5・諸行無常の響きあり一
『皇という存在がどんなヤツを指すか知っているか?』
そう彼は尋ねてきた。
俺が抑制器を造り、それを手渡す為に顔を合わせた時に。
その口調自体は、何の意味もない問いかけのようであり、単なる話のきっかけでしかないようにも思える。
『単に一番強い力を持つ変種達のリーダー、異常な世界を持つだけの純正型、なんてその程度の認識なんだとしたら……それは大きな間違いだよ。腹立たしいほどに甘ったれた勘違いだ』
やはり不安があるのだろう、信頼が足りないのだろう……そう考えそうになって、その考えが浅はかだった事を思い知らされる。
何故なら目の前の彼には不安など見えなかったから。
あったのは、造り上げた《抑制器》に対するほんの一握りにも満たない期待感と、それを圧倒する諦めにも似た思い。
『一番人間から外れたモノ、まっさらな地獄も、真っ黒な悪夢も知っていて、狂気の安逸さに染まりゆく《世界》を知っている者。そして本来なら唾棄されるべきなのに、今の世の中では賞賛されてしまった殺戮者──それが《皇》さ』
どこまでも深みから見上げてくるかのような、深い暗黒を思わせるその黒瞳。
高みを見上げ、見上げ続けて、それだけで諦めてしまった敗北者のようなその表情。
『俺のやってきた事は、向こうじゃもはや法に問われるような罪じゃない。そんな現状でもない。仲間達には賛美すらされてきた。
でもその罪は──この魂には刻み込まれている』
絶望に形はない。
悪夢に色はない。
そんなモノに形などあるワケがない。
それでももし形を成したモノがあるとすれば──
それはきっと人の形をしているのだろう。
目の前で茫洋と座る男を見ながら、俺はそんな事を考えていた。
『俺は純正型にも皇にも──汚れた英雄や、賞賛される人殺しにもなりたくなんてなかったんだけどな』
──『シャクナゲ』。
二つ目の力ある器物はそう名付けた。
皇が適合者だから、あるいは皇の為に造られたモノだから、という意味でそう名付けたワケではない。
『威厳』の花言葉にあやかったのは、単に彼が俺には尊いモノのように思えたからだ。
壊れてしまった環境と、狂ってしまった仲間達に囲まれながらも、最後の一線で壊れきってしまわなかったアイツが、俺には侵しがたい存在に思えて仕方なかっただけでしかない。
『純正型の世界を食って空圧弾を放つ』──そんな力を抑える為の武器。武器の在り方としては、どこまでも本末転倒な、武器だとはとても呼べない器物。
人を圧倒し、国を凌駕し、今までの世界を屈服させるだけの力を、単なる『無尽蔵な弾丸を放つだけの能力』へと変えてしまう抑制器。
それを『威厳』の銘で捧げたのは、そんな感傷があっただけだ。俺が望む人としての尊厳の意地を、垣間見た気がしたからに過ぎない。
普通の人間ならば、そんな自分が持つ力を抑える為のモノなど手に取らないだろう。
俺自身が力を与えた器物ではあれど、余りにも無意味で、武器としては滑稽な在り方をしたソレ。制作者である俺でさえ、そんなモノが例え使えたとしても、自分自身が使う気にはとてもなれない。
俺には『力』が必要で、絶対に不可欠で、手放すワケにはいかないのだから。
それでも『ソレ』を手にした彼は狂喜した。歓喜を露わにしてみせた。
その武器としては異常なモノへと、不信感を隠さずに……それでもほんの僅かな期待感を隠しきれずに手を伸ばし、純正型の皇たる証とも言える世界が発露しない事を確認すると、そこで彼は喜びを爆発させた。
出会って以来無気力で、話し合いをしている最中もどこか遠くを見ていて、俺の力を見せても無表情を崩さなかったアイツが、無骨なそれを手にした瞬間間違いなく驚愕し、ゆっくりと喜びを溢れさせていったのだ。
俺の純正型としての世界の粋を込めて作った異常な器物を、彼はまるで宝物のように胸に抱いていた。
暗い安堵を滲ませる表情で。
まるで自分の匂いを、世界を刻み込み、そこに閉じ込めるかのように。
もう出てこないように、封じ込めるかのように。
「……シャクナゲ。俺自身が封じられた、もう一人の俺」
彼が何を思ったのか、誰の事を考えたのか。それは分からない。分かりようがない。
顔を歪め、泣きそうな嗤いを浮かべながら、虚ろに呟きを漏らす。
『シャクナゲ』。
彼が縋るように胸に抱くそれは、武器としてはどこまでも間違った在り方を持った銃。俺が作った二つ目の『力ある器物』の銘。
そこに彼は全てを封じ込めて……抑えつけ、押し付けて、代わりに『シャクナゲ』の名前をアイツは得た。
名乗る名前を捨て、今までの過去から目を背け、世界を封じて、それら全ての代わりに『名前だけ』を得たのだ。
──威厳、荘厳の銘を持つ花の名前を。
そこに込められた一種の憧れにも思いは、恐らく届いてはいないのだろうけれど。
『世界』、あるいは『領域』。その呼び名はエリアやテリトリーでも構わない。
純正型の純正型たる証にして、最上の異常である証。
彼がそれを『抑えつける事』、『完璧に封じ込めてしまいたい』と望んでいる事は、レンからすでに聞かされていた。
元々は純正型としての世界を使えなかった男。
単に身体能力が高かっただけの少年。
彼が世界を認知し、理解し、使役した瞬間から、周りの環境は激変したのだという。
純正型の世界を長らく認知していなかったという事自体は、別にそう有り得ない話ではない。
俺は生まれてすぐ……自我が芽生えた瞬間から、自分の世界を認識し、扱う事が出来たけれど、知り合いの純正型は、俺と知り合うまで……つまり俺の世界に触れ、純正型の世界を認識するまで、自らの世界を展開出来なかったのだ。
それを俺も知っていたから、そういう事も有り得るのかもしれないと思う。俺にとっては世界という力自体、すでに身体に宿った感覚と同等に扱えるモノではあるが、それも個人差があるのだろう。
でも俺も知り合いも、二人共自らが純正型である事だけは認識していた。
俺にはこの『瞳』に証があり、知り合いには『手の甲』に証があったからだ。
しかし彼には、身体的な証がなかった。俺も抑制器を造る為の調査と偽って、念の為に確認はさせてもらったが、どこにも証らしきモノは見当たらなかったのだ。
ほとんどの純正型は持っているであろう、身体に刻まれた純正型の証。俺自身も彼と出会うまでは、『純正型には身体のどこかに証があるモノだ』と思っていたぐらいだ。
それがなかった以上、自分を純正型だと思わなくても無理はない。現に周りの仲間達も、誰も彼が純正型であるなどとは思わなかったらしい。
そんな彼が純正型になった瞬間……純正型である事を示した時から、彼の仲間達が歪み始めたのだという。
レン自身は当時の事をよく知らず、詳しく説明してはくれなかったから、それが彼の思い込みなのか、はたまた事実なのかは分からない。確実に言える事は、強大な力を持つ純正型がその瞬間に誕生した、という事だけらしい。
そう、彼が発露した世界はまさしく異常過ぎるモノで、非常識過ぎるモノ。俺とて簡単な概要を聞いただけで、その異常さに自ら耳と今まで培ってきた常識を疑ったぐらいだ。
『誰にでも認識できる世界』。
『いかな純正型とはいえ、個人が構築出来る世界としては、広大過ぎる領域を持つ世界』。
通常は『同じ純正型にしか認識出来ない領域』が、純正型以外にも見えるという時点で異常だといえた。
それだけではなく、指先だけにしか発生しない俺の世界はおろか、どんな純正型をも圧倒しうるほどの広大な世界を、彼は支配する領域として生み出せるらしい。
見た事はないし、想像すらもつかないぐらいではあるが、見渡す限りに広がる異界が、彼の純正型としての世界(力)であるらしいのだ。
そんな少年が、やがて純正型を含めた新たなる人間達の皇となり、始祖と呼ばれ始め、やがて新皇となった。
他の皇達よりも特異な世界を持つ彼のみが……純正型以外にも認識出来る異界を生む彼だけが、新皇として表に立つ事になったのだ。
──今までの人類を超えた人種を、象徴する存在として。
どこまでも異種であり、果てしなく超越種である事を、その『目に見える異界の力を持って』知らしめる皇として。
それまでは純正型だと認識すらしていなかった少年が、純正型としても異常な力を持つ純正型──つまり純正型の皇として祭り上げられる……それがどれほど彼を圧迫したか。生まれ付きそうあった俺には想像もつかない。
自分自身は無力な存在である俺に、分かるハズもない。
喜んだのか、悲しんだのか。
笑ったのか、泣いたのか。
嬉しかったのか、苦しんだのか。
絶望したのか、それとも──。
ただ力を持った事で変わってしまったモノは、やはりあったのだろう。
それ故に……元々はなかった世界故に、『こんな力さえなければ』と思ってしまったとしても、分からなくはない。
しかも彼は、その世界の理──純正型固有の世界が持つ、個々で特性がある世界特有の力を、確実に制御しきれてはいないという事も、彼が自らの世界を忌み嫌う理由の一端となっているのだろう。
純正型とてやはり人間であり、人間がそれまでの歴史で培ってきた倫理観、道徳、常識、法則に縛られている部分はある。
それだけに今までの常識には当てはまらない『世界』の在り方は、受け入れられない者もやはりいるのだろう。
そんな受け入れられないモノを、完璧に制御しきれる道理がない。
純正型固有の世界は、あくまでもそれ自体が別の理を含んだ異界であり、どこまで行っても現実世界とは異なった法則を持つ領域なのだ。その異界という認識があればあるほど、自らの世界と反発してしまうのかもしれない。
これは邪推にも似た推測でしかないが、彼の場合は十代前半まで『自らの世界を知覚出来なかった』という事が、世界を制御しきれていない要因なのではないだろうか。
長い間現実世界のみを知覚し、自分の中にある世界を認識出来ていなかったからこそ、彼は『現実世界の理に縛られている』のではないか。
それが彼自身の純正型としての世界の理とぶつかり合い、制御に支障を来しているのでは……と俺は考えている。
もちろんそんな事を考えてみても、どうにもならない事ではあるのだけれど。
何はともあれ、彼は世界を抑える一つを手にした代わりに、俺達『無銘』の活動に協力してくれる事となった。
理を抑える『器物』は、より複雑な固有のモノを抑える力を──あるいは奪う力を付与しなければならないから、それなりに時間がかかるのだけれど、『世界』を抑えてみせただけでも十分信頼するに値したのだろう。
正直な話、一つっきりの抑制器でも、世界と理の全てを──力の源全てを奪うだけの『繋がり』を付与したつもりだった。
力を繋がりとして与えて、代わりに『無限の弾丸』を吐き出す結果が残るハズだったのだ。
そうならなかったのは、やはり彼の『世界』の異常さと強大さによるモノなんだと思う。つまり彼の力は、一つだけの抑制器では抑えきれなかったのだろう。
世界の発露……つまり力の根源は抑えきれても、そこから漏れだす理の欠片は抑えきれないのだ。だからこそ二つを持って全てを抑える事とした。
そしてこれは俺個人の考えによるモノでしかないが、その二つ目にはより厳重な封印を施す為に、『繋がりを解消する為の条件』を付与しようと考えている。制御の甘いらしい世界が、彼の意志とは関係なく発露するのを抑える為に。
そこまで付与しようと考えれば……その上今まで試みた事がない条件を付与しようとすれば、やはり相応の時間がかかってしまうのである。
彼、『シャクナゲ』は、全てを闇の中に封じる事を条件に──そして俺が『皇たる力を彼に望まない』事を条件に、俺の仲間になってくれた。そして俺も、『制御の効かない皇としての力』など、必要ないと考えている。
その点は間違いなく共通の認識であり、だからこそ今はまだ未完成な世界を完璧に抑えてしまうべきなのだと思う。
そう、彼自身が未完成の世界と、皇の呪縛を抑えきれるその時まで。
彼がはっきりとその力と過去に向かい合えるその時まで。
そしてようやく、俺達の物語が始まっていく。未来への布石の中でも鬼札とも言える存在を得て。
今はまだ、親友どころか顔見知りでしかなく、どこまでもギブ&テイクの関係でしかない。それですらも最大限の譲歩として、彼は俺の方へと歩み寄ってくれた。
しかし、そこからようやく始まっていくのだ。
始めに比良野悠莉という名前を封じ込めて。代わりに俺の本名を彼の中に封じ込めて。
今後はお互いに名前を封じ込めあって。
それは意味のない、単なる子供の遊びにも似た秘密の共有。共感を得る為だけに持った共有するモノ。
最初の架け橋。これからに期待する為の一歩。
ほとんどの仲間達には『関東で革命軍や、変種に対して不当な弾圧を行う国軍に抗っていた、レジスタンスのメンバーだった少年』とだけ伝えて。
『レジスタンス』という言葉が、ベタベタに固めた嘘の中でも、やや大袈裟過ぎるきらいはあったけれど。
それでもしっかりと周りを嘘で塗り固めきって、どこまでも強固で薄っぺらな壁を作ってしまった。
そう、俺達はこの日から共犯者となった。
最初はまず、ギブ&テイクで結ばれた『共犯者』という立場になろうと考えてはいたけれど、一つの『歪な運命』を造り上げる事によって、ようやくその立場を得る事が出来たのだ。
彼の苦悩と過去を抑え込み、それを知った上で皇を迎え入れ、その存在を匿った俺の罪と、皇としての存在そのモノを忘れようとする彼の罪を、お互いの胸の中にだけ封じ込め合う共犯者に。
アカツキという名前と、シャクナゲという名前だけを持った、真っ黒な絆で結ばれた共犯者に。
まぁ、ここまでも大概苦労させられてはきたのだけれど、この共犯者たる男は、そこから先も散々と苦労をかけてくれた。
東と西の環境の違いや、レンにあらかじめ聞いていた話からある程度は想像をしていたけれど、そんな想像を遥かに越え、予想していたよりもずっと手のかかる相手だったのだ。
正直それは誤算だったし、俺の考えの甘さが身に染みた。
昼間はまだ関西に来たばかりだという事で、療養を兼ねてこっちの環境に慣れてもらう事にしたけれど、彼は日がな一日座り込んで全く動かない。
父親に連絡を入れ、ほとぼりが冷めるまで……彼がこちらに来た時に起こった、聖祖の列車差し止め事件と、それにちょっかいをかけて、油揚げ(美味しい所)だけ狙った特警とのゴタゴタが落ち着くまで……身を隠すという連絡をして以来、彼は日がな一日ぼんやりと天井を見て過ごしていた。
『シャクナゲ』を抱いて、ただ呆然と遠くを見るようにしているだけだったのだ。
夜になれば夜になったで、毎日毎夜大声でうなされて、間近の部屋を住居としていた俺は、その声で毎回起こされるハメになる。そしてたまに心配になりその様子を見にいけば、今にも泣きそうで、死んでしまいそうな顔をして、部屋の隅で震えているのだ。
ヒドい時など、無意識にうなされている悪夢からの解放を願ったのか、『抑えきれていない力』がむちゃくちゃに暴れ回り、住処にしていたビルの部屋を穴あきにしてしまう事すらあった。慌てて飛び起き、茫然自失の彼をひっつかんで、騒ぎになる前に夜逃げのごとく廃ビルを後にした事も二回や三回じゃない。
幸い……と言っていいのかどうかは、今の経済状況からすれば分からないけれど、拠点に出来そうな廃墟には困らない。だが、週二ペースで夜逃げじみた真似をしていては、拠点のストックが尽きるのが先か、俺の体力が尽きるのが先かという問題にもなってくる。
多少時期尚早な感はあるが、仕方ないから簡単な仕事でも頼んで、頭を切り替えさせようかとも考えたが、その案も結局は話を持ちかけただけで諦めた。
『……恩は返す。約束は守る。お前が守りたいモノの為に、俺は最初に誰を殺せばいい?』
用件を言う前にそう聞かれてしまって。
彼はまだ壊れきっていないだけで──最後の一線を越えてはいないだけで、その一線の直上に、危ういバランスで立っているんだと分からされてしまって。
正直どうしたモノか扱いに困る鬼札だった。親友にも相棒にもまだなれていない弱みが、一歩踏み込む事を躊躇わせる。
そんな自分にイライラさせられ、ストレスにより疲労が募るという負のスパイラルが嫌すぎる。
そこで寝不足と日々の活動による消耗により、俺が寝込んでしまう前に、一つの賭けに出る事にしたのだ。
──剣匠の呼び名で知られるウチの最大戦力であり、彼の本当の正体を知る数少ない仲間の一人でもある少女……雪代雅に彼の面倒を一任する事に。
ソードメイカーであり、トラブルメイカーでもあり、なおかつ《無銘》一のスキャンダルメイカーでもあるのに、その能力だけで荒事方面のリーダー格でもある彼女に、彼の矯正を依頼する事にしたのである。
彼女の能力ならば、力を半分以下に抑えた彼が暴走してもなんとか鎮められるだろう……そう考えて。
浅はか過ぎるほど短絡的にそう考えて。
多分、寝不足と過労とストレスとで頭がいい具合に湯だっていたんだと思う。
トラブルメイカーとトラブルの源を一緒くたに置くという愚考に、当時はなんの疑問も抱かなかったのだから。
依頼した雪代が彼を起こしにきた時になって、体中の血の気が盛大に引いてしまったが、全くもって俺の浅はかによる自業自得であり、手遅れももいいところだった。
何しろ彼女は一度引き受けた仕事や、面白そうだと思った事柄からは絶対に手を引いてはくれないのだから。
まぁ、彼女には『雪代に任せておけば大丈夫』と思わせる雰囲気があるヤツだというのも、俺が安易な考えに走った理由の一端なのだろうけれど、それでも絶対に『一任』はすべきではなかった。任せきってしまうべきではなかったのだ。
なにしろアイツは真性の『トラブルメイカー』でありながらも、どこまでも生真面目で妥協しない……妥協を知らないようなヤツなのだから。