時が止まってしまえばいいのに。
「お嬢様、おはようございます!」
「……おはよう」
目をしばしばさせていると、両親が部屋にやってきた。
「おはよう、リナ。目覚めたかい?」
「リナ、おはよう。心配したわよ。今朝は大好きなパンケーキとクレーム・カラメルも用意したわよ」
「え、えーと」
戸惑う私だったがベッドで上半身を起こすと、両親はその私のそばに腰を下ろし、昨晩何があったのかを教えてくれる。
「リナは昨晩、ボトルシップの最後の組み立てを失敗してしまっただろう? ショックで大泣きになった。すぐに馬車を呼び、屋敷へ帰ることにしたけれど、予定とは違う時間だったからね。エントランスホールでしばらく待つことになった。殿下やマーク令息も見送りでホールまで来てくれていた。でもリナは……泣き疲れてしまったようで、パパの膝の上で眠り込んでしまった」
父親がそう説明すれば、母親も屋敷へ戻った後の私の様子を教えてくれる。
「馬車の中でもずっと寝ていたら、眠りが深くなってしまったのよね、きっと。屋敷に戻って来た後、パパが部屋まで運んだけれど、リナはぐっすり寝ている状態だったの。何度か声を掛けたけど、もう起きる気配もなかったから……。メイドに頼んで寝るための準備を進めてもらったわ。ちゃんと濡れタオルで体は綺麗にしたから、大丈夫よ」
泣き疲れて寝ていたことが判明した。
確かに大泣きしたと思うが、大人の私であれば、寝ることはないと思う。やはり間もなく四歳児の体は、前世のアラサーの私とは勝手が全然違っていた。
「ごめんなさい」
「あやまる必要なんてないよ、リナ。悲しかったんだ。泣いて気持ちを発散することも大切だ」
「そうよ。あなたはまだ子どもなのだから。泣くことが悪いと思う必要はないの。ただ殿下はとても驚き、心配していたそうよ」
ここは父親の顔を見て、幼さ全開で「そうなんでしゅか?」と尋ねる。すると父親はレイモンドがその時、どんな様子だったのかを教えてくれる。
「あれは殿下のせいではないと、何度もお伝えしたが『僕の教え方が甘かったです。ボトルの外と中でやる作業では、力加減を調整しないといけないと、もっとちゃんと教えておくべきでした』と、とても後悔されていた」
あれは本当にレイモンドのせいではない。
レイモンドは間もなく四歳児とは思えない程、大変丁寧に指導してくれたのだ。成功を確信し、最後で気を抜いた私が悪い。レイモンドは何も悪くなかった。
「それにわざわざエントランスまで出て、馬車が見えなくなるまで見送ってくれたんだよ。本当に殿下はお優しい。きっと殿下と結婚すれば、幸せになれるよ、リナ」
そう父親に言われた私は、幼い子供とは思えない、実に複雑な表情をしたのだろう。
「まあ、リナ。どうしたの、そんな顔をして! 殿下は誠実で、真面目で努力家で、勉強熱心。実際、文武両道で大変優秀なのよ。それにリナにも、とても優しいでしょう? あんなに素敵な王子様、世界広しといえど、そうはいないわよ。間違いなく、殿下のお嫁さんになれば、世界一の幸せな女性になるわ。そこはママが保証してあげるわよ」
母親までそんなことを言い出すが。
そして実際のところ。
今のレイモンドは非の打ち所がなかった。一緒に過ごして不快になることなんてない。「あ、ここやだ」と思うような言動も感じられなかった。
しかし。
この世界で一番幸せになっていいのは、悪役令嬢ではない。ヒロインなのだ。
レイモンドは……どんなに素晴らしくても、悪役令嬢であるリナを、不幸のどん底に突き落とす存在。どうあがいてもリナを幸せにする人間ではないのだ。彼が幸せにするのはヒロイン。私ではない。
そこで思う。
時が止まってしまえばいいのに、と。
永遠に子供のままで、レイモンドは優しいまま。ヒロインは現れない……。そんな世界になることを願うのは、大人になりたくない子供みたいだ。
「ともかく。好物のパンケーキとクレーム・カラメルを食べたら、元気になるだろう」
「そうね。リンダ、リナの着替えをお願いね」
「承知いたしました。奥様」
こうして侍女に手伝ってもらい、着替えを終えると、いつもの日常が始まる。
朝食を摂り、礼儀作法とマナーの練習。その後は家庭教師がついてティータイムまで昼食を挟みつつ、教養の勉強。ティータイムはお友達令嬢と過ごし、その後はダンスのレッスンだ。
ダンスのレッスンの後、夕食を摂り、わずかな自由時間。そこで私は父親の指示で、レイモンドに手紙を書くことになった。大泣きして驚かせてしまったことのお詫びと、レイモンドは何も悪くないことを伝える手紙だ。
「かけたでしゅ!」
言葉はまだまだたどたどしいところがあるが、書くのは得意。慣れない羽根ペンだったが、コツを覚えれば問題なかった。スラスラと書くことが出来た。
「リンダ、おてがみかけたの!」
そう報告をまさに侍女へした時。
扉がノックされた。
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