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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

べとべとさんが通る。

作者: 水定ゆう

 シトシトと雨粒が走る。

 青空を覆う黒い雲は分厚い。

 目の前には大きな湖があり、光が当たらないせいか、今日は冷たくて暗い。


「ここがね」


 そこに現れたのは高校生くらいと思しき少年。

 黒い傘を差し、湖を眺める。

 柵が全体を囲っており、その周りには石のタイルで湖畔に公園が作られていた。


 その前には舗装された道が広がる。

 ちょっとしたランニングコースとして有名。

 なのだが、少年はこんな雨降りの中、走りに来たつもりはない。


「あれかな?」


 パイロンが立っているのが見えた。

 三角の赤い下地に白のシマシマが入ってる。

 その周りを黄色と黒の虎柄テープで囲ってあった。


「ふふっ、ここで事件があったのか」


 ニヤリと笑う少年。まるで喜んでいるみたい。

 何処からともなく本を取り出す。

 雨に打たれても一切へこたれない、あまりにも丈夫な黒い本で、少年はサッと開いた。


「どれどれ、収集させて貰おうかな」


 少年の瞳がギラついた。

 あまりにも不気味で、人間の皮を被った化物のよう。

 そう見えてもおかしくない気配を放つと、少年はその場で起きた事件を読み取った。




「ふっはぁふっはぁ!」


 男性が一人、黙々と走っていた。

 ランニング用のウェアを着込み、明らかに走る人だ。


 青空が広がる。白い雲が踊る。

 過ごしやすい気温は、まさしくランナーの味方。

 そう思わされる中、男性は腕を振り、張った太腿を上げていた。


「この調子だ、この調子を維持」


 男性は走るのが好きだった。

 もちろん走っている間は苦しい。

 それでも“生きている”と実感出来る。


 それが何よりも男性にとっての幸福。

 それ以外は何も要らない。

 そう思わせてくれるほど、走るのは男性の生き甲斐だった。


「次の大会も絶対に勝ってやる」


 男性はプロの陸上選手だった。

 長距離の選手で、日々鍛錬を欠かさない。


「ぅー」


 とは言いつつも、ここ最近、男性は悩まされていた。

 それは練習中のことだ。今日とそれは、“ペタペタ”と足音を立てて、男性を追い掛ける。


 ペタペタペタペターー


 男性はこれでもプロだ。

 一定のリズムで地面を駆けると、少しだけ足早になる。


 流石に追い付けない。追い付かれる筈がない。

 にもかかわらず、ペタペタと足音は追い掛ける。


「今日もか」


 男性は集中力を乱された。

 イヤホンをして、好きな音楽を聴いて、テンションを上げる。そうして足音を忘れようとするが、男性の背中には、ピッタリと足音と気配が続いていた。


「……誰だ!」


 男性は振り返ってみた。

 しかしそこに怪しい人影はない。

 ましてや背後をピッタリ付いてくるなんて、あり得ない状態で、男性の声だけが響いた。


「嘘、だろ?」


 振り返ってはみた。しかし誰も居ない。

 キョロキョロ視線を配るも、怪しい人影はやはりなかった。


「なんかの嫌がらせか?」


 男性はプロだ。コンディションを崩す訳には行かない。

 それが分かった上で、わざとやられているのかもしれない。

 そう思わされると腹が立って仕方がないが、何よりも気持ち悪い。


「き、気持ち悪いな」


 男性は気持ち悪いと思った。

 だけど一体誰が付いて来ていたのか?

 男性は気味が悪く、集中力を掻いてしまった。




「えっ、それヤバいわよね?」


 男性は女性に声を掛けられた。

 今過ごしているのは自分の暮らしているマンションだ。そして女性は彼女であり、男性のことを気遣っていた。


「ああ」


 男性は女性に心配された。

 それでも右から聞いて左に流す。

 スマホに目を落とし、心配もよそにだった。


「明らかにストーカーの仕業よね?」

「そうかもな。けど、これの速度についていけるのか?」

「そうよね。貴方は長距離走の選手もの」


 女性は男性と付き合うにあたって、何とか走ったことがある。

 そもそも馴れ初め自体が、トレーニングのためにランニングをしていた時だ。

 女性も走る方ではあるが、プロではない。その差を見せつけられ、以後は男性の健康管理に従事していた。


「でもそれって本当にヤバいわよ。すぐに警察に相談した方が……」

「いや、要らないだろ。振り返っても誰もいないんだ」

「振り返っても、って。もしかして幽霊!?」

「おいおい、そんなもの信じてるのか?」


 何故か振り返っても姿が見えない。

 幽霊なのではないかと、女性は怯えた。

 しかし男性は幽霊や妖怪を信じない。

 そのせいか、鼻で笑っていた。


「でもそうじゃないとおかしいでしょ? 怪異だって、現実に存在しているんだから」

「怪異?」


 この世界では、世にも不思議なことが起こる。

 それは怪異として、噂の範疇を飛び越えている。

 警察の中には怪異を対処する専門の部署のある程で、もはや都市伝説の枠組みを超えていた。


「そんなもの、あるわけないだろ?」


 男性は頑なに信じない。

 それも普通のことで、怪異なんてまやかし。

 それでも女性は男性を心配すると、スマホの検索アプリで、情報を打ち込んで調べた。


「あっ、これとか!」

「はぁ?」


 女性は男性にスマホを見せた。

 グッと近付けられると、怪訝な顔をする。

 しかしスマホの画面に映るものに、視線を奪われた。


「べとべとさん? なんだよそれ」


 聞いたこともない名前だった。

 しかもイラストも不思議な形をしている。

 青い半透明の体。手はなくて足が生えている。大きな口を開け、人間の後ろを付いて回る。


「なんだよ、コイツ?」

「べとべとさんよ」

「べとべと、はぁ!?」


 それは昔ながらの日本妖怪。

 人間に危害を加えることはなく、ただ夜道で足音が聞こえるだけ。

 奈良県の妖怪で、足音を不快に感じるときは、「べとべとさん、お先に行きな」と言い、道の端に寄って口走るといいらしい。


「なんだコイツ、変な妖怪だな」

「でも有名よ」

「有名?」


 男性は知る筈がなかった。

 というよりも興味が無く、大体妖怪なんてものを信じていない。

 そのせいか女性の心配も突っぱねると、席を取った。


「バカバカしい」

「ちょっと、何処に行くのよ?」


 女性は立ち上がった男性が、手にスマホを持っていることに気が付いた。

 スッと睨みを効かせる目をした。

 上から目線で、男性は女性に言いつける。


「少し出てくる」

「出てくるって、またトレーニング?」

「ん、ああ」


 何処か詰まったような口調だ。

 違和感があるが、男性は女性に口を挟ませない。


「そんなことよりもだ。食事の管理、これ通りに作れよ」

「作ってるわよ」

「ふん、できていないから言ってるんだが?」


 男性はそう言うと、ばつが悪いのか、女性の前から姿を消す。

 何やら裏がありそう。女性はそう思うと、ポツリと口にした。


「本当、どっちが大事なのよ」


 女性はつい溜息を付いた。

 視線の先にはプロテインの袋。

 疎ましく思うと、ファンから貰ったものだというそれから目を逸らした。




「んじゃ、ちょっと行ってくる」

「今日も走るの? 雨が降ってるのよ?」


 男性は日課のランニングを欠かさない。

 バカみたいに真面目なせいか、女性は呆れてしまう。空は曇天で、ポツポツと雨が降っていた。


 このままだと本降りになるかもしれない。

 雨に打たれれば、それだけで辛い。

 女性は男性の身を案じるが、そんな理由で、トレーニングを欠かしてはいけない。


「なに言ってるんだ。プロがこんな天気で、トレーニングを欠かす訳ないだろ?」

「でも、べとべとさんが!」

「そんな怪異だったか? 信じる訳ないだろ。んじゃ、ちょっと走ってくる」

「あっ、ちょっと……」


 男性は女性の忠告を全て無視した。

 べとべとさんなんて居る筈がない。

 そう思うと、マンションを出て、ランニングに向かった。



 バサバサバサバサ!


 雨足が酷くなる。

 空は雲に覆われ、湖は荒れていた。

 今にも上がった波が襲い掛かってきそうだが、耳にイヤホンをして、まるで気にしていない。


「ふっはっふっはっ!」


 男性は好調だった。

 いつもと違うのは、耐水性の高いウェアを着ていることだろうか? プロである以上、こんなこともざらにある。慣れておく必要なあるが、足を取られてしまいそうで嫌だった。


「バカバカしい、なにがべとべとさんだ。そんなもの、居るわけがないだろ」


 男性は怪異を信じない。そもそもそんなものがいる筈がない。

 世間で昔から噂になっている都市伝説? そんなものに興味も無いのだ。


 だからだろうか? イヤホンから流れる音に意識を集中させた。

 余計なことは考えないようにする。

 自分の世界に浸り込むと、集中力を上げて走った。


「ふっはぁふっはぁふっはぁふっはぁ!」


 男性の息遣いが早い。ペースがいつもよりも早いのだ。

 そのせいか、男性は汗を掻いていた。雨が汗を上書きしてくれるものの、体力が奪われる。


「もっとペースを上げて、体温を上げるか」


 男性は雨で体が冷たくならないようにした。

 体調管理もプロのうち。最近飲み始めた貰い物のプロテインも慣れてきた。

 おかげで体がますますデカくなったと喜んでいた。


「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ」


 体が悲鳴を上げるくらい体温を上げる。

 いつもの三倍のペースで走ると、視界が徐々に歪む。流石に早過ぎた? そのせいで雨粒が邪魔をしたのか?

 何にせよ、走るのに支障が出た。


「うっ、少しペースを落として……はっ!?」


 少しペースを落とした。男性は足を止めようとはしない。

 それでも微かに走ると、好きな曲の間奏に入る。

 この曲、三分過ぎに一瞬だけ音が切れる。それが目安になると、一キロあたりのペースを測っていた……のだが、妙な音が聞こえた。


 ペタペタペタペタ


 背後から足音のようなものが聞こえた。

 気のせいだ、きっと気のせい。

 雨粒がますます強まり、威勢を増して槍のようになると、男性は目元を拭う。視界がぼんやりとして、体がフラリとした。


「あ、あれ? やっぱり、雨の日は……(ブスッ!)」


 男性の体がよろけた。

 急に力が入らなくなり、背中に痛みが走る。

 おかしい、何が起きたのか? 男性は気を失ってしまうと、そのまま地面に倒れた。


 雨粒が真っ赤な液体を洗い落とす。

 新品のウェアには何か棒のようなものが刺さる。

 それを引き抜かれると、赤い絵の具が噴き出て、男性の体がピクン! と跳ねた。


「はぁはぁはぁはぁ、やっと、やっと、やっとよ」


 男性の背後には女性が居た。

 顔をフードで隠しているが、倒れた男性を見下ろす形になる。


 助ける気はない。そもそも助けたくない。

 その手には包丁が握られており、丁寧に持ち手の指紋を拭き取る。


「貴方がいけないのよ。私に黙って、他の女とやり取りをするから」


 女性の正体は男性の彼女。

 献身的に男性のプロ意識の高さに貢献してきた。


 それこそ身を粉にしてきたのだ。

 しかし男性はそんな女性のことを踏み躙った。

 SNSで女性と浮気をしていたのだ。


「あの時、貴方がDMなんかしなければ、こんなことにはならなかったのよ」


 女性は何度も男性を追っていた。

 チャンスを待っていたのだ。

 男性のペースに合わせ、毎日同じコースを走り、時にはファンのふりをしてプロテインと見せかけた発熱剤を贈っていた。


 それらを服用し、まんまと女性の思惑に嵌められた。

 それもこれも男性が浮気を認めない上に、辞める気もなく、寧ろそれをネタにしていたから、許せなかったのだ。


「貴方にどれだけ私が尽くしてきたと思ってるのよ。せめて最後は、私のために尽くしてよね」


 女性は男性を殺した包丁を湖に捨てた。

 これだけ荒れていれば、早々見つかる事はない。

 本当に雨の日にランニングをしてくれて助かった。女性はニタリと笑うと、男性の遺体を放置して、無関係の一般人を装い、ランニングを再開して、その場を立ち去った。




「なるほどね」


 少年は満足した。

 本を見てみると、怪談が記されている。

 少年の能力、実は魔法使いなのだ。


「べとべとさんの正体は、人間だった訳か」


 べとべとさんの正体。それは浮気をしていた男性を恨んでいた女性。

 彼女である筈が、頻繁にSNSでDMを使いやり取りをしていた。


 そのことに腹を立てた女性が、男性を刺した。

 普段から聞こえていた足音は、女性が男性を追い掛けていたから。


 雨の日になって気が付かなかったのは、そのままの理由。

 “雨のせいで音が掻き消されていた”。つまり女性にとって、これは好奇だったのだ。


「浮気はダメってことか」


 あまりにも得られた教訓が普通だった。

 浮気自体が悪い訳ではなく、少年がそう思ったに過ぎない。

 けれどおかげで面白いものになったと、にんまりと笑みを浮かべる。


「ふふっ、いい味出してるね」


「結局は人間そのものの悪意が怪異になってしまう訳か。これは、いい物語になりそうだよ」


 少年は満足した。

 結局の所、女性がその後如何なったのかも、男性が助かったのかも関係がない。


 少年にとっては、そこで起きたことが重要。

 それがそのまま金に繋がる。少年は小説家、ホラー専門の小説家で、事実を捻じ曲げ、幾らでもフィクションで面白おかしく塗り固める。


「さてと、帰って執筆と行こうかな」


 少年はその場から立ち去る。

 情念がいつしか本物の怪異になるかもしれない。

 その時はその時、面白い怪談になればいいと、人間の命を粗末で滑稽な物語として見立て、後にするのだった。


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