祈り
夜のはじまりを告げる寒風が、山あいの小さな診療所の屋根を鳴らしていた。明かりの灯った窓のそばで、老医師の志摩は湯気の立つ薬草茶を口に運んでいた。
そこへ、雪を踏みしめる足音が一つ。
扉が開くと、マフラーを握りしめた中学生の少女が立っていた。何年もこの診療所に通う患者で、よく弟の薬を受け取りにくる美都だった。
「先生、また弟の調子が良くないんです。」
寒さで赤くなった手を気にすることもなく、深刻そうな顔をしている。
「寒くなってきたからね。薬をもってくるから、温かいお茶でも飲みなさい。」
志摩はストーブの上で温められたやかんからお茶を注ぎ、少女に差し出した。美都は小さくお礼を言ったが、しばらくカップを見つめたまま口をつけなかった。
「よかったらそこのお菓子も食べていきなさい。学校帰りで、お腹がすいているだろう。」
美都はこわばった表情のまま、小さく首を振った。
「薬をもらったらすぐに行きます。弟がつらいのに、私だけゆっくりしてたら悪いから……。」
老医師は柔らかな笑みを浮かべ、美都の目を覗き込んだ。
「急いだからって弟君がすぐに良くなるわけじゃないよ。ゆっくり時間をかける必要があるんだ。心配でたまらないなら、早く良くなるように祈ってやりなさい。」
「祈ったって、弟はよくならないです。神様なんて信じてないですから。」
かじかんだ手に視線を落とす美都を見つめながら、志摩は静かに首を振った。
「誰かのために祈るとね、自分の気持ちが楽になるんだ。」
「私の気持ちが楽になったって、意味ないじゃないですか。」
眉をしかめる美都に、志摩はやさしい声で続けた。
「君が辛そうな顔をしていたら、弟君も安心できないだろう。辛い時こそ、安心できる笑顔で見守ってあげなさい。」
美都は老医師の顔を見て、ふっと息をゆるめた。
手元のカップへ視線を落とすと、立ち上る湯気が冷えきった頬をやさしくなでていく。そっと口をつけると、少し照れたように言った。
「このお茶、あんまりおいしくないですよ。」
志摩が薬を持って戻ってくると、美都はお茶を飲みきって、口をもぐもぐさせながら受け取った。
「今度、おいしいお茶をもってきてあげますね。」
「体にはこっちのがいいんだぞ。」と肩をすくめる志摩に、美都はようやく小さく笑った。
マフラーをしっかり巻き直し、深く頭を下げると、少女は雪の降りしきる道へ駆け出した。その後ろ姿が見えなくなるまで、志摩は静かに見送っていた。




