いつも甘い香りがする
「僕を信じて、リナ。僕は君のナイトでありたいと思う。この気持ちは絶対に変わらないから」
そう言って微笑み、あのえくぼを見せてくれたレイモンドに。胸は高鳴り、その言葉を信じてみようと思った。
信じないより、信じた方が、これからの時を楽しく生きれる。
そう考えることにしたのだ。
それでも。
『……ジョーンズ公爵令嬢。君は死罪相当であり、次の日曜日。宮殿前広場で絞首刑に処す』
乙女ゲームで耳にしたレイモンドのセリフを頭の中で、何度も反芻することになる。
そうやって時は流れ──。
頰に優しく触れる指の感触。
鳥のさえずりが聞こえ、気持ちのいい風を感じる。
ゆっくり目を開けると、五月の陽光が緑の木々の隙間から射し込み──。
「リナ、またこんなところで昼寝? 無防備だな。公爵令嬢であり、僕の婚約者なのに」
木漏れ日を受け、輝くブロンド。サラサラの前髪の下には形のいい眉、そして長いまつ毛。そして私を見つめる澄み切った碧い瞳。
透明感のある肌に、血色のいい頬。通った鼻筋の下の、ほんのり桜色の唇。そして微笑みの顔に浮かぶえくぼ。
あれから10年以上が経ち、レイモンドは前世で私の知る王道王太子、ヒロインの攻略対象そのままの美しい姿に成長していた。
長身で細身だけど、それは無駄を削ぎ落とした結果であり、毎朝の剣術と乗馬の訓練で、しっかり筋肉もついている。
スラリとした長い脚は、どんな服を着ても様になった。
今は白シャツに水色のストライプのベスト、無地の紺色のズボンとラフな装いだが、とても似合っていた。
「無防備……。そうかしら? だってここは王宮の、さらに奥にあるプライベートガーデンよ。ここに出入り出来るのは、王家の人間だけ。……まさかレイが私を殺すの?」
レイモンドのことを“レイ”とニックネームで呼び、王宮のそんな奥深くに私がいる理由。それは五歳から私が王宮暮らしをしているから。
日曜日に始まった王族とのブランチ。それは私が王宮暮らしを始めるための足掛かりだった。つまりは乙女ゲームの仕掛けたトラップだったわけだ。
しっかり絡めとられ、家族と離れて王宮で暮らすようになると、王太子妃教育が始まった。
王太子妃教育は、とても厳しく大変なもの。それを耐えることが出来たのは……レイモンドの支えがあったからだ。
私を守り、大切にする、ナイトになると誓ったレイモンドは、有言実行だった。
そんなレイモンドは今の私の言葉を聞くと……。
とても真面目な表情になる。
「リナ。冗談でもそんな恐ろしいことは言わないで。僕が君を……そんなこと絶対にしない。リナのいない世界で、僕は生きていけない」
これから四ヶ月後。
王立アルデバラン学園にレイモンドと私は入学する。宰相の息子であるマークも。隣国の皇太子も留学し、入学することが決まっている。そしてヒロインも……。
乙女ゲーム『ハッピーエンドを君の手に』(通称“ハピエン”)の全キャストが揃うわけだ。
「リナ、聞いているの?」
レイモンドが木陰の下、仰向けになっている私の顔を覗き込む。
端正な顔立ちがいきなり近過ぎて、私は慌てて起き上がろうとするが。
「せっかくリナを見つけたんだ。もう少しこうしていよう」
隣に腰を下ろしていたレイモンドは、そのまま私を腕枕すると、自身も芝生の上に横たわる。
心臓がトクトクと忙しない。
こんな風に芝生で横になっても。
少し離れた場所にはレイモンドの近衛騎士もいれば、私の侍女も控えている。だからいつもここまで。
レイモンドに腕枕され、その腕は私の体を少しだけ抱き寄せているけど。
ぎゅっとすることはない。
婚約をしていても、まだ未婚であり、十六歳になったばかり。抱きしめてキスをするとかその先とかは絶対になかった。
この国の由緒正しい王太子として、レイモンドもそれ以上を求めることはない。
そうだと分かっていても。
レイモンドはとても素敵なのだ。
どうしたってドキドキしてしまう。
この鼓動がレイモンドにバレてしまわないように尋ねる。
「それで剣術の試験は上手く行ったの?」
「それは勿論、合格。これでマスターまで昇格したから、試験はおしまい。後は経験を積んで、ソードマスターの指導を受け、お墨付きをもらえたら……次はソードアドバンスに昇格だ。これで日曜日が剣術試験で潰れることはなくなる」
そう言うと不意にレイモンドが私の髪に触れるので、ドキッとしてしまうと。
「リナは十六歳になって、背も髪も伸びて、とっても麗しい令嬢になったのに。こんなところにクッキーのカケラをつけている」
「! 本当だわ。どうりで甘い香りがすると思ったの」
「クッキーの香り? 違うと思うな。リナからはいつも甘い香りがする」
それは突然のことで、もう心臓が止まりそうになる。
こんなに接近したのは、初めてのことだった。
私から甘い香りがすると言ったレイモンドは、自身の鼻を私の鼻の頭に近づけたのだ!
この事態にクッキーの甘い香りは吹き飛び、代わりにさっぱりとしたグレープフルーツのような香りを知覚する。
多分、剣術の試験を終え、シャワー浴びたレイモンドが使った石鹸の香りだ!
側から見たら、私たちはとても仲睦まじく見えるだろう。
婚約破棄を諦めた結果。
レイモンドとの距離はどんどん近づく。
もはや婚約破棄なんてされないのでは?
断罪なんてないのでは?
そう思ってしまうぐらい。
そして実感する。
人間とは平和な状況で、危機意識を維持し続けるのは難しいのだと。
再び生存のために私が動き出すのは……学園に入学してからだった。
お読みいただきありがとうございます!
次話は明日の7時頃公開予定です~
ブックマーク登録してぜひお待ちくださいませ☆彡






















































