18話:再生魔法ー①
翌日の放課後。
ミラとピクルは学院の図書館に来ていた。
ピクルが調べたい資料があるらしく、二人は人の少ない奥の書架へ足を運ぶ。
研究用途の文献が並ぶその一角は、ひっそりとして声を潜めたくなる空気がある。
背表紙を指先でたどりながら、ピクルは目的の本を探していた。
その横で、ミラはずっと胸の奥に引っかかっていた疑問を口にする。
「ねー、最近アレクとよく一緒にいるけど、何してるの?」
ミラは不安そうに、そっと尋ねた。
「……え、知ってたのか?」
ミラがこくりと頷くと、
ピクルはわずかに視線をそらす。
「ちょっと、”再生魔法”について教えてもらってて……」
ピクルは手元の本に目を落とし、言葉を選ぶように口を開いた。
「”再生魔法”ってマイナーだから、資料も全然ねーんだ。
だから、詳しいやつに聞くしかなくて……」
ミラはきょとんとした顔で、その話を聞いている。
まっすぐ向けられる視線に耐えきれず、ピクルは言葉を続けた。
「いや……」
言いかけて、言葉が詰まる。
少し寂しそうに顔を歪め、ピクルは小さく息を吐いた。
「俺、アレクに指摘されるまで、全然気づけなかったから……」
一瞬だけ視線を伏せ、
それから今度は、まっすぐミラを見る。
「ミラの系統が再生魔法だって聞いてさ。
ミラのことなら……ちゃんと知っときたかったんだ」
ミラはきょとんと目を瞬かせ、
それから、ゆっくりと表情を和らげた。
「そうだったんだ……」
ピクルは一呼吸置き、少し照れくさそうに肩をすくめる。
「こないだ学校の詳しい先生も紹介してもらったし、
色々分かってきたから、そろそろミラにも話そうと思ってたとこ」
「じゃあ、私のためだったってこと?」
ミラは思わず目を輝かせ、声まで弾ませる。
嬉しさを隠しきれない笑顔が、ミラの顔いっぱいに広がった。
「あぁ、まぁそんなとこだな……」
ピクルは照れくさそうに俯いて話す。
少しの沈黙のあと、ミラはふっと息を吐いた。
「そっか。ずっと心配だったんだ。あの人とばっかり一緒にいるから」
ミラは寂しそうにポツリと言う。
「ねぇ! 私もアレクのところ一緒に行っていい?」
「いや、それは俺も最初からアレクに言ってんだけど、なんか嫌がるんだよな……」
「何でだろ? やっぱりぴーちゃん取るつもりなのかな……!?」
「そんな感じ、もうしねーけどな」
「絶対問い詰める! ぴーちゃんは私のだもん!」
ピクルに飛びつき、ぎゅーっと抱きしめる。
「ちょっ……学校ではいつも通りって言ってるだろ?」
「もーやだ。そういうの!
ここなら誰も見てないし、いいでしょ?」
ミラは、嬉しそうにピクルを見上げる。
「ま、まぁそうだな……」
図書館の奥まったこの場所は死角になっていて、どこからも見えない。
「ねぇ、チューしてよ」
「は? 何言ってんだよ!? 学校だぞ?」
「昨日はあんなにいっぱいしてくれたのに?」
ミラにじっと見つめられ、ピクルはあたふたと目を逸らす。
「いや、まぁ、それは……」
二人が話に夢中になっていると――
「ゴホン」
後ろにはアレクが立っていた。
「相変わらず、お前たちは……こんなところで、”何”やってんだ?」
呆れ果てた顔をしている。
「わ!出た! なんで私が行っちゃダメなの?」
「いや、まぁ、色々手順ってものがあるんだ」
アレクは顎に手を当て、神妙な顔つきで答える。
「追々な……」
そう言ってアレクは去っていった。
「何あれ!? 思わせぶりすぎる!
ねぇ、詳しい先生って誰? 私、その人のところ行ってみたい!」
「うーん……行ってすぐ会ってもらえんのかな?」
「どの先生?」
「いや……アレクからは勝手に行くなって言われてるし……」
「えー! 教えてよ〜!教えてくれないなら、学校中聞いて回るよ!
誰か一人くらい知ってるかもしれないし!」
「ちょっ、おい」
ミラの勢いにピクルはたじろぐ。
「ぴーちゃんが行かなくても、私一人で行くから!」
あまりの暴走ぶりに、ピクルはつい観念した。
「……わかった。教えるから変なことすんな」
「やったー!」
「あと、俺も一緒に行く。一人で行かせるのは危ない気がする……」
ピクルは頭をかかえ、軽くため息をついた。
◇
ミラとピクルは、”再生魔法に詳しい先生”のところにやってきた。
――校長室。
”再生魔法に詳しい先生”とは校長のことだった。
校長室は、生徒が行き来する授業・実習棟や図書館とは離れた学院本部棟にある。
学院の運営や研究の中枢機関が集められており、生徒たちが用もなく立ち入られるような場所ではなかった。
人の気配は薄く、職員でさえむやみに近づかないような、張り詰めた空気が漂っていた。
中でも校長室の雰囲気は一段と重かった。
両開きの扉には魔術的な紋章が刻まれ、金の装飾が縁取られている。
手を触れないうちから圧迫感に襟が詰まり、ピクルは思わず足を止めた。
「……いきなり来て、会ってもらえんのかな?」
弱気な声を漏らすピクルを横目に、ミラは一歩前へ出る。
そして迷いなく、トン、トン、と扉をノックした。
「一年D組の、ミラベル・アーデンです!
お話ししたいことがあります! 開けてください!」
緊張も遠慮もない声が廊下に響いた。
するとすぐに穏やかな声が返ってきた。
「いいよ、入って」
カチャリと解錠される音が響き、思ったよりあっさり中に入れてもらえた。
ピクルが重い校長室の扉を開けると、ミラはまっすぐ校長の元へと向かう。
書類を書く手を止め、校長は笑顔で二人を迎えた。
「君……あの“アーデン夫妻”の娘なんだね。
若い頃、君の両親に教えていたこともあったんだよ」
校長は目を細め、思い出を振り返るようにして話す。
「そうなんですか!」
ミラは校長の机に手を置き、ぴょんと前のめりになる。
「やっぱり血は争えないよねぇ。君も再生魔法の使い手なんだから。
名前と、入学試験の魔法を見て、すぐにわかったよ」
校長は、目の前で弾むミラの様子に微笑みを向けながらも、
ふと手を止め、机の上の書類に視線を落とした。
その瞳に一瞬、哀しみの影が浮かぶ。
「でも、本当に残念だったよね……惜しい人たちを亡くした」
――え……?
ミラの声は、思わず喉で止まった。
両親は、既に――亡くなっている?
それはミラにとって、初めて聞く話だった。
十年以上前に魔族討伐に向かい、そのまま行方不明――
ずっとそう教えられてきた。
だが今、校長の言葉がそれを覆す。
胸がざわつき、呼吸が一瞬止まる。
言葉にすらできない、重く冷たい現実が、ゆっくりと心に落ちていった。
ミラが戸惑う中、校長は息を詰め、顔を曇らせた。
「……もしかして、知らされてなかったの?」
校長は、ミラを気の毒そうに見つめる。
「ごめんね……知っているとばかり……」
ミラは思わず校長に詰め寄る。
「どう言うことか教えてください!」
校長は一瞬躊躇したが、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「君の両親は、
“再生魔法”を使って、魔力汚染地域の修復作業に挑んでいたんだ」
「魔力汚染地域の修復作業?」
「再生魔法で、自然を元の姿に戻すんだ。
汚染された土地を修復し、草木が育つ環境を再び作る。
一見、良いことばかりに思えるだろう?」
ミラは小さくうなずいた。
「だが、非常に高度な魔法なんだ。
再生する範囲が広がれば広がるほど、術者は膨大な魔力を流し込み、
長時間維持しなければならない。
魔力循環が乱れれば——反動は術者の身体や精神に跳ね返ってしまう」
校長の声が硬くなる。
「だから、研究現場は、想像以上に過酷で……
少しのミスが命取りになる」
校長は視線を伏せ、言葉を選ぶように息をついた。
「ある日事故が起きた。
試験魔法陣の一部が崩れ、循環していた魔力が暴走したんだ。
術者の制御を超えるほどの力が、一瞬にして周囲の環境を裂いた」
校長は言葉を詰まらせ、深く息をつく。
「彼らは……戻らなかった」
ミラの胸の奥が冷たく締めつけられ、言葉も出ない。
部屋の沈黙が重くのしかかり、空気まで止まったように感じられた。
その中で、心臓の鼓動だけが強く響く。
「本当に……気の毒だったよ」
重い沈黙が落ちる。
部屋の空気が凍りついたように感じられ、
ミラは口も動かせず、ただ立ち尽くしていた。
――十年以上、行方不明。
きっと生きてはいない。そう思っていた。
けれど、“亡くなった”と明言されることは、想像以上に胸を抉る。
校長は、低く続けた。
「事故の規模があまりにも大きかったし、死者も出た。
今も事故があった場所は広範囲が“再生不能地帯”になっている。
だから、国は責任追及を逃れるため、事故そのものを隠蔽した」
「だが、身内にまで秘密にしていたとは……」
校長の言葉は途切れ、表情には今も消えぬ悔いが浮かぶ。
ミラはうつむいたまま指先を握りしめる。
胸の奥で何かが軋み、痛みだけが静かに積もっていった。
隣にいたピクルも声をかけられず、ただ揺れる肩を見守るしかなかった。
校長室の静けさが、冷たい膜のように三人を包み込んでいた。
「帰ります……」
一言そう告げて、ミラは校長室を出ていく。
「……ミラ、大丈夫か?」
ピクルも後を追うが、ミラは返事もせず、俯いたまま歩き続けた。
隣を歩くピクルの存在も、届かないかのようだった。
やっとの思いで自室に戻ると、ミラはベッドへ身を投げ倒れ込む。
(私、なんでここにいるんだっけ……?)
胸の奥が空洞になったような気がした。
自分を支えていた何かが、突然抜け落ちたような。
優れた魔法使いになれば、何か分かるかもしれない。
そう信じて、両親を探す――
そんなこと、
心のどこかでは、無理だと分かっていた。
それでも――
両親が卒業したインペリアルに来て、
同じ場所に立てば
同じ景色を見れば
二人につながっていられる気がして、
ここへ来ることを夢見て頑張ってきた。
だけど――
二人がもうこの世にいないと分かった途端、
インペリアルに立っている意味さえ、
見失ってしまった気がした。
今までみたいに、前を向こうとする力が、すっと抜け落ちてしまった。
「なんかね、よくわかんなくなっちゃった」
言葉にして初めて、気持ちが形になる。
「もう、やめちゃおっかな……」
その声は強がりでも冗談でもなく、
ただ深いところから漏れた本音だった。
ピクルは何も言わず、隣に腰を下ろす。
伸ばした手でミラの頭をそっと撫でる。
うつむくミラの髪が、かすかに震えた。
言葉では足りない時間が、静かに二人を包んだ。




