第二十八話 荒ぶる声と静かな食卓
「だからよ! 俺ぁ約束の金を受け取りに来ただけだ!」
「約束の報酬は既にお支払いしたはずです。お帰りください」
ベルナルトさんは男の怒鳴り声に、物怖じもせず淡々と言い返す。
男はさらに一歩足を踏み入れ、目を光らせた。
「足りないって言ってんだ!」
男の言い分を整理するとこうだ。
傭兵として参加した、ある“護衛任務”の支払いが足りないとの主張だった。
聞くところ、エルノアの物資輸送の護衛を担当したのがこの男らしい。
しかし、エルノアを置いて帰還したため、契約未達として報酬は一部しか支払われなかったという。
「俺が“置いてきた”わけじゃねぇ。あの坊っちゃんが“残ること”を選んだんだ」
街の為に物資の輸送を最優先した結果だったのだろう。
エルノアがあのブランを置き去りにできなかったのだろうとも思えた。
「生きて帰ってきたなら、話は別だ」
男は、自分の仕事は真っ当したのだと、声と態度で訴えていた。
「それでも、エルノア様を“置いてきた”という事実は覆りません」
ベルナルトさんは冷たい目で男を見つめる。
「お帰りにならないのであれば、こちらとしても“対処”させていただくしかありませんが」
そして袖口を整えながら、鋭い口調でそう呟いた。その瞬間——
屋敷の空気が変わった。
息ができなくなるほど重く、そして一瞬にして貫くような“気”が満ちた。
その様子に、先程まで威勢の良かった男も、たじろぐように姿勢を崩した。
額には汗が滲み、顔色も悪い。
後ろで見ている俺たちまで、膝が笑いそうになる。
「なんの騒ぎかと思ったら。君か、ガルド……」
どこからともなく、エルノアの落ち着いた声が重たい空気を裂いた。
その場の皆の視線が彼の方へ流れる。
しかし、ベルナルトさんの瞳だけは変わらず目の前、ガルドと呼ばれた男を捉えたままだった。
「ベルナルト。彼に残りの報酬を」
エルノアの言葉にベルナルトさんの視線が動いた。
張り詰めていた空気が少し戻り始める。
「いや、しかしですね」
「いいから。はやく」
「……かしこまりました」
ベルナルトさんはそそくさと奥の部屋へ姿を消し、やがて小さな布袋を手に戻ってきた。
そしてそれをガルドへと差し出す。
その表情は怒りではないが、小さな嫌悪を滲ませているようだった。
ガルドは布袋を奪い取るように受け取り、封を開け中身を覗き見る。
「確かに」
そう呟くと、静かに振り返り屋敷をあとにする。
振り向きざまに合った視線の奥には、何か大切な“使命”を抱えている気配を感じた。
バタンと扉が閉まる大きな音が響く。
それを合図にするかのように、集まっていた使用人たちはバタバタとそれぞれの持場へと戻っていった。
視界の隅ではエルノアがベルナルトさんを諭している姿が見えた。
あっという間の出来事に、感情と情報の整理が追いつかない。
それでも、二人とも俺たちとはまた別の“力”を持っているのだと、改めて実感した。
しばらくして、俺たちの前へベルナルトさんが静かに歩みよってくるや、大きく頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ございません。一度ならず二度までも、お詫び申し上げます」
地面と水平を描く、あまりにも深い頭の角度に、俺たちは揃って両手を大げさに振った。
「いえ、そんな。頭を上げてください!」
「そ、そうですよ! 私たち何とも思ってませんから」
「気にしないから、大丈夫よ〜」
あたふたと思わず挙動が不自然になってしまう。
「君たちはほんとに仲がいいね」
エルノアが口を大きく開けて笑った。
「ほら、彼らもそう言ってるんだ。そろそろ頭を上げたまえ」
エルノアの声にベルナルトさんはゆっくりと頭を上げ、こほんと息を吐き、襟元を整えた。
「そろそろ食事の準備ができる頃だね。ベルナルト、彼らを部屋へお連れして」
「かしこまりました。では皆様、こちらへ」
俺たちはその声に従うまま、ベルナルトさんの後に続いて屋敷の廊下へ足を進める。
「私も少ししたら向かうから、楽しんで」
後ろで小さく手を振るエルノアにつられて、振り向きながら俺も小さく手を振った。
◇
やがて俺たちは一つの部屋の前にたどり着いた。
それにしても広い屋敷だ。
入口からここまで、ゆっくり歩いたとはいえ、それなりの時間がかかった。
道筋も直線ばかりでなく、何回か曲がっているせいで来た道を戻るにしても迷う自信がある。
「これは、迷子になりそうだねぇ……」
あの“迷いの森”を自由に闊歩していたセラでさえ、弱気なセリフを吐いていた。
「どうぞ、中へお入りください」
ベルナルトさんが扉を開けると、部屋の中から美味しそうな香りがブワッと襲いかかってきた。
鼻腔を刺激するあまりにも魅力的な香りに、思わずよだれが出そうになる。
目を見開くと、部屋の中心に備え付けられた机には、様々な料理が並べられていた。
それはまるで、今日街中で見た屋台の料理全てが並んでいるような壮大な光景だった。
想像以上の光景に固まっていると、さらに料理が運ばれてきた。
料理を手にした女性はこちらに気づくと、机に皿を並べ、俺たちの方へ歩み寄る。
恰幅のいいその女性は、俺の前で足を止めると掌で大きく俺の肩を勢いよく叩いた。
「あんたらがエルノア坊ちゃまの命の恩人だね! 今日は腕によりをかけて作ったから、いっぱい食べな!」
その勢いのまま押されるように席へと促される。
リディアとセラもそれに続いてそれぞれ席へ付いた。
椅子に腰を下ろし、改めて目の前の状況を目の当たりにする。
俺は料理に詳しいわけじゃないが、それでも手の込みようが分かる料理が一面に並んでいた。
「圧巻だな……」
前の席に腰掛けた二人も、俺と同じような目で机を眺めていた。
「ほら! どんどん食べなよ!」
平手で背中をバンバン叩かれ、急かされるようにナイフとフォークを手に取った。
俺たちは自然と目を合わせた。
「いただきます!」
三人の声が重なる。
さて、何から口にしたものか……あまりにも種類がありすぎる。
さらに見覚えのない食材も使われているようで、余計に手を迷わせた。
「カイル、これ美味しいよ。リディアもほら」
セラは躊躇なく目の前の皿から料理を取り、俺とリディアの皿に盛り付ける。
いつの間に口に入れたんだ?
皿に取り分けられた前菜には、レタスの緑の中に色とりどりのパプリカ、そしてナッツが散りばめられ、その上には茶色と緑が混ざったような色合いのソースがかかっていた。
口に運ぶとシャキッとした野菜の歯ごたえが感じられ、それをさっぱりとした爽やかな風味のソースが包み込む。
ソースの材料はオイルと酢と香草か?
前菜として、これ以上ないほど食べやすく美味い。
正面のリディアも目を見開き、手で口元を押さえながら、無言で頷いていた。
そこからは早かった。
どれを口にしても驚くほど美味しく、見たことも口にしたこともない食材や調味料も新鮮でどれだけ食べても飽きなかった。
特に大海で取れたという魚を丸ごと使った焼き物は、味付けはシンプルながらも口の中でふわっとほどけるやわらかさと、じゅわっと広がる油の旨味が最高だった。
村で食べた魚はどれも小さく身も硬かったから、同じ魚でもこんなに違うのかと驚いた。
机の前の二人も思い思いの感想を述べながら、楽しい食事の時間が過ぎていった。
「もうさすがにお腹いっぱいだな」
「こんなに色々食べたの初めてです」
「毎日食べたいね……」
膨れた腹部をさすりながら、温かい茶をゆっくり口にした。
「すまない、少し遅くなった」
入口の扉が開き、エルノアが部屋に足を踏み入れる。
「食事は堪能できたみたいだね」
彼は空になった皿を見ながら確信を帯びた目で「良かった」と呟いた。
「こんな美味い料理は初めてだ」
俺がそう口にすると、バタバタと足音が聞こえ、厨房らしき奥の部屋から先程の恰幅のいい女性がひょこっと顔を覗かせた。
「ありがとね! こんなに美味しそうに食べてくれるとこっちも嬉しいよ!」
その満面の笑みに、思わず俺たちの頬も緩んだ。
彼女が厨房へと戻ると、エルノアはゆっくり振り向くと部屋の扉を開き、外へ手招きする。
「もう遅いし、今日は泊まって行くといい。部屋に案内するよ」
「そんな、いいのか?」
「もちろんさ、自分の家だと思ってくつろいでくれ」
自分の家と思えるまで、この環境に慣れそうもないが……行く宛があるわけでもない。
「じゃあ、お願いするよ」
俺は首を縦に振り、エルノアの後に続いた。
「お腹も苦しいし休ませてもらいましょ」
「エルノアさん、ありがとうございます」
「ふふ、風呂もあるからゆっくりしていくといいよ」
「お風呂!」
彼の風呂という言葉に、二人の足取りはさらに愉しげに地を蹴った。




