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まな姫の胸にひそむ潮騒―成長そして責任  作者: れんれん


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第三話 まな姫、まだ知らぬ国を想う

夜の城は、昼よりも広く感じる。

足音が吸い込まれ、廊下は長く伸びる。

灯りの届かぬ先に、闇が静かに溜まっている。

まな姫は、父――里見義堯の部屋の前で立ち止まった。

中から、低い声が聞こえる。

「……北の動きは」

「北条氏は様子見にございます」

「様子見、か」

また、その言葉。

(みんな、様子ばかり見てる)

動く前に、考える。

考える前に、恐れる。

まな姫は、そっと障子から離れた。

庭へ出る。

夜の海は、昼と違う匂いがする。

潮は黒く、空と溶け合っている。

どこまでが海で、どこからが空か分からない。

(線がない)

昼間、石垣の上で考えたことを思い出す。

地図には線がある。

城の中にも、立場の線がある。

姫。

家臣。

領民。

敵。

味方。

(海には、ないのに)

風はどこからでも吹く。

波はどこへでも寄せる。

なのに人は、どうして線を引くのだろう。

「姫様」

振り返ると、侍女が心配そうに立っていた。

「夜風は冷えます」

「うん」

けれど、動かない。

(冷たいの、嫌いじゃない)

冷たいと、生きている感じがする。

ふと、胸の奥がざわついた。

(もし、この海が静かでなくなったら?)

もし港に船が来なくなったら。

もし市場の声が小さくなったら。

昼間、魚が少なかったことを思い出す。

商人の、少し困った顔。

父の、疲れた背。

(今が、ずっと続くと思ってた)

でも、違うのかもしれない。

石段に腰を下ろす。

夜の波音が、規則正しく耳に届く。

(私は、未来を考えないって決めてた)

今日が楽しければ、それでいい。

明日は明日。

でも。

(今日が崩れたら、どうするの?)

初めて、自分に問いかける。

もし、笑い声が消えたら。

もし、港が閉じたら。

私は、何をする?

「……分からない」

声に出してみる。

闇は答えない。

けれど。

(分からないままじゃ、嫌だ)

胸の奥に、小さな火が灯る。

未来を怖れるのではない。

未来を、知らないままにしておくのが怖い。

昼の父の言葉が蘇る。

「怖れを知らぬ者は、国を失う」

(怖れ、か)

怖い。

本当は、少しだけ。

この静けさが壊れることが。

まな姫は膝を抱えた。

(私は、うつけでいいと思ってた)

未来を考えない姫。

今を走り回る姫。

でも。

もしこの国が変わるなら。

変わる瞬間に、立ち会うなら。

(知らないままで、いいの?)

答えは、まだ出ない。

ただ、胸が少し重い。

夜風が強くなる。

波が、さっきより大きな音を立てた。

まな姫は立ち上がる。

(明日、父に聞いてみよう)

北条とは何か。

線とは何か。

国とは何か。

全部は分からなくてもいい。

でも、目を背けたくはない。

それは、今までの自分とは少し違う決意だった。

城へ戻る途中、ふと振り返る。

黒い海。

線のない世界。

(でも、きっと)

(いつか、そこにも線が引かれる)

その時、自分はどこに立つのだろう。

波音が、答えの代わりに響く。

まな姫は静かに息を吸った。

まだ知らない国。

まだ知らない未来。

けれど。

ほんの少しだけ――

その方へ、目を向け始めていた。

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