11話:リリアナとルシアンー①-2
一方、リリアナとルシアンの距離は、相変わらず縮まる気配はなかった。
リリアナは、緊張して言葉すらまともに返せない。
ルシアンはちらりと、後方に立つリリアナへ視線を送った。
(これ以上、失敗するわけにはいかない……)
初日に抱き止めた時、彼女は真っ赤になってパニックになった。
――完全に失敗した。怯えさせてしまったのだ。
そう思い込んだルシアンは、近づかないことこそが礼儀だと判断し、
以降、必要以上に距離を取るようになっていた。
息を合わせることは諦め、試合中は一人で防御も攻撃もこなす。
淡々と魔法を展開し、隙を見つけては相手のワッペンを交渉で譲らせる。
リリアナはその後ろで、何もせず、ただ突っ立っているだけ。
全く戦力になっていなかった。
「君たち、もう少し協力してね」
監督していた教官も呆れ気味に声をかけるが、それ以上の介入はしない。
「あれ、リリアナ意味あんのか?」
「だね……」
ミラとピクルは顔を見合わせる。
そうして数試合こなしたものの、状況は全く変わらないままだった。
そして、何度目かの試合中――
相手の攻撃魔法が地面に落ちて弾け、巻き上がった小石の一つがリリアナに当たった。
――その瞬間
周囲は誰も気に留めていない中、ルシアンの空気だけが変わった。
普段は穏やかな彼の目が、ありえない鋭さで光る。
(しまった……! 離れていたせいで、護りきれなかった……!
リリアナ様には少しであっても傷をつけてはダメなのに……!)
刹那、ルシアンは全てを放棄し、反射的に地を蹴った。
「は!? え!? 速っ!!」
あまりの動きの速さにピクルは驚いて声を上げる。
普段の落ち着いた所作など跡形もなく、ほぼ瞬間移動のような速さでリリアナの元に飛びつく。
「え? 何!? 今、ルシアンくん二人いた!? 残像!?」
ミラも呆然としている。
そしてルシアンは、勢いのままリリアナの目前に膝をついた。
「リリアナ様! 大丈夫ですか!? 傷は? 痛みは!? 違和感は!?」
過剰なほどに心配し、矢継ぎ早に声をかけた。
そして傷を確かめるために、そっと手をかざして治癒魔法を施す。
彼の手がリリアナの頬すれすれに伸びて――
その距離の近さに、今度は、リリアナの心臓が跳ね上がった。
(近い近い近い近い! 無理無理無理ーーー!!)
リリアナの頭の中が一瞬で大騒ぎになる。
次の瞬間――
リリアナは凄まじい勢いで後ろに飛び退いた。
その動きもまた、普段のリリアナの優雅さなど微塵もなく、ものすごい速さだった。
「リリちゃんもめちゃくちゃ速い! また残像が!」
「今日は、どうしたんだよ、こいつら!」
ミラとピクルは完全についていけていない。
そして数メートル程離れたところで、リリアナは一旦停止し、返事をする。
「だ、大丈夫よ。傷にもなってないわ……」
――二人の距離は縮まるどころか、逆に開いていった。
「よかった……」
呆れたような視線があちこちから向けられていることにも気づかず、
ルシアンはほっと胸を撫で下ろす。
「リリアナ様は、結界の中にいてください。 あとは僕が一人でやりますから」
ルシアンは後方に結界を張り、リリアナを下がらせ、また一人で試合を続行する。
その様子を見て、ピクルは小さく呆れる。
「普段の冷静なルシアンはどこいったんだよ……さすがに過保護すぎんだろ」
「ぴーちゃんが“過保護”だと思うって相当だよね!」
「お前が言うなよ……」
笑顔のミラに、ピクルは突っ込みを入れた。
そんな二人の明るい話し声を背に、ルシアンの胸に冷たい影が落ちる。
目の前の試合相手を見据えたまま、彼は小さく息を吐く。
胸の奥に沈めていた想いが、わずかに、疼くように揺れた。
(こんなはずじゃなかったのに……)
◇
ルシアンは幼体の頃から、厳しい教えを受けていた。
目標はただひとつ――リリアナの役に立つこと。
リリアナの家系は王国でも屈指の名家。
結界や防御、治癒の能力に長け、“聖女”のような存在だった。
リリアナの使い魔として召喚されたのは十体。
使い魔を複数召喚して育てるのは珍しくないが、通常はせいぜい三体ほど。
十体もの使い魔を維持できたのは、強大な魔力と資金を誇る名家だからこそだった。
幼い使い魔たちは教育係に預けられ、魔法技術や知識、礼儀に至るまで叩き込まれる。
主が直に関わることはほとんどなく、幼い使い魔たちは主の顔すら知らぬまま成長する。
――それが当然だと、疑うことなどなかった。
ごくまれに、屋敷の回廊を通り過ぎる姿を遠くに見るだけ。
言葉を交わすことなど、許されなかった。
――それでも、遠くからその姿を見られる日だけは、心が浮き立った。
(あの方が……リリアナ様……)
手の届かない存在。
憧れは、いつしか忠誠心へと変わっていた。
ただひたすらに、役に立ちたい――その思いだけが、彼を支えていた。
長い年月を経て、十体の中で最も優秀と認められたのがルシアンだった。
学院に同行を許されるのは、主直属の使い魔——ただ一体のみ。
他の使い魔たちは本家に残り、屋敷の結界維持や魔力循環を担う。
――これでリリアナ様のお役に立てる。
やっと努力が実ったのだ。
その事実に、心が震えた。
半年前、入学に先立って行われた“顔合わせ”。
ルシアンは初めてその目の前に跪き、忠誠の言葉を捧げた。
「リリアナ様。初めてお会いできて光栄です」
一礼してから、静かに続ける。
「学院に同行する使い魔、ルシアンと申します。
この日のために、微力ながら力を磨いて参りました」
そして最後に、やや柔らかな声で付け加えた。
「……何なりとお申し付けください」
だが、顔を上げた瞬間――
リリアナの瞳に動揺が走り、彼女は小さく目を逸らした。
それが、すべての始まりだった。
以降、言葉をかけても上の空で、目を合わせてくれることすらない。
思い描いていた理想の関係とは、まるで違っていた。
(リリアナ様のお役に立てると思って頑張ってきたのに。
これまでの努力は、全部無駄だったのか……)
――いや。
(僕が勝手に、期待し過ぎてただけかもしれない。
使い魔と主人なんて、本来はこんなものだ……)
そう気持ちを抑え込んでいたのに。
演習場の向こうで、ミラとピクルが息を合わせて笑い合う。
その姿を目にするたび、胸の奥が微かにざわついた。
幼い頃から互いに支え合い、絆を深めてきた二人。
主人と従者の関係を超えて、互いに心を通わせている。
自分もいつか――リリアナとそんな関係になれたら。
それは、忠誠とは少し違う願いだった。
手の中のワッペンを無意識に握りしめる。
(リリアナ様と心を通わせられる日は、来るんだろうか……)
ルシアンは静かに息を吐く。
それでもなお、彼女を見つめることをやめられなかった。
(やっぱり、まだ諦めたくない……)
◇
実技演習が終わり、寮の自室に戻ったあとも――
ルシアンの胸はざわついたままだった。
このままでは、リリアナの信頼を得られない。
役立たずと判断されれば、次の使い魔に交代させられる。
それだけは、絶対に嫌だった。
(もう、迷っている時間はない。
やっぱり、リリアナ様に気持ちだけでもお伝えしよう……)
夜更けの静けさの中、ルシアンは決意を胸にリリアナの部屋を訪れた。
肘掛け椅子座って向かい合う。
リリアナは相変わらず、緊張して真っ赤になって俯いている。
(部屋で”二人っきり”なんて、刺激的すぎる!……いや、使用人もいるんだけど)
静寂を破るように、ルシアンが口を開いた。
「僕は何か、リリアナ様のお気に障るようなことをしてしまったのでしょうか……?」
「えっ?」
唐突な言葉に、リリアナの肩が跳ねる。
「リリアナ様は、僕のことをお気に召していないように見えて……」
「そ、それは……」
(お気に召してる、召しすぎてるのよ〜……)
どう答えればいいか迷っていると、ルシアンは静かに続けた。
「リリアナ様にとって、僕は教育係が勝手に選んだ使い魔の一体にすぎない。
そう思われても当然です」
ルシアンは静かに息を吸い込む。
「でも僕にとっては、リリアナ様だけが――ただ一人の主人なんです
リリアナ様にお仕えするために、それだけを目標にここまで来ました」
声音は穏やかだったが、その奥には焦りと切実さが滲んでいた。
ルシアンはゆっくりと立ち上がり、リリアナの足元へ進む。
そのまま片膝をつき、頭を下げた。
「せめて、授業の中だけでいいんです。
僕を、リリアナ様の力として使ってください。
どうか……お願いします」
リリアナは息を呑んだ。
予想もしなかった、まっすぐな言葉。
――“信頼を求める純粋な忠誠”が、胸の奥を強く締めつけた。
(そんなふうに思わせてたなんて……私、一体何をやってたの?)
彼を傷つけたのは、自分の戸惑いだった。
リリアナは覚悟を決めて顔を上げる。
だが、そこで見てしまった。
悲しそうに、必死にリリアナに縋る――
捨てられた子犬のような瞳をしたルシアンを。
リリアナに衝撃が走る。
(ちょっ……その顔、反則すぎるっ!!
かっこいいだけじゃなくて、かわいいとか……無理ーーーー!!)
顔を見ていられなくて、反射的に目を逸らしてしまった。
その小さな仕草を拒絶だと受け取ったのだろう。
ルシアンは、辛そうに顔を歪めた。
「……出過ぎだ真似をして、申し訳ありませんでした……」
深く頭を下げると、静かに立ち上がり、扉の方へ向かう。
その背中を見た瞬間、リリアナの胸がきゅっと痛んだ。
「ち、違うの……!」
絞り出すように声をかけたが、扉が閉まる音にかき消された。
残された部屋に、沈黙が落ちる。
(どうしよう……完全に誤解させてしまった……
傷付けるつもりなんて、なかったのに……)
肘掛け椅子に身を沈めると、手が震えていることに気づいた。
(あんな顔をさせてしまうなんて……私、最低だわ……)
頬を押さえながら、リリアナはため息をついた。
これから、どうすれば良いのか……
ただ一つ分かっているのは――
今までのような態度は、もうやめなければいけないということ。
――でも
(あんなに真剣で、真っ直ぐな顔を見たら……
余計に、好きになってしまって……うまくできる気がしないわ……)
リリアナはぎゅっと手を握り締める。
――それでも
(こんな情けない主人はもうやめたい……私も、ルシアンの誠意に応えないと……)
リリアナは静かな部屋で一人、決意を固めた。




