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勇者の消えた世界で  作者: 紫京アイラ


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第二十五話 置き去りの記憶

 門をくぐる前から気づいてはいたが、今まで訪れたどの場所よりも圧倒的に人の数が多い。あちらこちらで人々の話し声や笑い声が聞こえる。視界の隅では、子どもたちが元気に駆け回っていた。

 すれ違う街の人は皆、絶望感や焦燥感ではなく、希望に満ちた目をしているように感じた。

 

 もちろん心の内までは分からない。

 しかし、今まで訪れた集落や町、そして俺が住んでいた村の雰囲気とは、大きくかけ離れていた。

 

「大きい建物ですね……」

 リディアは自分の背丈の何倍もある建物に囲まれ、落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見渡している。

「ねぇ! 見てこれ!」

 セラは突然走り出し、店先に並ぶ珍品に目を輝かせている。

 

 この街では、外では失われた営みが、平然と繰り広げられていた。

 

 けれど同時に、街に入る前に見た戦士たちの姿が頭に浮かんだ。

 この平和を必死に守っている人たちがいる。

 自らを危険に晒して何かを守る過酷さを思うと、自然と胸が熱くなった。

 

 そんな街の様子を噛み締めるように歩く。

 

 ふと、街路の小道の奥に何かが見えた。なぜか無性に気になって、体を向かわせる。

 

 するとそこには、崩れた石碑のようなものが佇んでいた。

 手入れされた街の様子とは異なり、その周辺だけ外の荒廃した気配を帯びているかのようだった。

 書かれていた文字も、読むことが難しいくらいに煤けて、一部崩れてさえいた。

 なんとなく不憫に思い、溜まった泥を手で払い除けた。――その時。

 ある言葉が浮かび上がった。

 

『勇……行、エル……ンの偉……な功……』

 

 所々、風化し完全には読み取れない。

 しかし、そこには兄エルディンの名前が書かれているに違いなかった。

 

 無我夢中で石碑の汚れを払う。痛みが走る右腕を、押し付けるように。

 しかし、強く擦ると石はボロボロと崩れ、更に形を失ってしまった。

 

「あぁ! くそっ!」

 

 全身汚れに塗れながらもなんとか読み取ろうとするが、綺麗にしようとすればするほど見えなくなっていく。

 

 視界がぼやける。

 

「なんで……こんな……」

 

 ボロボロになった石碑を前に、俺はただ佇むだけだった。


 ——それからどれくらい時間がたっただろうか。

 

 俯いた顔をなんとか前へ向ける。今までも何度だって経験したことだ。

 視界に入る兄の痕跡が、痛いくらいに胸に棘を残すが、悲しんでばかりではいられない。

 ぐっと歯をくいしめた。

 

「あっ! こんなとこにいた!」

 背後からセラの声が響き、慌てて振り向く。

「どうしたんですか! そんなに汚れて!」

「ちょっと転んでしまってな! こっちは泥濘んでるから来ないほうがいいぞ」

 駆け寄ってくるリディアを引き止めるように石碑の前から通りへ抜ける。

「なにかいいものでも見つけて、はしゃいじゃったんでしょ〜」

「……あぁ、まぁそんなとこだ」

 からかいに来るセラに悟られないように、できるだけ平然を装う。察しのいいセラのことだ、もしかしたらバレているかもしれないが、気にしている暇はない。

「それこそ、二人はなにか見つけたか?」

「美味しそうなご飯屋さんがありましたよ!」

 キラキラと目を輝かせるリディア。

 なぜだかその様子がいつも以上に微笑ましく、思わず笑ってしまう。

 

「そうか。じゃあとりあえず何か食べようか」

「その後でいいから薬屋寄っていい? 素材とか薬とか見てみたいんだ〜」

「分かった分かった」

「その前にその汚れなんとかしないとですね……」

 二人と会話を重ねながら、ゆっくりと街の奥へ歩みを進める。

 街路奥から乾いた風が吹いた気がしたが、今は二人の要求に答えるのに精一杯だった。

 

 リディアに連れられ訪れた食事処は、煉瓦づくりの小さな食堂だった。

 老夫婦が営むその店は素朴ながらも温かく、出てきた料理は驚くほど優しい味だった。

 

「美味しい……」

「これ好きかも」

 リディアが頬を緩め、セラは香草の効いた肉料理に目を輝かせている。

 野菜がゴロゴロと入ったスープは、懐かしい故郷の味がした。

 

 食後に寄った薬屋では、棚いっぱいに並べられた素材を見たセラが夢中で物色し、店主と話に花を咲かせていた。

 俺とリディアは何に使うかも分からない奇妙な品々を眺めながら、想像に話を膨らませた。

 

 その後も時間の許す限り、三人で街を物色して歩いた。

 日が傾きだす頃には、胸に刺さった棘も随分小さくなり、自然と二人の笑い声に歩幅を合わせていた。

 

「流石にちょっと疲れたねぇ……」

「大きい街ですね……まだ半分も見てませんよ」

「しばらく滞在する予定だからゆっくり楽しもう」

 そろそろ約束の時間が近づいている。

 探検も程々に、エルノアが指さした方角へ、並んで歩き出した。

 

 そんな道すがら、ふと視界に剣や盾が並ぶ武具屋が飛び込んできた。

「すまんが、少し見てもいいか?」

 二人が小さく首を縦に振る。

「……らっしゃい」

 店に入ると、無愛想な男がジロリとこちらを見つめる。その刃物のような張り詰めた視線は、こちらを値踏みするような静かな熱があった。

 思わず背筋が伸びる。

 

 店主の視線に気圧されながらも、店内を物色する。

 村を出るときに持ってきた剣も盾もかなり痛みが出ていた。

 ちらりと装備に目をやると、今にも刃毀れしそうな剣。傷だらけの盾は所々小さな亀裂が入り光が透けていた。

 

 右腕の痛みのことを考えると、剣はもっと軽めでもいいかもしれない。

 そして盾は逆により強固なものを、しかし扱いやすさは外せない。

 いくつか商品を手に取り、思考を巡らせるが考えは纏まらなかった。

「また寄せてもらうよ」

 店主に軽く頭を下げ、店の扉をくぐった。

 

 もう少し考えてみよう、これからの戦い方とそれに合う装備について。

 

「もういいんですか?」

「なにかいいものあった?」

 店を出ると二人の声が同時に俺を迎えてくれた。

 背後にはまだ店主の視線を感じるが、張り詰めていた肩の力がふっと抜けた。

 

「装備を新調したいんだが、まだピンとこなくてな……」

「結構、傷付いてるもんねぇ」

「今度またゆっくり見に来ましょう!」

「じゃあ私が見繕ってあげるよ。強そうなやつ」

「セラさん剣とか詳しいんですか?」

「ん〜? 全っ然!」

「大丈夫かよ……」

 寄り道はしたものの、約束の時間にはどうにか着きそうだ。

 他愛もない会話をしながら歩くその足取りは、疲れているはずなのに不思議と軽かった。

 

 そして、俺たちは目的地へと辿り着いたのだが……

 

「ねぇ……、ほんとに“これ”がエルノアの家なの?」

「エルノアの言う通りならそのはずだが……」

「すごいですね……」

 

 目の前には頑丈な壁に囲われた、まるで“城”のような豪邸がそびえ立っていた。

 その建物は街の喧騒から切り離されたような、厳かな空気を放っていた。

 

 灯火に照らされる重厚な門の前で、俺たちは揃って言葉を失った。

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