14話:すれ違いの夜
モヤモヤした気持ちをどうにもできず、ミラは夜の寮を抜け出した。
行き先はもちろん、ピクルの部屋だ。
「どうした?」
部屋を開けたピクルが、少し驚いた顔をする。
ミラは小さく笑って言った。
「へへ。会いたくてきちゃった!」
「そうか……」
ピクルは照れくさそうに頭をかき、目をそらした。
久しぶりに二人きりになれて、ミラの胸は少し高鳴る。
早速部屋に入り、ピクルの隣に座る。
「今は二人っきりだから、いいよね?」
ミラはピクルの腕にピタッとくっついた。
「え?」
「ほら、授業中にベタベタしたら退学って言ってたから」
「あー……それで最近おとなしかったのか」
「うん。ちゃんと気をつけてたよ」
ミラは胸を張って答える。
ピクルは少し間を置き、苦笑して言った。
「ちょっと言いすぎたかもな。流石に退学はないと思うけど……」
ミラは一瞬、目を見開く。
「え! 嘘なの!?」
「いや、嘘っていうかちょっと大袈裟に言っただけだって」
ピクルは肩をすくめ、涼しい顔で続ける。
「授業中に変な態度取ったら減点対象になるのは事実だし……」
その言葉に、ミラの胸の奥で何かが弾ける。
「なにそれ!?
じゃあ、私が我慢してたの、意味なかったってこと!?」
「そんな怒ることか? 普段が距離近すぎるんだよ、今だって普通なだけだろ?」
何てことないように言うピクルに、ミラはぐっと言葉を詰まらせる。
(私は寂しかったのに……ぴーちゃんは何とも思ってないんだ)
せっかく会いに来たのに、むしろモヤモヤが増えていく。
胸の奥で、悔しさと悲しさが入り混じる。
「お前、本当は何しに来たんだ?」
その言葉に胸がぎゅっと締め付けられる。
期待していたものがすっと崩れ落ちるようで、思わずピクルから顔をそむけた。
「別に、用があったわけじゃないよ」
小さく呟く声に、わずかに震えが混じる。
「……用がないと来ちゃいけないの?」
今まではずっと一緒だったのに、
会うのに理由がいるなんて――
言葉に出すと涙が溢れそうで、ミラはそれ以上続けられなかった。
「いや、そういう意味じゃねーよ。
なんか話があるのかと思っただけだって」
「別に何もないよ。帰る」
「おい、ちょっと待てって!」
ピクルが呼び止めるより早く、ミラは部屋を飛び出していった。
◇
翌日。
ミラとピクルは授業で顔を合わせたが、どちらもどこかぎこちない。
(こういう時って、どうすりゃいいんだ……?)
ピクルは、ちらりとルシアンとリリアナを見る。
すっかり二人は打ち解けていて、以前のぎこちなさが嘘のようだ。
(さすがルシアン……!)
ピクルはため息をついて頭を抱えた。
(元々、ミラって何考えてるか分かんねーとこあったけど……
最近一緒にいねーから、余計にわかんねぇ……)
今度はミラをちらりと見る。
ミラもピクルの方を向き、一瞬目が合う。
だが、ミラはすぐにぷいっと顔を背けてしまう。
その態度に、ピクルは一瞬言葉を失った。
今まで二人は喧嘩をしたこともなく、
些細な口喧嘩はあっても、ミラはすぐに笑顔に戻ってくっついてきた。
ミラがここまで態度を硬くするのは、初めてだった。
頭の中で、昨日の些細な出来事を繰り返し思い出す。
――じゃあ、私が我慢してたの、意味なかったってこと!?
(普段が距離近すぎるから、これぐらい普通だと思ってたけど……
ミラからすれば”我慢”になんのか?)
入学してからのことが、断片的に浮かぶ。
(もしかしたら、昨日のことだけじゃねーのかも……)
新しい学校、新しい友達。
どんどん広がっていく世界。
それは全部、ミラにとっていいことだと信じてた。
その中で、いつの間にか変わっていた、二人の距離。
(入学してからずっと、
ミラにとっては、”我慢”だったってことか……?)
ピクルは、ゆっくりと息を吐いた。
◇
その日の放課後。
ピクルはミラの部屋を訪れた。
「ちょっといいか?」
軽くノックをすると、すぐに扉が開く。
「ぴーちゃん!」
今朝の不機嫌が嘘のような、屈託のない笑顔。
ミラはそのまま、勢いよく飛び込んできた。
ピクルは拍子抜けしながらも、ほっと息をつく。
「ちょっ。とりあえず中、入るぞ!」
部屋に入り、ピクルが戸惑うように、ミラに声をかける。
「もう怒ってねーのか?」
「うん! だって、会いにきてくれたから!」
「そ、そうか……」
ピクルは視線を逸らし、短く息を吐いた。
(そんなんで、いいのかよ……)
ピクルは、複雑な気持ちのまま、ミラの笑顔を見つめた。
並んで座ると、ミラは我慢できずにぎゅっとピクルに抱きついた。
その存在を、確かめるみたいに。
「久しぶりだね……」
ミラは、ピクルの胸に顔を埋めたまま、小さな声でつぶやく。
「もう……会いにきてくれないかと思ったよ……」
その言葉に、ピクルの動きが一瞬だけ止まる。
そんなふうに思わせていたとは、思っていなかった。
「んなわけねーだろ……」
少し遅れて、ピクルは大きく息をついた。
「別に嘘だったわけじゃねーぞ。ちょっと言いすぎたけど……
最初から変な印象持たれても困るし……」
「うん、わかってる」
ミラは、ただ、ただ、ぎゅっと抱きついたまま、嬉しそうに笑う。
「ほんとにわかってんのか……?」
呆れながらも、どこか優しい声だった。
ピクルは言葉を続けようとして、いったん口を閉じる。
胸の奥に浮かんだ感情を、ぐっと押し込めてから、
ようやく視線を戻した。
「それに、そもそもこういうことって、誰にでもやるもんじゃねーだろ?」
「誰にでもなんて、やってないよ?」
ミラは、きょとんとした顔になる。
「いや、そうじゃなくて……
こういうのって、”恋人同士”でやるもんだろ?
俺らはそういう関係じゃねーんだから……」
「恋人同士……?」
「だから、適度な距離感っていうのが——」
その言葉を聞いた瞬間、ミラの中で、何かがすとんと腑に落ちた。
「そっか。なんで今まで気づかなかったんだろ」
「は?」
「ぴーちゃん、逆転の発想だよ!」
「はあ?」
ミラは何か、大発見をしたように目を輝かせている。
ピクルは何がなんだか分からない。
ミラは、大きく息を吸い込み、
迷いのない顔で、ピクルに向かって高らかに宣言する。
「“恋人同士”になればいいんだよ! 私たち!」
「はあああ!?」
「だったら解決だよね?」
さも当然とばかりのミラに、ピクルは全く付いていけていない。
「ちょ、ちょっと待て!
お前、俺のこと……恋愛的に好きってわけじゃねーだろ?」
「恋愛的……?」
ミラは、少しだけ考え込む。
「あの”愛の逃避行”みたいなのってこと……?
確かに、”あれ”とは違うかも……」
リリアナの読んでいた恋愛小説を思い出し、少し眉をひそめる。
「だろ? だから落ち着け。とにかく冷静になれ」
そう言いながら、ピクルの方がよほど動揺していた。
ミラはすぐに言い返さなかった。
視線を落とし、小さく指先を握りしめる。
「……でもね」
顔を上げ、静かに続ける。
「私、火事のとき、ぴーちゃんと一緒に死んでもいいって思ったよ。
これが好きじゃないなら、何かわかんないよ……」
静かな声だった。
その一言に、ピクルの胸の奥がきゅっと締めつけられる。
――簡単に違うだなんて、否定できなかった。
人型に成長する前、
ミラは、火事に巻き込まれたピクルを命懸けで救ってくれた。
そのとき負った大きな火傷は、魔法で癒えた後も、
忘れられるはずのない記憶として残っている。
目を伏せたピクルは、息をのんだまま小さく笑った。
「……確かに、そうかもな」
顔を上げると笑顔のミラと目が合う。
「じゃあ、問題ないね!」
軽く言ってのけるミラに、ピクルは慌てる。
「いや、待てって……!」
ピクルが必死に止めるので、ミラは素直な疑問を口にする。
「ぴーちゃんは”恋人同士”になるのイヤ?
私のこと……好きじゃない?」
ミラの瞳が、不安そうに揺れる。
それを見た瞬間、ピクルは考えるより前に口が動いていた。
「そ、そんなわけねーだろ。
もちろん俺だって、好き——」
しまった、と言いかけて口をつぐむ。
(何やってんだー! どさくさに紛れて告白させられてんじゃねーか!!)
「じゃあ、決まりだね!」
ミラは、嬉しそうににっこり笑う。
どんどん進んでいく状況に、ピクルはさらにパニックになっていた。
「とりあえず、落ち着け」
「私は落ち着いてるよ」
「どっちにしても、授業がや学校ではいつも通り。ベタベタするのは禁止だぞ」
「わかってるよ。 二人っきりの時だけだよね」
ミラは再びぎゅっと抱きつく。
(落ち着け、俺。変に期待するのはやめねーと……
どうせ、ミラのことだ。
単に“今まで通り”って意味だろうから……)
ピクルは頭を押さえて深呼吸した。
胸の鼓動が速く、手のひらまで熱くなる。
それでも何とか自分を落ち着かせようと必死だった。
そんなピクルの努力をよそに、
顔を上げたミラはにっこり笑い、追い打ちをかける。
「じゃあ、チューしてよ!」
「え、あぁ……わかった……」
混乱しすぎて、考える余裕もないピクルは、言われるがまま頬にキスをした。
体中に熱が走り、頭の中が真っ白になる。
だが、ミラは一瞬だけ視線を伏せる。
それから、不満げに口を尖らせた。
「ぴーちゃん、違うって」
「え?」
ミラは、確かめるようにピクルの顔を見つめて微笑む。
逃げ場を与えないほど近くで、
迷いのない声が、静かに告げる。
「もう恋人同士なんだから、こっちだよ」
ミラは膝を寄せるように距離を詰め、
ピクルの唇にそっとキスをした。
ほんの一秒。
それなのに、触れたところから熱が広がり、体の中心まで一気に落ちてくるようだった。
「ちょ、マジか……」
ピクルは、頭の中が真っ白になり、動けずにいた。
胸の鼓動がうるさくて、呼吸の仕方すらわからなくなる。
ミラはにっこり笑って、ピクルを見つめている。
その視線に、思考力がさらに奪われていく。
(……やべぇ、落ち着かねーと……
これ、どう受け止めるのが”正解”なんだ……?)
必死に頭を巡らせるが、心臓の高鳴りは止まらない。
(今、感情のまま動くのは危険すぎる……
とりあえず一旦、冷静にならねーと……)
ピクルは思わず体を離し、少し後ろに下がった。
息を整えようとするが、鼓動が耳まで響く。
「……俺、帰るわ」
「え? どうしたの?」
「……いや、その……帰らないといけねーから……帰る」
混乱しすぎて、いい言い訳すら思いつかず、勢いよく立ち上がる。
ドアに向かう足も、どこかふわふわと宙に浮いたような感覚だ。
「……とにかく、学校では、いつも通りだからな!」
「うん、わかってるよ」
ミラは、少し残念そうにしつつも、嬉しそうに頷いた。
(……本当に、俺たち“そういう関係”になっちまったのか?)
ピクルは逃げるように部屋を出ていった。




