4・祇園精舎の鐘の声四
「はぁ、レンに会わす顔がねぇ……」
聖祖の連中、特警、そして無銘の俺達の思惑が交錯して、俺の予定は見事なまでに狂いを見せていた。
東からの電車を検閲し、止めてしまったバカ共は、止められた電車から飛び出して逃げた数人を追って、街のあちこちに散り、電車を確保していた連中は、緊急出動してきた特警に取り押さえられた。
つい先程まで素知らぬ顔をしていたその特警は、バカ共の行動につけ込んで、止められた電車の人間を保護する、という名目をかかげて動き始めたのだ。
これは今なお国軍の残存勢力と、革命軍が争っている東の状況を、少しでも知る為の情報源を求めての事らしい。なにしろ関東の情勢は、見事なまでに情報を封鎖され、洩れでる情報はと言えば、真偽の分からないモノばかりなのだ。
『血迷ったバカから国民を保護する』という名目を武器に、不利な情報が洩れる事を恐れる、国の上の連中を黙らせるつもりなのだろう。あの女傑市長ならば、その程度の名目さえあれば、ゴリ押しで押し通してしまう。
「おかげでこっちの苦労は一切合切零からのスタートだっての」
逃げ出した数人の中に彼がいたのか、それとも『保護』された連中の中にいたのかは分からない。仮に『保護』された連中の中にいたとしたら、手の出しようもない。
逃げ出した連中は、仲間達に行方を追わせているが、聖祖と特警にも追われているのだ。
正直な話、人員や情報収集力などでは、その二つにかなわない。例え、彼が逃げ出した人間の中にいたとしても、一番不利な立場にあるのは、間違いなく俺達無銘だろう。
それが分かるからこそ、憂鬱な溜め息が止まらない。俺にこちらでの事を任せてくれた女性を思えば、情けなさが身を切るような思いだった。
色々と指示を出し終えた後、俺は拠点の一つとして保有するボロいビルの屋上にいた。
特にその場所に意味などはない。連絡が付く拠点であれば……そしてネットワーク環境が整っていれば別にどこでも良かった。
そこが単純に駅からそこそこ近く、なおかつ特警の警戒網からはギリギリ外れていたという理由でしかない。
そこで細々とした工作や、仲間達への指示を出していたのだが、それもあらかた終わり、後は状況の流れ次第となった段で、パソコンの前に座っているだけの現状にも飽きてしまったのだ。
そこで頭を少し休める為に、わざわざ屋上に出て空を見上げていたのだ。
周りにあるビルから見ても一番低い屋上。そこは一番空から遠い場所でありながらも、視界に広がる空はレンズで切り取ったかのような蒼天で。
拠点を置いておきながらも、今まで気付いていなかったその穴場スポットに、少しだけ得した気分になる。
膿んでいた脳が、少しだけ透けるような蒼に浄化されたようなそんな感覚に軽く浸っていた時、今までコールする事はあっても鳴る事のなかった携帯へと連絡が入ったのだ。
メールはバイブに設定してあるのだから、必然的に電話だという事になる。
表示された名前を確認し、通話ボタンを押す前に少しだけ耳との距離を考える。
そこに表示された『クロネコ』は、声がやや高く、耳に痛みを覚えるほどの声量で話すヤツだったからだ。
『ハーイ、あっちゃん。こちらクロちゃん。お久ぁ』
「はいよ、こちらあっちゃん。久しぶりだな、クロ」
別に久しぶりでもなんでもない。単にクロネコ独特の調子にペースを合わせただけだ。
「んで、どうした? 面白い話のネタでもあったか?」
『ん〜、ネタっていうのかな。さっきまで駅のゴタゴタを見に行ってたヤツから聞いたんだけどね、止められた電車の中にいた何人かが、聖祖の連中が築いていたバリケードを越えてったのを見たらしいのよ』
「そうかい。なんかゴタゴタがあったのは聞いてるよ」
このクロネコ、れっきとした俺達の仲間の一人である。このいかにも興味のない他人を装った言い方は、単に携帯という媒介を使っている事に対して、警戒しているからに他ならない。
携帯は固定電話などとは比較にならないほど、簡単に盗聴が出来るし、情報が山ほど盗める媒介なのだ。
だからウチでの情報のやり取りは、特製のサイトを通じた方法か、こういった装った会話がメインとなる。弱小勢力なりの涙ぐましいまでの情報漏洩予防措置だ。
『その内の一人なんだけどさ、すんごい運動神経してたヤツがいたらしいのよ。山のように積まれたバリケードをモノともせずに乗り越えたかと思ったら、あっという間に得物を持った連中をすり抜けて、一宮の方に逃げてったんだってさ』
「一宮って……俺がいるの一宮だし」
『へぇ〜、クロは今神杜の駅前なんだけどさ、なぁんか電車止めちゃった関係で特警がごちゃごちゃ言ってて、身動き取れないんだよね。単に遊びに来ただけだってのにさ』
なるほど。クロと他の神杜駅に張り付けていた連中全員は、今は身動きが出来ない状況らしい。確かに下手に動いて、特警に睨まれるワケにはいかない。
ここまでの会話でかなり状況が掴めた。
まずかなり高い身体能力を持った変種が一人、封鎖を受ける前に逃げ出したという事。
他にも何人かいたらしいが、その一人が特にクロネコの目に止まったらしいという事。
そいつが一宮方面に向かった事を、クロネコはどういった経緯かは分からないが把握した事。
最後に駅前に配置したメンツは、現在身動きを封じられているという事。
「そりゃ災難だったな。まぁ最近は、危ないヤツとかも結構うろついてるし、俺もちょっと周りに気を回してみるわ」
『ん、今日は特警の連中が引いてくまでクロ達は帰れないけどさ、また今度どっかにご飯でも行こうよ』
「分かったよ、また電話してくれ」
本当に雑談混じりに……雑談のような会話だけを交わして、電話を切る。耳にはクロネコの掠るような高い声の余韻が残り、それを飛ばすように小さく頭を振る。
俺が──純正型の俺が直接見たならば、より確実に『彼』が誰だか分かっただろう。だけど、クロネコの報告ならば確信まではいかなくとも、なかなかに信用が置けると思う。
なにしろクロネコという男は、まさに野生の山猫並みに危機感知能力が高いのだ。つまりそれは相手の能力を把握する能力に長けている、という事でもある。
それが彼の変種としての『能力』なワケではないのだが、その一点においては変種固有の能力並みに信用が置ける。
彼が何かを感じた相手ならば、絶対に何らかの理由があるハズなのだ。
──ここは雅に派手に動いてもらうしかないな。
そう考えて、彼女に対する指令をサイト越しに送る。
『一宮付近にいる特警を、出来るだけ惹きつけて欲しい。やり方は任せる』
それだけの指令でしかないが、彼女ならば俺の期待以上に役割を果たしてくれるだろう。今現在、ウチのジョーカーでもある彼女には、それだけの力がある。
……まぁ多少、俺の想像を越えた規模で、街のあちこちに色々な被害が出るかもしれないが。
そして続けて、今はあちこちに散っている仲間達にも、一宮以外に駐在する特警の部隊に対する陽動と、電車を止めるという暴挙に出た聖祖の連中に対する抗議行動を指示しようとして──
そこで俺は気付いた。
街を見下ろすには低すぎる屋上の縁に座る俺の下、狭い路地に座り込む少年に。
黒髪をより映えさせる、暗い空気を纏い、憂鬱げな嘆息を漏らす存在に。
片手に掲げた缶コーヒーを軽く振りながら、そっと空を見上げていた男に。
──ビルの影、狭い路地裏、普通の学生服を着込んだだけの同族に。
一目見てすぐさま分かった。
容姿は想像していたよりも幼さを残していたが、それでも確信が持てた。
『写真は規制に引っかかるし、向こうの仲間達に迷惑をかけてもいけないから持ち出せなかったけれど、一目で分かるハズよ』
そう言って、レンは簡単な特徴しか教えてくれなかったのに、分かってしまったのだ。
──この少年が『皇』なんだ、と。
聖祖のバカ共のムチャと、特警の連中の横槍によって狂ってしまったハズの計画。
ここに俺がいたのも、今の状況では一番使い勝手が良かっただけだ。
その後に入ったクロネコの報告を聞いて、まだ俺達にもツキはある……そう思ってはいたが、俺が休憩をしている最中にこうして出会えるなど、単なる偶然による巡り合わせにしてはツキ過ぎてる。
よりにもよって今日聖祖の連中が行動を起こしたのも、今の関西という地の状況を、関東から来たばかりの彼に教える為だったのではないか。
特警が横槍を入れたのも、それを補足する為なのではないか。
それにより俺がこの拠点に来る事になったのも、複雑化した指令内容によって溜まっていた疲れが出てしまい、風のよく当たる屋上での小休憩を選んだのも、今この時の為なのではないか。
クロネコがこのタイミングで連絡をしてきたのも、俺が屋上にいる時間を伸ばす為だったのではないか。
そして初めて訪れたハズのこの場所が、不思議なほどに気に入ってしまったのは、今この瞬間を予感していたからではないか。
そんな考えが一気に頭の中を駆け巡る。
俺は運命なんてモノは信じない。そんなモノに価値なんてありえない。
時間と行動とちょっとした偶然が、必然に結びついただけの結果であり、足掻いてもがいていくら頑張っても無駄だった場合に、『これも運命だったんだ』と言い訳に使うぐらいの価値しかその言葉には見いだせない。
今も時間と行動と偶然に味方された結果でしかないのだろう。
それでも、今だけはそれを身近に感じられるような気がした。
身近なモノだと思ってもいい気がしたのだ。
それと同時に、彼がこの街に来てしまった以上、この関西という地も……この街も、やがては暗い未来に飲み込まれてしまうのだろう。
俺達も動き出さずにはいられないのだろう。そう思ってしまう。
すでに覚悟はしていた事なのに、胸の奥をキュッと締め付けられるような感覚を覚える。
「やっぱりこの街も壊れっちまうんだな……」
用意していた最初の言葉とは違った。もっと気の利いた言葉を使うつもりだった。
その言葉にだるそうに顔を上げ、俺の事を気にも止めていないような瞳で見つめる彼に、まっすぐと視線をぶつける。
暗い漆黒の闇を思わせるような瞳に。
鈍く輝く絶望色のその視線に。
それを見返しながら、ただ締め付けるような感覚を残す胸の痛みと、今の……そう陳腐な言い方をするならば、『運命的な出会い』に際して浮かんだ言葉を、飾る事なく口にしていく。
「もう、この街が──この国が壊れっちまうのは止められないみたいだ」
これで回想編っぽい出会い部分は終わりです。
最初の言葉はノクターン本編のかなり前の方にもありました。
そこからの交渉シーンについては、同じくノクターンの一部後半にあります。
そしていよいよ、本編が始まります。まぁまだ前段階なんですけど。
本格活動はもうちょっと先ですね。アカツキとシャクナゲが交渉したり、黒鉄の基盤を作る為に奔走したり、あの人が本格登場したり、関東から妹襲来したり……。
つまりは今後ともよろしくって事です。
次回『諸行無常の響きあり』。