その視線の主(ぬし)
何かに見られていると思った。
その視線の主の姿が、洋館の窓ガラスに映っている。
それは前世で言うならまさにイノシシに似た動物で、この世界ではワイルド・ピグと呼ばれていた。秋のこの時期、繁殖期を迎えるワイルド・ピグの特にオス。大変攻撃的になる。
『森の中のガラス美術館』周辺でワイルド・ピグが出る……という情報はなかった。森の中を経由して美術館に至るわけで、そこで獣が出るなんてよろしくない。ゆえにきちんと毎年駆除が行われている。よって出没情報などもなかったのだと思う。
それに前世のように獣が暮らす土地が著しく枯渇している……という状況でもない。まだこの世界には自然は多く残り、人が住まうエリアに獣が進出してくることは少なかった。
とはいえ、ここは美術館に至る通りから、かなり離れている。そして美術館のある森は、そのまま山につながり、山の周辺は人工物などない、ほぼ手付かずの森林地帯。そこにいたワイルド・ピグがここへ迷い込んだ可能性は大いにある。そこまで考えて「違う」と分かってしまう。
これはゲームのイベント。ヒロインがこのワイルド・ピグによりピンチとなり、それをヒーローが助ける流れなのだと思う。だが肝心のヒロインとヒーローは地下にいるはず。
え……もしかして暇を持て余したワイルド・ピグは、悪役令嬢を襲うことにしたの……!?
もしそうなら冗談ではない。それではなくても悪役令嬢の運命は過酷なのだ。イベントでワイルド・ピグにボコボコにされる役などごめんである。
ワイルド・ピグに、敵ではないと認識させることができたら、襲われないで済むかしら?
そう思い、鏡に映るワイルド・ピグを見て思い出す。イノシシ同様、ワイルド・ピグもまた目が悪かった。自分より身長がある人間。敵認定されないことの方が難しいのでは……。
そこで突然、どこか離れた場所で、バンと大きな音がした。私も驚いたが、ワイルド・ピグもビックリしている。その結果、ワイルド・ピグがこちらへと突進してきたのだ。
こんな時の対処法はさすがに習っていない。ただ本能で逃げ切れないというのは分かった。時にその速度、時速四十キロで走ると言われているワイルド・ピグには敵わない!
咄嗟に身を守るように頭で腕を隠し、しゃがみこんだ時。ビュン、ビュンと音がして、突然、肩を掴まれる。何が何だかわからず立ち上がると、そのまま肩を引っ張られ、洋館のエントランスホールに飛び込むことになった。
バンッと扉を閉めたのは……レイモンド!
「なるべく奥に下がって。階段の端、手すりを掴みながら二階へ向かうんだ。階段が朽ちている可能性もあるから、気をつけて!」
そう言うとレイモンドは、エントランスホールに飾られていた古い剣を手に、窓へ近づく。
私は言われるままに足元に注意しながら階段へ向かい、慎重に階段を上る。
ドンッ、ドンッの音に、ワイルド・ピグが扉に突進していることが分かり、心臓が飛び出しそうになった。
「何事ですか!?」
現れた近衛騎士にレイモンドは「ワイルド・ピグのオスだ。成獣だから槍や弓があれば、構えろ!」と叫ぶ。「「殿下!」」と近衛騎士達は驚きながらも、すぐにそれぞれの武器を手に配置につく。
ドンッ、ドンッと扉に衝突する音が再び聞こえたところで、私はなんとか階段を上り切っていた。吹き抜けになっている階段を上り切り、エントランスホールを見下ろし、安堵した瞬間。
大きな音がして、扉が吹き飛ぶ。まさに猛進でエントランスホールに飛び込んできたワイルド・ピグに、息を呑む。
近衛騎士達とレイモンドが武器を手に、陣形を組んだが……。ワイルド・ピグはまさに私がいる二階の真下へと爆走していく。確かその位置は、壁一面が鏡になっていたと思う。
バリーンとガシャンと甲高い悲鳴のような鳴き声。さらにはドーンという大きな振動。
どうやら目の悪いワイルド・ピグは、鏡に映った自分を見て、敵と勘違い。勢いままに突進し、鏡に激突。そして脳震盪でもおこし、気絶したようだ。つまり自滅した。
「な、これは一体……、それに殿下!? どうやってこちらへ!?」
近衛騎士隊長がまさに到着し、私は今度こそホッとして手すりを掴んだ。掴んだ手すり。それは……朽ちていたようだ。
「……!」
声はあまりの驚きで、出ていない。掴んだはずの手すりは、そのままエントランスホールに向け傾き、私はその手すりと共に、足が床から離れてしまう。
つまり二階からエントランスホールに向け、落下する――!
お読みいただきありがとうございます!
ひぇ~とんでもない大ピンチ(汗)
悪役令嬢は踏んだり蹴ったりです……!
次話は明日の8時頃公開予定です~
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