彼の想い
「アルデバラン王国へ留学、ですか?」
「そうだ。世界は広い。この大陸にも数多の国がある。即位してから諸外国を見て回るにはあまりにもしがらみが多くなる。皇太子である今だからこそ、他国を知るいいチャンスとなるだろう。それにお前はまだ婚約者もいない。アルデバラン王国へ美人が多いと有名だ。婚約者探しも兼ね、留学するといい」
父親である皇帝からそう言われた時は、嬉しい反面、面倒と思う気持ちがあったのは事実。というのも北部に位置する帝国と違い、アルデバラン王国は年間を通じて温暖だった。国民性や文化、風習など異なる面が多い。特に日々の生活に関わる食事。食文化の違う国へ行くことは……少し不安でもある。
ただ、父上の言うことは一理あった。
皇帝となれば身動きをとりにくくなるのは事実。ゆえに今のうちに留学するのは――。
悪い提案ではない。前向きに考えよう。
こうして私はアルデバラン王国に留学することが決まった。
◇
幼い頃から皇太子教育を受け、外国語を学び、社交術を身に着けている。
それでも単身での留学、緊張はしてしまう。でもそんなことを微塵も出さず、アルデバラン王国へ向かった。
自国の食文化アピールで持参した、帝国では皇族貴族が楽しんでいるキャビア。アルデバラン王国で受け入れられるかと思ったら――。
『……外側がカリッとし、中はふんわりのパンに、たっぷり載せて食べると……。その食感と絶妙な塩味に、パンを食べる手が止まりませんでした』
キャビアを食べたことがあるという人物がいたのだ!
リナ・アンジェラ・ジョーンズ公爵令嬢。
レイモンド・ウィリアム・アルデバラン、すなわち王太子の婚約者だった。
その髪は波打つくようなプラチナブロンドで、肌は帝国の新雪を思わせる美しさ。瞳は紫紺色で、宝石のように煌めている。同い年とは思えないほど、成熟した体つきなのに、笑顔は子どものようにあどけない。
キャビアだけではなく、サワークリーム、キャベツの発酵食品、ビーツのスープ……帝国の食文化にジョーンズ公爵令嬢はとても明るかったのだ。
それだけではない。
『キャベツの発酵食品、似たものを食べたことがあります。でもそれは少し酸味が強かったので、ソーセージに合せると美味しかったです。パンにソーセージと発酵キャベツをサンドする食べ方』
そんな提案もしてくれたのだ。
異国の地で心を許せる人間が最初からいたわけではない。だがジョーンズ公爵令嬢は、いとも簡単に私の懐に飛び込んできた。屈託なく笑い、好奇心旺盛に瞳を輝かせ――。
同年代の令嬢でもある。
私が彼女に心を奪われるのは……あっという間だった。
彼女と話したい。
その一心で食事の席に臨んだが……。
なぜかレイモンド王太子から質問攻めだった。
結局、食事の席でジョーンズ公爵令嬢と話させなかったので、会話の機会を持ちたいと、彼女に話し掛けたが――。
『明日のティータイムの時間。マダム・ブルネットのサロンに参加しませんかと、書簡を届けさせていたのですが、ご覧になっていませんか?』
レイモンド王太子からそう言われた時「そんな予定が?」というのが正直な思いだった。だが見落とした可能性もある。そこで気を取り直して、口を開いた。
『ではジョーンズ公爵令嬢、明日の午前中に』
『明日の午前中は僕の愛馬を紹介しつつ、乗馬を楽しむ約束をしていましたよね、キルリル皇太子殿下?』
『……そうでしたね』
その予定は確かに組んでいた。だが私の話を遮るようにして声を上げるレイモンド王太子は……。
彼の瞳と視線がぶつかった時。
明確な意思を感じた。それはジョーンズ公爵令嬢は自分の婚約者であるという強い主張だった。
それは理解できる。
彼女は……レイモンド王太子の婚約者。他国の王太子の婚約者を想うなど許されることではないと分かっていたが――。
誰かを愛する気持ち。
これほどコントロールが難しいものは、ないのではないか。
気づけば落ちているのだ。
それは……どうにもならない。
そこからレイモンド王太子と私の戦いが始まる。
それはジェラートの食べさせ方であったり、捕まえた蝶の素晴らしさ、フラワーアレンジメント、森の中で集めたフルーツ、ゴンドラを使ったロマンチックな演出など多岐に渡った。
馬術と槍。その二つで私は勝利を得て、ジョーンズ公爵令嬢から勝利の口づけを頬に得ることになったが――。
剣術。
マスターの称号を持つレイモンド王太子はハンデをつけ、利き手ではない左手で戦うと言い出したのだ。私は帝国での剣術大会で優勝した経験もある。しかし騎士でもないのだから、称号を得るまで剣の腕を極めたわけではない。それでも相応の自信があった。ハンデまでつけたレイモンド王太子には、どこかバカにされている感じもする。何より、剣術でも勝利したら……。
頬ではない勝利のキスを、ジョーンズ公爵令嬢に求めたい気持ちになっていた。
そしてその結果は、私の邪念が過ぎたのかもしれない。帝国の剣術の中で、秘儀にあたる千変幻剣を使い、レイモンド王太子を追い詰めることができたと思った。
だが――。
『ヒット! 肩、2ポイント。ヒット、胸、4ポイント。そして時間です。両者、離れて!』
完敗だった。
圧倒的な力の差を、最後の最後で見せつけ、ハンデで利き手を封じていたレイモンド王太子の圧勝。その上で、レイモンド王太子がジョーンズ公爵令嬢に口づける姿を見た時。
負けたのだ。諦めよう。
という気持ち。
それでも諦めきれない。
彼女を……私の婚約者に迎えたい。
相反する気持ちで眠れない夜が続く。
そして夏が終わり、王立アルデバラン学園へ入学することになる。
そこで出会った『わぁっ、私ったら! 寝坊して朝食を抜くと、ダメね』と明るく笑う男爵令嬢。
彼女は私にこんなことを囁く。
『私、レイモンド王太子殿下に運命を感じました。きっと王太子殿下は、ジョーンズ公爵令嬢と婚約破棄をして、私を選んでくれる気がします!』
それはまさに黒いささやき。
私の心にその言葉が巣食い、もしこの男爵令嬢が言うように、レイモンド王太子がジョーンズ公爵令嬢と婚約破棄してくれたら――と黒い願望が芽生えてしまう。
あくまでもジョーンズ公爵令嬢の味方として寄り添い、でも少しだけ、あの男爵令嬢を助け……。
愛する人を手に入れたい。
届かない想いを満たそうと、私は底なしの欲望の沼で、もがき苦しむことになる。
お読みいただきありがとうございます!
当て馬だったキルリル皇太子の、許されない愛への狂おしい気持ちのSSでした~
彼が昼食やお茶会でヒロインをサポートした時、なんで!?と思った読者様も多かったと思うので、書き下ろしてみました!
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