第十話 森を知る者
「……魔導師?」
リディアが瞬きをしながらセラを見つめた。
「うん、まぁ――簡単に言うと“魔法使い”ってやつかな?」
セラは気だるげに答えながら、杖の先で自分の頭を軽く掻く。
その動作ひとつにも余裕があり、場の緊張が少し和らいだ。
「協力って……この森のことを知っているのか?」
俺が問うと、セラはわずかに口角を上げた。
「知ってるも何も……そうだね、ここじゃ説明もしづらいし。とりあえず、もう少し落ち着ける場所にでも行こうか」
そう言って、セラは森の奥を指差した。
指先の動きはゆるやかだが、その目だけは鋭く、何かを見透かしているようだった。
「あんたら、悪い人じゃなさそうだし」
セラはそう言って俺たちを順に見た――その一瞬、視線がリディアの胸元へと流れる。
蒼く淡い光を帯びた石――リディアのペンダントに。
「……へぇ」
低く小さな声が漏れる。その表情には、一瞬だけ探るような色が浮かんだ。
「じゃあ――行こうか!」
セラは何事もなかったかのように、軽やかに歩き出した。
その背中はどこか頼りなくもあり、しかし不思議と逆らえない力を持っていた。
俺たちは顔を見合わせ、彼女の後を追うことにした。
「この森は一体どうなっているんだ?」
俺の問いに、セラは欠伸をかみ殺しながら気怠げに答えた。
「この森はね、魔力が濃すぎる森なの。そこら中に“精霊”がうようよしてんのさ」
「精霊……?」
リディアが小さく首を傾げる。
「あぁ、あんたら“四元素”って言葉、聞いたことある?」
セラが杖をくるりと回し、俺たちを順に見た。
俺とリディアはそろって首を横に振る。
「やっぱりね。つまり――この世界のあらゆる物質は“火・水・土・風”の四つの要素でできてるって考え。昔から魔導師の基本中の基本よ」
セラは空中に指を滑らせ、まるで目に見えない文字を描くような仕草をした。
その指先に、わずかに光の残滓が浮かぶ。
「でね、この森には、その“四元素”をそれぞれ司る精霊たちがたーーーくさんいるのさ」
彼女は両腕を大げさに広げて、芝居がかったように言った。
「たーくさんって……それって危険じゃないのか?」
俺が眉をひそめると、セラはへらりと笑って肩をすくめた。
「まぁね。でも彼らが悪意を持ってるわけじゃないの」
「ここが“迷いの森”と呼ばれるのは、精霊に関係が?」
その疑問が自然と浮かんだ。
「うん、あるよ。精霊たちは“気まぐれ”でね」
セラは杖をくるくる回しながら言葉を続けた。
「ちょっと魔力の流れを歪ませるだけで、空間がねじれて蜃気楼が生まれるの」
杖の先で地面を軽く突く。
その瞬間、風が渦を巻くように揺れ、景色が一瞬だけ歪んだ。
木々の影がねじれ、足元の土までゆらりと波打つ。
「――こんなふうに」
「っ……!」
思わず一歩下がる俺とリディア。
「だから、あんたらがまっすぐ歩いてる“つもり”でも、実際はぐるーっと旋回してるのよ。そして――」
セラは片手をくるりと回して、指を鳴らした。
「――あら不思議! 元の場所へ、いらっしゃいってわけ」
「……つまり、俺たちは精霊に遊ばれてたってことか」
「まぁ、そういうこと」
セラはにやりと笑い、肩をすくめた。
リディアは目を瞬かせながら呟く。
「……精霊……私、声を聞いたんです。あれも、その……?」
「そうね。魔力に敏感なあんたみたいなタイプは、精霊の声を拾っちゃうのよ」
セラの声が少し柔らぐ。
「でも安心して。ちゃんと制御すれば、それは“力”にもなる」
セラの言葉に、リディアの表情がわずかに明るくなった。
俺はそのやり取りを見つめながら、ようやく理解した気がした。
――この女、見た目よりずっと“できる”奴だ。
「セラは、どうしてあの場所に?」
俺がふと疑問を問いかけると、セラは肩をすくめて気だるげに答えた。
「私? 私はただ木の上で昼寝してただけだよ。そしたらさぁ、急に大声がして……いやぁ、びっくりしたよ」
「す、すみません……」
リディアがうつむき加減で呟く。
「俺たちのことを“外から来た”って言ったな。ということは、セラは……」
「まぁまぁ、その話は後で。もう少しで着くから、そこでゆっくり話そうよ」
セラは杖を軽く振りながら先を歩く。
「人と話すの、ほんっと久しぶりでさぁ」
俺たちは顔を見合わせ、セラの後に続いた。
歩くたび、森の空気が少しずつ変わっていく。
木々の密度が増し、霧が薄く漂い始める。
どこからともなく小さな光の粒が舞い、まるで夜明け前の星空のようだった。
その中を、セラは何かを呟きながら進んでいく。
耳に届くその声は、呪文のようでいて、どこか歌にも似ていた。
杖の先で地面を軽く突くたびに、淡い光が地を走り、霧がわずかに晴れていく。
「よし……」
セラの歩みが止まった。
その瞬間、何もなかったはずの眼前の空間が、ふっと揺らめいた。
淡い光の筋が絡み合い、空間がねじれる。
そして――何もなかった場所に、古びた石造りの建造物が静かに姿を現した。
蔦が絡まり、入口には不思議な文様が刻まれている。
「……っ! いつの間に……」
思わず息を呑む。
セラは振り返り、いつもの気怠げな笑みを浮かべた。
「ようこそ。ここが私の工房――まぁ、隠れ家みたいなもんかな」
杖の先で軽く扉を叩くと、音もなく扉が開く。
「えっと……あんたら、名前なんだっけ?」
俺たちは目の前の光景に目を丸くしながら答える。
「俺は、カイル」
「私は、リディアと申します」
「カイルとリディア……ね。悪くない名前だね。中にどうぞ。ちょーっと散らかってるけど、気にしないでね」
俺とリディアはお互いに顔を見合わせ、扉の奥へと足を踏み入れた。
――次の瞬間、思わず言葉を失う。
扉の内側には、所狭しと書物や小瓶、乾燥した草花、金属片のようなものが積み上げられていた。
天井からは無数のランプが吊るされ、淡い光がゆらゆらと室内を照らしている。
どこからかハーブの香りと、焦げたような匂いが入り混じっていた。
「これが“ちょっと散らかってる”か……?」
俺は足の踏み場を確かめながら、慎重に部屋の奥へと進む。
後ろを振り向くと、リディアは目を輝かせていた。
「すごい……カイルさん! 見てください、これ!」
リディアが指さしたのは、一冊の分厚い魔導書だった。
豪華な装飾が施され、窓から差し込む光を反射して淡く輝いている。
「あぁ、それ気になる? でも触んない方がいいよ。中には“本当に痛い目”見るのもあるから」
セラが気の抜けた声で言う。
「ひっ……!」
リディアは慌てて手を引っ込め、俺の後ろに隠れた。
そんな彼女を見て、セラが口の端を上げて笑う。
「ははっ、冗談冗談。あんた可愛いね」
リディアは頬をぷうっと膨らませて、むっとした顔でセラを睨んだ。
俺は苦笑しながらも、二人の温度差に少しだけ安心する。
「ほら、立ち話もなんだし座りなよ」
セラは長椅子の上の荷物を杖で乱暴に押しやり、半分ほどのスペースを空けた。
「散らかってるのは気にしないで。……あ、でも座った拍子に何か爆発しても責任は取らないからね」
「は?」
俺とリディアは同時に固まった。
セラはケラケラと笑いながら腰を下ろす。
その飄々とした笑い声が、どこか不思議と安心を誘った。
ここが“迷いの森”の中だというのに――緊張の糸が、少しだけ緩む。
「で、お二人さんは何しにこの森に?デートって感じじゃないよね?」
からかい口調とは裏腹に、瞳には俺たちを試すような光が宿っていた。
「あぁ、俺たちは――」
彼女の掴みどころのない態度に翻弄されながらも、俺はこれまでの経緯を語り始めた。




