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光闇叙情譚  作者: はくちゅ
『光闇』
2/2

1 - 2 魂の特異点

※この作品には、描写の中に痛みを伴う場面が含まれます。苦手な方はご注意ください。

それでは、よろしければ最後までお付き合いください。

ヴォイドと共に転送された先は、まるで世界そのものが血で染まったかのような、真紅の空間だった。空も地も壁もなく、ただ一面の紅が広がっている。どこまでも均一なその景色は、異様なまでに静かで、まるでこの世の音という音を閉ざしたかのようだった。


空気は重く、沈黙とともに肺へ沈み込む。温度もなく、匂いもない。それがかえって異様さを際立たせていた。ボリスは無意識に眉をひそめ、胸の奥に不安の波紋が広がっていくのを感じた。


そんな中、ヴォイドは迷いなく歩き出す。彼の足音はなぜか響かず、大地の紅に吸い込まれていくかのようだった。


「ここは“罪人の世界”。何も語らぬ抜け殻の男がいる」


その声もまた、空間に染み渡ることなく、ボリスの鼓膜の奥に直接触れたかのように響いた。


「罪人……何をしたんだ?」


「主様にしか分からぬ。記録は消されている。だが、かつての創造主であることは確かだ」


視線の先、ぼんやりと影のような人影が浮かび上がる。近づくにつれ、それは白髪混じりの短髪の男であることが分かった。中肉中背の体つき。拘束もされず、ただ俯いて、世界の中心にでもいるかのように静かに佇んでいる。


まるで時間に見放されたかのように、身じろぎもせず、生の気配が薄い。その姿は、もはや生者と呼べるのかも定かではなかった。


「気をつけろ。あの男は、神を殺す力を持っている」


「それでも行くよ。ヴォイドがいるなら、大丈夫」


ボリスは静かに歩み寄り、男の前に腰を下ろした。空間が、彼の動きに合わせて微かに震える。彼の存在は、言葉では言い尽くせぬ重圧を放っていた。狂気とも絶望ともつかぬ、深く静かな混沌。それは、感情のすべてが静かに、しかし確実に沈殿してゆく場所のようだった。


「紹介する。新たなる神、ボリスだ。……殺すか? 生かすか?」


ヴォイドの声に、男の肩がわずかに震えた。些細な揺れに、ヴォイドの目が鋭く細まる。


虚ろな瞳が、ヴォイドをかすめ、ボリスを見つめる。その視線には、何か忘れていたものを呼び戻そうとする微かな葛藤が滲んでいた。


「ボ……リス……?」


掠れた声が、紅の静寂を破る。まるで風が、閉ざされた空に初めて吹き込んだかのように、空間が揺らいだ。


「そう。私はボリス。人間だったが、今は神となった者だ。……元創造主よ、対話してくれないか?」


男の目に、ゆっくりと焦点が宿る。薄い水面に石が落ちたように、彼の中に波紋が広がる。


「ボリ……ボリス……ボリス……!」


その名が重なるたびに、紅い空間が震え、世界が緊張に包まれていく。


ヴォイドは即座に前に出た。彼の動きは風のように鋭く、確実だった。


「久しいな、ヴォイド。その目……変わっていないな」


空気が軋み、沈黙が深まる。その声には、確かな記憶と、怨嗟にも似た感情が混じっていた。


「……何の話だ」


「庇うのか。……変わらぬな、ヴォイド」


「主様が選んだ者だ。渡すつもりはない」


男は微かに笑った。その笑みには、懐かしさが滲んでいたが、すぐに狂気の色が染み込んでゆく。


「ボリス。その魂には、無限の可能性がある。お前も感じているはずだ」


その声とともに、紅の空間がざわめき出す。静寂が砕け、世界が軋み、歪み始める。


ボリスは咄嗟に手を伸ばす。だが、それは霧のように指の間を抜けていった。


(これ以上は危うい)


ヴォイドの目が細まり、無言のままボリスの肩に手を置く。


「戻るぞ」


短く告げて、彼は転移の術を発動した。ボリスも即座に頷き、共に空間を離れる。


紅の世界は、何事もなかったかのように、再び沈黙の中に沈んでいった。


──


転送された丸太小屋の中には、ほのかに薪の匂いが漂っていた。湯気の立つ茶碗が小さな音を立てている。木漏れ日が斜めに差し込み、床に金の糸のような光を編んでいた。


創造主は、その光の中に立ち、静かに問いかける。


「何か言ったか?」


「……ボリスには、無限の可能性があると」


「そうか」


ゆっくりと立ち上がった創造主は、静かに息を吐く。ふっと笑ったその横顔には、安堵と、どこか寂しげな色が宿っていた。


(……ついに、ここまで来たか)


心の内で、誰にも聞こえぬ声が響く。


「俺の勝ちだな……」


その呟きは、空気に紛れて消えた。


ヴォイドは何も言わず、黙々と新たな茶を淹れる。その手つきは慎重で丁寧だった。四人の間に、ふたたび温かな湯気が立ちのぼる。


しばしの沈黙ののち、創造主が静かに語りだした。


「お前がどれほどの存在か、見極める必要がある。だから……課題を出そう」


「課題……?」


ボリスの声はかすかに揺れていた。言葉に宿る不安を感じ取ったかのように、創造主はやわらかく頷く。


「二つだ。一つは、ヴォイドが管理する惑星の生命体を、この領域から脱出させること。彼らに自由を与えよ。もう一つは、シャーリスが見守る惑星を“消す”か“存続させる”か、お前自身に決めてもらう」


「その判断を……私が?」


「そうだ。お前はもう人間ではない。神の名を持ち、神として生きる者。だが、“依存”を生む力の使い方はしてはならぬ。選びとるのは、導きと責任だ」


言葉の端々に、創造主の祈るような思いが滲んでいた。


「……心得ました」


ボリスはまっすぐに頷いた。その目には、迷いではなく決意が宿っていた。


創造主の表情が、わずかに緩む。


「ボリス。この世界で使われている言語を“神の共通語”とせよ。それが、世界を繋ぐ最初の一歩となる」


「はい」


沈黙のあと、破るように明るい声が響いた。


「さっさと凱旋してきなさいよ!」


シャーリスがふわりと笑い、軽く手を振る。その無邪気さは、嵐の前の陽光のように眩しかった。


ヴォイドもまた、深く静かにうなずく。その眼差しは何も語らぬまま、しかし確かな信頼を宿していた。


「……わかった。行ってまいります、主様」


ボリスは、そっと掌に手を重ねるように言葉を置き、立ち上がる。胸に宿った小さな炎は、確かに灯されていた。


彼の背が戸口に向かうと、外の光が差し込み、まるで未来の道を照らすかのようだった。


茶の香がやさしく残る小屋に、静かな決意だけが残された。


──


ボリスが再び姿を現したのは、銀河群連合の防衛センター遥か上空──無音の宇宙に、ひとつの影が浮かび上がる。彼の存在は、まるで神話の断片が現実に滲み出したかのようだった。


モニターが赤を灯し、警告音が絶え間なく鳴り響く。オペレーターの声が、焦燥と恐怖を滲ませて叫ぶ。


「敵意反応あり!」


「襲撃者の戦力と識別コードは!?」


応答の声は、かすかに震えていた。


「……識別コード、ボリスです」


沈黙が訪れる。誰もがその名に思いを馳せた。かつて人間だった者、そして今や神と呼ばれる存在。その姿が、闇の中に鮮やかに浮かび上がる。


やがて通信が開き、彼の声が銀河を渡って届く。


「驚かせてしまって、すまない。だが、私は誰かを傷つけるために来たのではない」


その声は、どこまでも静かで、どこまでも遠かった。


「私は神に会い、創造主と語らい、そして神となった。かつて自分が構築したこの防衛システムが、どれほどの力を持つか──少しだけ、試してみたい」


言葉の終わりとともに、周囲に柔らかな光の輪が広がっていった。闇に浮かぶその光は、まるで祝祭の残響のように静かで、同時に戦慄を秘めていた。


ビットがひとつ、またひとつと展開され、銀河の海へ星のように広がっていく。無音の軌道を描きながら、光の繭が緩やかに世界を包む。


やがて、一条の光が宇宙を裂くように走った。ビームが放たれ、真空の静寂が一瞬にして崩壊する。


「フル稼働! 全防衛機構、最大出力で応戦を! 壊れても構わん、修理は……本人にやらせろ!」


会長の命が空気を切り裂き、連合の中枢が目覚める。眠っていたシステムが唸り声を上げ、無数の砲口が火を噴いた。


宇宙を彩る光の奔流。幾筋もの輝きが交差し、熱と衝突の波が空間を押し広げていく。惑星の各地では、閃光とともに一時的な停電が相次ぎ、都市は闇に飲まれた。


そのすべてを、ボリスは静かに見ていた。


「なるほど……応答性は十分だな」


彼の声は低く、そしてどこか懐かしげだった。かつて自らが設計した防衛網。それを今、超越者として試している自分がいた。


次の瞬間、彼の両腕に濃密な光が集まる。流れるような動作で構えたその瞬間、空間そのものが歪んだかのように揺れた。


放たれた高出力の砲撃は、まるで夜空に広がる朝日。光の帯は惑星の四分の一を覆い、重力すら微かに軋ませた。


だが──


「防衛、維持されました!」


報告の声が響く。守られた世界。支えられた命。それでも、安堵より先に、畏れが生まれていた。


「面白い。ならば……」


ボリスの眼差しがわずかに細まると、宇宙の深層から無人機が舞い上がる。いくつもの影が波のように押し寄せ、彼を包囲していった。


応答は、ひとつの舞。


ボリスは滑るように動いた。だがそれは、単なる機動ではない。風に溶ける葉のように、重力さえ欺いて、すべての砲撃をすり抜けていく。武器は持たない。ただ、意志と調和する力がそこにあった。


「……あれが本当にボリスなのか……」


誰かが呟く。だが、その問いに答えは返らない。


「もはや……人間ではない……」


さらに放たれた光が、彼の胸元を貫いたかに見えた──だが。


彼の身体は、まるで最初からそこに存在していなかったかのように揺るがず、無音のまま立ち尽くしていた。


光も熱も、もはや彼には届かない。


その場にいたすべての者が、理解し始めていた。彼は今や、“理”の外側にいるのだと。


「では、仕上げといこうか」


その声とともに、彼は閃光のごとく加速し、防衛ラインを貫いた。瞬く間に無人機と衛星をすり抜け、入港ドッグの前に降り立つ。


「防衛システム、突破……完了しました。敗北、です」


静かに伝えられる報告。だが、その言葉が意味するものは大きく、誰もが声を失った。


その時、一人の影が現れる。銀の毛並みを持つ人狼──かつて、この惑星の神であった存在。


「よう、神になったか。君はやはり、ただの魂じゃなかったんだな」


「……君が、この世界を守っていた神か」


「そうだ。だが、もう役目は終わった。労いなら、残された神々にも言ってやれ」


彼はにやりと笑い、ウィンクを残して立ち去る。


そして、拍手が起きる。ボリスは迎え入れられる。だが、その温もりの中で、彼は深い孤独に気づいていた。


(俺はもう……此岸の存在ではない)


会議場には、彼の帰還を待ちわびた人々が集っていた。彼は静かに口を開く。


「創造主との対話。課せられた使命。そして──言語の統一について、話そう」


その声は、かつての彼と変わらず穏やかだった。


「信じがたいかもしれないが、神となった今、この力を示すことで理解してもらえると考えている」


「なぜ他の神々は現れないのか?」


「創造主の意志だ。神に依存させぬため、私以外は姿を見せることを許されていない」


「言語の統一など……可能なのか?」


「可能だ。魂には、“記憶の火種”として、かつてひとつだった言葉が刻まれている。それが神の言語──原初の言葉だ。我々はそれを取り戻す」


「既存の言語はどうなる?」


「消えはしない。共に在り続ける。ただし、神の言語を“共通語”とする」


「習得は?」


「私がフォーマットを作成し、魂に直接刻む。そのためには、本人の承諾が必要だ」


会議場の隅で、小さな声が落ちた。


「それは……祝福か、それとも支配か……」


ボリスは応えなかった。目を閉じ、胸の奥にひとしずくの波紋を感じていた。


「……私は、これで副会長を退く。ありがとう」


場に沈黙が降りた。誰もが言葉を失い、ただ静かに、ひとりの“帰還者”の背を見送った。


彼が、もはや“彼らと同じ”存在ではないと──心のどこかで、理解していたから。


──


「ボリス……ね」


薄明のコンソール前、水色のポニーテールの女性が呟いた。その声は機器の微かな振動に紛れ、霧の中に消えていく風のようだった。


「何か引っかかるのか?」


ヴォイドが背を向けたまま、落ち着いた声音で問いかける。


「ううん。ただ……霧の奥で囁かれているような感じ。誰かが思い出されるのを拒んでる……そんな靄」


「俺も同じだ。ボリスにまつわる何かが封じられている。……いや、もしかしたら、世界そのものがそれを望んでいるのかもしれない」


彼の言葉に、女性は小さく笑みを浮かべる。


「詩人みたいね。けど、あの星はまだ、芽吹く余地を残している気がする。希望って、こういうときにこそ見えるのよ。私は……彼に、生きてほしい」


「君の担当する惑星か。なら、なおさらだな。主様の意向もあるし、結局、ボリスに託すほかない」


──


ボリスの姿が現れたのは、静まり返った丸太小屋の外。朝露に濡れた草が彼の足元で揺れる。空にはまだ星が瞬いていた。


誰もいない。気配すらも、風の中に溶けている。


ボリスはそっと目を閉じ、内側の感覚に集中した。やがて、遠く滝の音が意識に浮かび上がり、微かな気配が彼を導く。


彼が歩を進めた先、小さな滝のそば。岩に背を預け、主様が静かに横たわっていた。白い衣が水面の光を受けて微かに揺れている。


「主様、ただいま戻りました」


「別れは済んだか?」


その声は、風が葉を撫でる音のように優しく、どこか眠気を誘うほど穏やかだった。


ボリスは傍に座り、やがてそっと寝転んだ。主様と同じ空を見上げながら、静かに言葉を紡ぐ。


「はい。そして……ひとつ、考えが浮かびました」


「聞こう」


「主様に反対されるならやめます。でも……提案があります。罪人を、利用したいのです」


主様は片目を開け、わずかにこちらを向く。


「理由を」


「主様は、何も手を加えず、あるがままを慈しんでおられる。その美しさは、私もよく分かります。でも、創造には破壊が必要です。主様には、その役割を担ってほしくない。だから、罪人を……彼に託したいのです。あの者には、神すらも屠る力がある」


沈黙が流れた。滝の音だけが、変わらぬ調べで響いていた。


「……上手く扱えるならば、それは創造主への近道となる。それは私が保証しよう。ただし──ヴォイドを説得できたら、という条件付きでな」


「感謝します」


その言葉に、主様は細い指を伸ばし、ボリスの額に触れる。途端に、意識の深層へ光が流れ込み、知識と理が波のように押し寄せた。


ボリスはゆっくりと目を開き、深く一礼した。


──


丸太小屋に戻ると、ヴォイドが椅子に腰掛け、本を手にしていた。薄明かりの中、彼の姿はまるでそこに溶け込んでいるかのようだった。


ボリスが黙って向かいの席に座ると、ヴォイドは静かに本を閉じる。


「顔が真剣だな。話してみろ」


「……創造主になるために、罪人の力を借りたい」


「主様は?」


「許可を得た。君を説得できれば、という条件で」


ヴォイドの目が細まり、わずかに眉が動いた。


「なぜ、わざわざ危険な道を?」


ボリスは少しだけ息を整え、語り始めた。


「我が一族は、神に焦がれ、命を燃やしてきた。その中で、私は主様に出会い、思ったんだ。この方のために、自分が存在したいと」


「主様のために……か」


ヴォイドは溜息をついた。だがその声音には、咎めも否定もなかった。


「……それだけではありません。私はこの世界を、自分の足で歩きたい。風の匂いを嗅ぎ、光と影を見て、自分でこの場所を選び取りたい」


一拍の沈黙のあと、ヴォイドはゆっくりと頷いた。


「……分かった。だが俺も同行する。共に、闇の奥を歩こう」


「頼む」


──


紅い世界が、ふたたびボリスとヴォイドを包み込んだ。色彩は濃く、まるで血の記憶が空間に染み込んでいるかのようだった。風もなく、音もない。だが、その沈黙にはどこか息苦しさがあった。


「ボリス! よく来たな! 今度は何の用だ?」


罪人の男が、深淵から湧き上がる声のように叫んだ。旧友にでも再会したかのような陽気さが、場にそぐわず不気味に響く。


「……私は創造主になりたい。そのために、力を貸してほしい」


男は瞳を細め、声を弾ませる。


「創造主か……いい響きだ! 君の魂、少しだけ見せてくれないか?」


彼が一歩踏み出した瞬間、ヴォイドが音もなく前に出た。身を張ってボリスを守るように、両腕を広げる。


「近づくな」


「ヴォイド、お前には用はない」


男は首を傾け、まるで壊れた人形のように視線を揺らす。一瞬、虚ろだったその瞳が、刃のような光を放つ。


「黙っているのなら、そこにいても構わない」


声は柔らかく、だが底には揺るぎない狂気が眠っていた。


「大丈夫だ、ヴォイド」


ボリスは一歩を踏み出し、男の正面に立った。彼の足取りはまっすぐで、恐れも迷いもなかった。


「……ああ、なんて美しい。透き通っていて、それでいて複雑だ。君の魂には、いくつもの色が混ざっている」


「それで、どうなんだ?」


「もちろん、協力しよう」


その言葉と同時に、世界が赤く染まった。空間が脈動し、ボリスの体が静かに傾ぐ。


「久しぶりに、癒しの訓練だ。分かたれた自分を、再び一つに戻してみせてくれ」


男の高笑いが、深淵に落ちていく鐘のように響いた。


ヴォイドが踏み出しかける。しかし、男は手を振って制す。


「細胞のひとつひとつまで、自分の意志で再構築するんだ。君ならできる」


崩れたボリスの体の中で、血が静かに蠢く。ちぎれた神経が、切れた絆を結び直すように結ばれていく。


筋肉が編まれ、骨が重なり、肉体が音もなく再生されていく。まるで、夜空に散った星が、もう一度集まり直すかのように。


「忘れるな、血は魂とともにある。吸収できる分は、すべて自分の中に還元するんだ」


やがて体は完全に戻り、男が満足そうにボリスの肩を叩いた。


「見事だ。君はよくできている。歴代の“生徒”の中でも、群を抜いているかもしれない」


その笑顔には、どこか虚ろな影が差していた。手に触れられない哀しみが、静かに滲む。


「夢幻主様にも、言われたことがある。『お前は、もっとも創造主を育てた者』だと。私は……」


男の言葉がふと、途切れる。瞳が曇り、遠く、誰もいない何かを見つめている。


「私が……壊した……全部……私が……」


歪む声。過去の亡霊が、男の内側から浮かび上がってくる。


ヴォイドは一瞬の迷いもなく、ボリスの腕を掴む。


「転移する」


その言葉と同時に、世界がきしむように裂けた。


紅い世界には、罪人の慟哭が残された。空間には亀裂が走り、血のような光がそこから滲んでいた。


その嘆きは、祈りにも似て、あるいは許しを乞う言葉だったのかもしれない。


──


転移を終えた二人は、音もなくラボの扉をくぐった。白光に満ちたその空間は、どこか現実から隔てられた聖域のようだった。水色のポニーテールが柔らかく揺れ、シャーリスは静かにモニターに向かっていた。手の動きには無駄がなく、まるで未来をなぞるように滑らかだった。


「シャーリス、夢幻主について知っているか?」


ボリスの問いに、彼女はゆっくりと振り返り、微笑を浮かべた。


「ようこそ、ボリス。これが私の“本当の姿”よ」


その言葉に、ボリスは息を呑む。シャーリスの表情には、これまで見せたことのない深い静けさがあった。


「これが……?」


「ええ。これまでの姿は、主様の意向で幼い形に擬態していただけ。本気で神を導くなら、相応しい姿であるべきでしょう?」


彼女はひと呼吸置いて、背筋を伸ばした。語り出す言葉には、歴史を紡ぐような重みがあった。


「主様が生まれる前。あの罪人が創造主になるより前。この世界は“夢幻主”の手によって創られていた。夢幻主とは、定命ではなく、循環する意思のような存在。そして、代替わりしていく」


「代替わり……?」


「ええ。私は、ある時代の夢幻主に仕えた“聖女”だったの。秘書のように、傍らで日々を支え、観察し、記録する役割」


「その時代は、世界が重なり合うように並行して在り、それぞれの場所で誰もが神を目指せる時代だった。理想と信仰が共に生き、神たちはそれぞれの想いで世界を築いていた」


「それが、なぜ終わったんだ?」


「……それは、わからない。気づけば、私は罪人に呼ばれていた。そして、今の主様に仕えるよう命じられた。でも――私の記憶の一部は封じられているの」


「その封印……主様が?」


「おそらく。“夢幻主の影”を見たから」


「影……?」


「過去の夢幻主たちの記憶。あまりに深く、重すぎて、誰の心もそのままでは耐えきれない。正気を保つために、封じざるを得なかったのよ」


ヴォイドが低く呟いた。


「ボリス、シャーリス。それぞれが抱える真実を、いまこそ話すべきだ」


シャーリスはうなずき、指先でモニターを切り替える。瞬間、空間に柔らかな光が広がり、“特異点”と記されたふたつの名が浮かび上がった。


「ダグナスとナーシャス。どの時代、どの星においても、彼らはなぜか出現する。まるでこの世界に呼び寄せられるように……」


「神ではないのか?」


「いいえ。ただの魂。でも、その魂には“封印”が施されている」


ボリスは画面を見つめ、思考の奥に沈み込むように黙した。


「今、二人は私が管理する惑星で転生している。その世界は“魂の進化”を目的とした実験場。肉体の成長ではない、魂そのものの成熟を見る場所」


「進化……つまり、感情や思考、共鳴や犠牲までもが含まれるということか?」


「そう。生きるとは何か、愛するとは何か。問いを通じて魂は鍛えられる」


シャーリスは目を伏せた。光のなかで、その姿は影よりも静かだった。


「彼らは、ループの中で生き続けていた。何度も何度も、記憶を失いながら。それが、あまりにも不憫で……主様に願ったの。記憶を引き継げるように、と」


「今は、ダグナスだけが毎回記憶を持ち越せている。ナーシャスは、ごく稀に。痛みも、望みも、繰り返すたびに深まっていく」


彼女は、さらに画面を切り替えた。


「今の課題は、この惑星を存続させるべきか、それとも消すべきか――その判断」


「二人の魂には、繋がりがあるのか?」


「ある。でも、明確な通信も、共鳴も与えられていない。魔法の力すら、その深淵には届かない」


「“真実”とは……?」


「進化の終点。運命の日に、主様が遣わす“敵”を、自らの力で乗り越える。それが、魂の証明」


ボリスはそっと目を閉じ、低く呟いた。


「……神の介入ではなく、彼ら自身の意思で越えねばならぬ試練、か」


「ええ。だから、あなたにすべての情報を託す」


シャーリスは言葉を閉じ、静かに額を寄せた。


その瞬間、時を越えた記憶が流れ込む。光の奔流が、彼の心を満たしてゆく。


──


『ボリス、来るんだ』


空間に響いた声に呼ばれ、ボリスは転移した。


──


映し出されたのは、崩壊した大地。戦場には命の残滓が散らばり、冷たい雨が静かに降っていた。


その中心に、ただ二人の影があった。青年と、女性。


「……世界の終わり。そして、また始まる」


主様の声が、空に溶けるように響いた。


「ボリス。お前は、どうする?」


その問いを前に、ボリスはただ映像を見つめていた。


青年が、崩れ落ちた女性を優しく抱きしめている。


「……どうして……何度やっても、届かないの……」


女性の言葉に、青年は微笑んだ。


「未来はある。ナーシャス……また、次で会おう」


その声は祈りのように柔らかく、そして確かだった。


青年の手が、静かに女性の胸を貫いた。それは、永遠に続く苦しみを終わらせるための祈りだった。


そして、彼は自らの首に手を当て、ゆっくりと命を絶った。


世界が終わり、また、始まる。無言のままに。

このたびは本作『光闇叙情譚』をお読みいただき、ありがとうございます。


本作は、過去に掲載しておりました


『光闇』


『隠者の小屋』


『世界最強だけど、恋にだけは勝てません。』



以上三作品をもとに、世界観・構成・描写を再構築し、加筆修正を施した統合版となっております。


単なるまとめ直しではなく、物語の本質をより鮮明にすることを目指し、細部の改稿と情感の再構成を行いました。

初めて読んでくださる方にも、すでに以前の物語をご存じの方にも、新たな発見と余韻をお届けできておりましたら幸いです。


今後とも、ご感想・ご意見をお寄せいただけますと励みになります。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

尚、ChatGPTを使って、文章の推敲だけをしています。

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