公園
どこをどう走ったかわからない。生暖かい風が、頬を撫で髪を舞い踊らせるが、僕の心は晴れず、周りの景色が流線形になって、横切っていく。
「はぁはぁ、結構…走った…けど…もう無理…足が動かない…」
足がもつれそうになり、ふらつく。顔を上げると、右手側に、もとは緑色だったことが伺える茶色いフェンスに囲まれた公園が見えた。入り口の柵に手をつき、息を整える。小さな公園だ。水飲み場が真ん中にあって、ペンキがところどころ剥がれ錆びた滑り台や鉄棒、ブランコ、長年、雨風に吹かれたような朽ちたベンチがある。
僕は、よたよたと歩きながらなが古びたベンチに近寄り、座面を手で払い腰掛けた。細かな砂が、パラパラと散り、風にさらわれて飛んでいく。ギシギシと音がなるが、まだ使えそうだ。カラスが、僕の肩から降りて隣に座って、翼を広げ脇を掻いた。
「カラスは…じいちゃんを、切り裂いたあの大きな黒猫のこと君は知ってる?」
「あれハ、一匹だけじゃなイ。たくさんの幼く弱い霊ノ、集合体みたいなもんダ。車に轢かれたリ、捨てられたりしテ、酷く人間を恨んでる奴らばかりダ」
カラスが片側から僕を見上げ話す。声の調子はいつも通りふざけているのに、凍えるような冷たさを含んでいる。心なしか周りの気温も下がった気がした。
「食べられるって、いってたよね?恨んでるから食べるの?」
「いいヤ、恨んでるから喰うんじゃなイ。霊ハ、喰わないと存在を保っていられないんダ。そして、人や動物を喰らうほド、その見た目や性質を継承し成長すル。特に、人は数もいるシ、質も良イ」
「だから、人がいないんだ…」
木の葉が擦れ合う音が聞こえ、遠くでブランコがキィキィと揺れる。人の気配のない街で、僕は孤独感に押しつぶされそうになり、手が震えた。カラスの声だけが、やけにはっきりと聞こえる。
「未練がある奴ほド、魂を喰らっていテ、タチが悪い者が多いゾ。たダ、たまに喰った奴ガ、精神的に強すぎるト、乗っ取られたリ、意識が混ざり合っちまウ。その点ハ、お前みたいな優しくテ、生命力がある奴ハ、格好の餌食になりやすイ」
「僕は、狙われるの?」
「俺様のお守りを持ってるかラ、大丈夫だろウ。俺様より強い奴じゃないト、壊せないから安心しロ!」
猫が追いかけてこなかったのは、カラスのおかげなのだろうか…?色々腑に落ちないが、違和感を頭の隅に追いやる。
緊張の糸が切れ、喉が渇いていることを自覚した。ゆっくりと立ち上がり、水飲み場に近づく。てっぺんの蛇口をひねると、透明な水が溢れ出でてくる。冷たくて美味しそうだ。ゴクリと生唾を飲み込む。口を開き顔を近づけ、水を含もうとした時にカラスの制止する鋭い声が響いた。
「やめとケ!ここのものを食べたリ、飲んだりするト、お前のいた場所へ戻れなくなるゾ!」
「水ぐらい大丈夫じゃないの?」
僕は困惑し、顔を上げベンチの上にいるカラスを見る。
「ダメだ。少しでも摂取してしまうト、体に馴染んでしまウ。そしテ、あちらの世界二、異分子だと拒絶さレ、例え帰ったとしてモ、長くは滞在できなくなリ、こちらでしか生きられなくなル!」
「え…そんな」
嘘とは思えない。表情は変わらないが、まるで実体験した者が語るような鬼気迫る迫力があった。
「戻れなくてもいいのカ?」
「嫌だ!帰りたい」
仕方がないと、水を飲むことを諦める。
目の前にあるのに、飲めないことはつらいが、帰れないことは、もっとつらい。
再びベンチに座り直して、背もたれにもたれかかり、目を閉じ胸に手を当てると心臓がトクトクと動いている音がして、僕を安心させてくれた。息を深く吐き出す。精神的にも肉体的にも疲労が溜まり、手や足を動かすのが億劫だ。
「おイ、時間が余りないんだゾ!寝てていいのカ?」
「ダメだけど、眠い…ちょっとだけ…」
ついつい、うつらうつらと舟を漕いでしまう。少しだけ休もう。目が覚めたら、いつもの日常に戻っていないかなと、甘い期待をする。
しゃべるカラス、沈まない夕日、僕を招いた霊、祖父に大きな黒猫、わからないことだらけだ。
そういえば、あの鈴を転がすような声は誰だったのだろうか…僕は右手首をさすった。
意識を保てたのは、そこまでだ。




