまで見ない振りをし続けてきた違和感が、私が制止する間もなく解けなかったパズルのピースをガチリと噛み合わせてしまう。
顔のいい数名の攻略対象。
その攻略対象たちに囲まれる主人公。
そしてそんな主人公を絶対的な立場で見守りつつも、内心気が気でない一途な幼馴染。
役割でいえば、ありきたりなものだ。
でもそれは私が思っていたような展開ではない。
ここは、この世界は──!
「美少女ゲーの世界じゃないっ……!!」
男性プレイヤーの視点で、数多の美少女たちを助け、悩みを解決し、好意を向けられる。最終的に個別ルートに入っていくけれど、その途中では疑似ハーレムのような牽制空間が形成されたりもする。
なんてこった、とズキズキと痛み出す頭を水魔法の応用で出した氷で冷やす。
どうしてそっちの世界に転生してしまったのか。というかどうして今まで気付かなかったのか。
そんなもの、認めたくなかったからに決まっている。だけどこれ以上は現実逃避することもできず、受け入れるしかなくなってしまった。
そのきっかけが、あの中庭での一場面だった、というわけだ。
多分あれ、共通ルートのスチルになるやつだ……。
◇ ◇ ◇
「ふーん。それで最近、追い詰められたホーンラビットみたいに震えていたわけだ」
小馬鹿にしたような、それでいてどこか楽しげなルークの声にムッとして手のひらから水槍を放つ。
威嚇射撃程度で本気の力ではなかったけれど、ルークはステップを踏むような軽やかさで易々と避けていく。それがまた腹立たしい。
「なんで避けるの!」
「避けるだろう、普通」
「正論で返すのやめてくれない?」
魔法学院の広大な演習場──の一角で、私は向かい合って立つ彼ルーク・フィンドレイをぐぬぬと睨みつけていた。
私とルークとの出会いについては涙なしには語れない。主に悔し涙の方で。
なんてことはないのだが、私が令嬢たちからリヒトへと観察対象を変えた頃。リヒトの行動をさりげなく追っていた私の不審者ぶりを、ルークもまた観察していたのだ。
そうとも知らずに私はうっかり「シナリオ」や「攻略対象」などと、この世界には存在しない言葉を呟いてしまった。そこに興味を持ったルークが私に接触してくるようになり、これまでの数々のストーカー行為を見逃してもらう代わりに前世の記憶持ちであることを白状するはめになってしまった。
「ストーカー……」
「話しかけるわけでもなく物陰からじっと眺めたり、行く先々を追いかけていたら誰だってそう思うだろう?」
「誰だって!? あなた以外にもバレてるのっ!?」
私の平穏なキャンパスライフが……!
とまあ、幸いにしてルーク以外に気付いた人はいないみたいだという彼の言葉を信じるほかなく。
しばらくの間びくびくしながら過ごしていたのは、思い出したくもない記憶だった。
以来、ルークは突拍子もなく現れては、私をからかうことを生きがいにし始めた。
(だけどこうして魔法の練習相手になってくれるし、話も聞いてくれるし、基本的に面倒見はいいのよね……。珍獣扱いされてる気がしないでもないけど)
魔力を練り上げて、それまでとは違う圧縮した水球を複数弾き出す。
「まだまだ甘い」
ルークは呆れたように肩を竦めると、虫を払うように手を振る。その瞬間、鮮やかな炎が宙に浮かび、ごう、と熱風が吹き抜けた。私が放った水球はルークに届く前に蒸発させられ、死角から放っていた水球も白煙となって消えていく。
完全な実力差を見せつけられて、私は悔しさに地団太を踏む。
「ムカつく! ルークのくせに!」
「僕のくせにというのはわからないが。そんなにショックだったのか? この世界の主人公とやらがあの平民の男で」
「別にショックなんか受けてないし、リヒトが主人公でもなんでもいいわよ。ただ世界に対する解釈違いをまだ割りきれていないだけよ」
「ふぅん?」
ありふれた乙女ゲーム転生でよかったのに。
演習場の隅の方に目を向ければ、そこには相変わらずリヒトを中心としたハーレムが出来上がっている。
気難しそうに見えた銀髪クール令嬢は今では雪解けしたように柔らかく笑うようになっているし、おっとりした緑髪の癒し系令嬢はおっとりは相変わらずだけど積極的にリヒトに話しかけている。勝ち気そうな赤髪の破天荒令嬢もすっかり恋するツンデレ乙女になっていて、リヒトは順調に彼女たちの攻略を進めているようだった。
唯一、幼馴染のマリアだけは変わらずだけど、まあ彼女の個別ルートに入ればリヒトも彼女を異性として認識するようになるのだろう。
(ということはマリアルートがトゥルーエンド扱いなのかな?)
この世界は、どんなタイプの構造なのだろうか。よくあるのはそれぞれ個別にエンディングを用意していても、真ヒロインのルートに入らなければ世界の真相は語られないタイプ。
(誰ルートに入るのかはわからないけど、その場合、正ルートで起こるはずだったイベントってどうなるんだろ)
グランドルート方式の場合、トゥルールート以外では真相に迫る出来事は起きても表面的な形で収束するか、そもそもまったく触れられない場合もある。
ゲームではエンディングを迎えたらそこで終わりだ。当然、その後の物語は語られない。続編が出たとしてもそれはトゥルーエンドを前提としていたり、個別エンディング後を描いたもの。
つまり主人公の選択によって世界の流れも変わる、ということだ。
「エリゼ? まだあんなのが気になるのか?」
「あんなのって……」
ルークは貴族らしい貴族……というのか、無自覚に平民を見下す習性があった。だけどこれはルークに限ったことではないし、貴族と平民の間にどうしようもない壁が存在するのも仕方ない。
とはいえ、表立って排斥するとか暴力的なことはなく、平民に好意的に接する貴族もいるし、無関心を貫く貴族もいるというそれだけのこと。
「別に。ほら、前に話したでしょ。シナリオのクライマックスには大きなイベントが控えていて、主人公の選択次第でそれが起きたり起こらなかったりするって。でもここは分岐ルートなんて存在しない一本道の現実なんだから、どうなるのかなって」
「何が起きるんだ?」
「知らないわよ。私だって全部のゲームを網羅してるわけじゃないんだから」
プレイしたことのあるゲームなんてほんの一握りしかない。その中に美少女ゲームが何本あったかなんて、片手で足りてしまう。
幸い、私が美少女ゲームをプレイしたことがあることについてルークに深く聞かれることはなくて、胸を撫で下ろす。可愛い女の子を愛でるのに性別は関係ない、と主張してもルークにはピンとこないだろうし。
終わりを告げる鐘の音にほっとして、なんとなくの流れでそのまま学院内のカフェに向かう。
ドリンクとデザートを載せたトレイを持ってちょうど空いていた席に座ると、自然と深い溜息が洩れていた。
「なんか疲れた」
「エリゼは魔法を使うときの無駄が多いんだよ。たとえば2の魔力で済むところを、エリゼは5の力を使って発動させようとする。だから魔力を無駄に消費して疲れるんだ」
「うーん。その理屈は耳にタコ」
「たこ……? まあいい。そもそもどうやったらそんな無駄なことができるのか、こっちが知りたいくらいだよ。君のその前世の記憶とかいう、余計なもののせいなんじゃないのか」
何度も繰り返された小言に耳が痛くなる。
だけど前世の記憶は記憶というより知識となって、私の中に染みついてしまっている。それを考えるなというほうが無茶だ。
というか普通、こういう時は前世の知識で新しい魔法を編み出したり、それまでの理屈をひっくり返したりという革命が起きるんじゃないだろうか。なんで足しか引っ張らないのよ。
それとも私が何かしらの固定観念に囚われているんだろうか。……わからない。
「忘却魔法とかないの?」
「人体に作用する魔法はすべて禁忌扱いだ。牢に入ってみたいなら禁書庫を漁るといい。差し入れは何がいいかな?」
にっこりといい笑顔を浮かべてなんていうことを……。
実はルークは腹黒なのではという疑惑を深めながら、ベリータルトにフォークを突き刺す。甘酸っぱいベリーの風味だけが荒んだ私の心を癒してくれる。
と、のんびり運動後のデザートに舌鼓を打っていると、ひときわ賑やかな一団がカフェに入ってきた。ついそちらに意識を向けてしまい、げ、と声が洩れていた。
向かいの席のルークが笑いをこらえるように肩を震わせる。いや、全然こらえられてないんだけど。
「君って本当に懲りないよね。いっそ君もあの中に交ざれば気が楽になるんじゃない?」
「はぁ?」
「無視すればいいのにいちいち気にして振り回されて、傍から見ていれば君はあの幼馴染と変わらないよ」
ルークが見せる笑みはさっきと同じなのに、なんとなく薄ら寒い。思わず腕を擦ると、ルークがふっと小さく息を吐いてカップに手を伸ばした。ルークの意識が逸れたことで寒さも消えて、気まずさを感じながら私も恐る恐るカップを持ち上げる。
いつもより苦く感じる紅茶を飲み込んで、ルークを見る。
「たとえ私の態度が誤解させていたとしても、私にも好みがあるから」
「へぇ。ちなみにどんな男が好みなんだい?」
面白がるような探るような目を睨み返して、考えてみる。
「んー、まあ、顔だけで言うならルークはかっこいいんじゃない?」
初対面から人を脅してきたり、その後もからかってくるのはいただけないが。
いつもは余裕綽々のルークが面食らったような顔をしているのに、少しだけ留飲が下がった気がする。
「……じゃあ僕と付き合う?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、ルークが首を傾げる。思わずドキッと──はしていない、断じて。
ルークも派手なキラキラしさはなくても、綺麗な顔立ちをしている気がする。その性格で全部台無しになっているけど。
最初はルークも主要人物の一人かなと思ったけど、リヒトと全然関わる様子がないどころか平民だからと下に見て関わろうとしないから、多分違う。
それでも私みたいなまったくのモブ脇役、ということはないはずだ。
「え、無理」
「ちょっとは悩んでくれてもよくない?」
「悩む必要ある?」
ルークは「手厳しいな」とひょいっと肩を竦めながらも、どこか楽しそうな笑みを浮かべたままだった。その気の置けなさに安心するように私も笑みを浮かべて、小さく息を吐く。
「それにさ、コネだと思われたら嫌だし」
カップに残っていた紅茶を飲み干して、少し真面目に話す。
そもそも私が学院に入ったのは魔法師になるためで、卒業後は魔法省への入省を目指している。ここが美少女ゲームの世界だとわかってからも、それは変わっていない。
「魔法省のトップの息子と恋人だ──なんて噂が流れたら、全部コネの力とか言われかねないでしょ。まあ訓練はつけてもらっているけど、でも今はただの同期じゃない?」
「意外とちゃんと将来のこと考えてるんだ」
「この学院に通っていて将来のことを考えない人の方が珍しいと思う」
そう言ってカップに手を伸ばしかけて、ついさっき飲み干したばかりだと思い出す。とっさに水魔法で生み出した水をカップに注いで、一気に呷る。
ドキドキと鼓動が駆け足しているのは、水が思った以上に冷たくて驚いたせいだ。それに美味しくない。
「ちなみに聞いておくけど、エリゼは平民が魔法師になることについてどう思う?」
「……ここでするような話?」
眉をひそめて聞き返す。だけどルークは曖昧に笑みを浮かべたまま、私の答えを待っている。
仕方なく、身を乗り出すように顔を近付けて小声で話す。
「能力があるなら生かすも殺すも本人次第でしょ」
「平民が自分の上に立ってもそう言えるかい?」
「今日はやけに突っかかってくるわね……。…………その平民が優秀なら、そういうこともあるでしょうね」
だけど現実には、平民の昇進には限界がある。貴族の上に平民が立つということはまずありえない。でもそこに抜け道がないわけじゃない。たとえばどこかの貴族の家に養子に入ったり、貴族と結婚したりすればさらに上を目指すこともできる。
それが頭によぎった瞬間、思い当たる人物を盗み見しようとして、「エリゼ」と低く私を呼ぶ声に素直にそちらを向く。
椅子の背凭れに軽く背中を預けて、悠々と脚を組んだ姿は憎たらしいくらい似合っていた。その長い脚をこれ見よがしに自慢されても、少しも羨ましくなんてない。ないったらない。
「でもさ、結局のところその平民が何かしたわけでもないでしょ」
「……つまり?」
要点を急かされて、唾を飲み込む。それから軽く周囲を見渡して、ちょいちょいとルークを手招く。ルークは面倒そうにしながらも顔を近付けてくれた。
素直に従ってくれるなら面倒な顔しなくていいでしょうに。
「平民の中で魔力が多く生まれてくるのは、その子の血に貴族の血が流れているから。稀に先祖返りのパターンもあるけど、平民に必要以上の魔力を持たせたくないなら、まず平民の中に貴族の血を混ぜ込んだ輩をどうにかすべきじゃない?」
因果が違う。前提がおかしい。
平民同士が結婚して子どもを作っても、魔力の保有量が親を越えることはない。1と1を掛け合わせても1にしかならないのだ。だけど1に3や4を掛け合わせれば、生まれてくる子どもは3や4までの上限を持って生まれてくる。つまり保有量の多い親の因子を強く受け継ぐ。
だから貴族の中で突出した魔力を持つ者は、より多く因子を受け継がせるために国から多産を推奨されている。そのための保障制度もあるくらいだった。
(まあだから美少女ゲームかって納得はしたけどね。つまりハーレムルートも存在するわけだ)
中には身分差の恋なんてものをしていた人たちもいたかもしれないけど、平民の中に貴族の血が流れるということはそういう可能性も否定できない。
なんとも微妙な気持ちになりながら黙り込んだままのルークを見ると、何度も瞬きを繰り返していた。目から鱗、みたいな。
「──それもそうだ」
理解してくれたのだろうルークの呟きに幾分ほっとして、忘れていたタルトを食べきってしまう。
憑き物が落ちたようなルークのことは気になりはしたものの、どうせ聞いてもはぐらかされるのがオチだ。それに私だって、面倒事の匂いがするものに積極的に関わりたいとは思えない。
(ルークにも事情があるみたいだし、やっぱりシナリオ関係者なのかな……? でも主人公たちとどう関わるんだろ……?)
できれば私の知らない場所で始まって終わって欲しい、と願いながら、私は先に席を立った。
「それじゃルーク。今日はありがとね」
「ああ。気をつけて」
「寮はすぐそこよ」
だけど誰かに心配してもらえるというのは、悪い気分にはなれない。
席に座ったままのルークに軽く手を振って、カフェを出る。その頃にはもうリヒトたちのことは気にならなくなっていた。
今後もこうして私は私の平和な日常を続けていくのだと、そう決意を改めた私は結局のところ、シナリオに関わらないただのモブでしかなかったのだ。
◇ ◇ ◇
本来のゲームシナリオは中盤以降、少しずつ不穏な空気を帯び始める。そして唐突に始まった平民魔法師排斥の流れ。
平民魔法師排斥の思想が強まる中、学院もそれは例外ではなく、リヒトは差別に立ち向かっていくことになる。だがそんな彼の前に立ち塞がったのは、リヒトへの執着から禁忌魔法に手を染めた幼馴染のマリアだった。
しかしその裏でマリアを誘導し、禁忌魔法によってリヒトの魔力を封じさせたのは排斥派を扇動した黒幕である魔法省長官──その息子・ルーク。
魔力を失ったリヒトと魔力暴走を起こしたマリア。しかしリヒトは仲間と力を合わせてマリアの暴走を止め、ルークとその父を打ち倒す。
これにより排斥の風潮は収束し、リヒトの日常も平穏なものへと戻っていく。
そうしたゲームシナリオだったのだが、エリゼという存在がその運命を狂わせた。
ある意味予想通りに、時に予測不能な言動を見せるエリゼにルークは興味を抱いた。また彼女が語る荒唐無稽な話について信じているわけではないが、あたかもそれが真実のように語るエリゼを見ているのは飽きなかった。
エリゼの関心がルーク以外の男──それも平民の特待生ばかりに向けられているのを見て計画を早めることも考えたが、エリゼが何気なく放った「現状は身勝手な貴族が蒔いた種のせいだ」という一言は、長年疑うことすらしなかった父の思想をあまりにも簡単に揺るがした。
そして父をはじめとした排斥派が語る理論は、元を辿れば自分たちの過ちをなかったことにしようとする保身から生まれた醜悪なものだと気付いてしまえば、加担する気も削がれてしまった。
父子といっても、ルークは父の分身でなければ操り人形でもない。
その結果壮絶な父子喧嘩が勃発することになるのだが──、エリゼが願った通り知らないうちに始まった事件は、本来の主人公であるリヒトを巻き込むこともなく速やかに片付けられたのだった。
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「そういえば。魔法省のトップ替わったんだってね」
いつものカフェで紅茶を傍らに、私は来週に迫った筆記試験の勉強に励んでいた。
「エリゼ、ここ違う。なんでこんな簡単な問題さえ間違うのか、不思議でたまらないんだけど」
「うっ。……仕方ないでしょ。私は昔から理系は苦手なの」
「それでよく魔法師になろうなんて思えたね。魔法師になるには理論も理解しておく必要があるの知ってる?」
「知ってるわよ、そのくらい! ……で。ルークのお父さん引退早かったね」
容赦なくバツと赤を入れられていくノートを睨みながら、悪足掻きのように世間話を続ける。ルークの呆れた視線に身じろぎつつも、何かあったのかと視線を向けるとルークは溜息を吐きながらも答えてくれた。
「魔法の研究中にうっかり事故で怪我してね。……ああ、意識はあるから心配いらないよ。だけど寝たきりになったから引退せざるを得なくなって」
「こう言っちゃ失礼に当たるだろうけど、うっかり?」
「研究所ではよくあることだよ」
「よくあるんだ……。私、自信失くしてきたかも」
「まあエリゼは大丈夫だよ。……そんなことより前に話したこと、覚えてる?」
父親が大変なことになっているのに、そんなことと軽く流してしまっていいのだろうか。いや、親子関係なんてそれぞれだろうけど。
結構マッドでサイエンティストな性格なんだろうか……、ルークのお父さん。なんだか意外だ。
「前?」
訊き返すと、ルークはいつもの、あの意地悪な笑顔を浮かべた。
「そ。僕と付き合わないかって話」
思わず力を入れすぎてしまったペンの先で、ノートがぐしゃりと縒れてしまう。私はそれを伸ばしながら「そんな話したっけ?」ととぼけてみたけれど、無駄だった。
ノートを伸ばす私の手を、がっちりとルークが掴む。──男の人の手だ。柔らかさもなくゴツゴツとしていて、そっと引き抜こうとしてもそんなに力を入れている様子はないのに引き抜けない。
痛いと思わない絶妙な力加減なのがまた悔しい!
「忘れたならもう一度言おうか?」
「け、結構です!」
というか既に言ってるし!
それなりのボリュームで叫んでしまって、慌てて片手で口を押さえる。
くつくつと笑うルークを睨みつけてもどこ吹く風。
「それで。引退したからもうコネなんて言われないと思うけど、どう?」
確かに──ではなく!
危うく頷きかけてしまった自分が恐ろしい。
「えっと、あの……。……い、今は来週の試験のことで頭がいっぱいなので」
「なら試験が終わった後に改めて聞くから。──で、これ最初からもう一度解いて。わからないところは訊いて」
「……はい」
「理解するまで付き合ってあげるから。魔法師になるんだろ?」
「はい」
「それから、絶対に『はい』って言わせるから」
「は──、はぁ!?」
「静かに」
ぐぅ。
ルークには魔法だけでなく、口でも勝つのは難しいのかもしれない。
そんな敗北感を噛み締めつつペンを握り直して、こっそりと盗み見る。だけどばっちり目が合ってしまって慌ててノートに顔を伏せる。
おかしそうに笑う声はいつもより何かがすっきりしたようにも聞こえて、まあルークが楽しいならいいかな、なんて思ってしまう時点で私の気持ちは決まってるのだろう。
「ねぇルーク。ここなんだけど」
「どこ──」
とりあえず今は勉強に集中しないと。
ルークとリヒトは異母兄弟。




