急変
これは、フィクションです。危ないことはしないでください。よろしくお願いします。
カラスが芝からグラウンドを通り過ぎる。先ほどまで、ブランコや滑り台で遊んでいた子ども達が、ちらほらと帰っていく影帽子が、壁を上り空へ消える。オレンジ色に変わりつつあり、気が焦る。しかし、今日こそは、なんとかタイムリミットまでに全員見つけたい!僕は心の片隅に思いながら、セメントで整えられた地面へと早足に進んだ。
「あとひとりなのに!このままだと、かくれんぼ未達成記録累計99回を達成してしまう!あぁ、もう少しで5時になりそうだ」
無意識に思ったことが漏れた。カラスが首を捻りチラッと僕を見て、鼻で笑うように鳴く。
「言葉がわかるの?」
今度は、短く鳴いた。賢そうだと思っていたが、言葉までわかるなんて、僕は、恥ずかしくて口を手で押さえた。
気まずい中、ゴミ捨て場に着く。学校の校舎からやや離れていて、灰色がかった地面の四隅には高さのある太く頑丈そうな鉄筋が埋められており三方をブロック塀で囲んでいる。トタンの屋根がついていて、雨の日も平気だ。中には、プラスチックのプレートがそれぞれかけられており、左から燃えるゴミ、燃えないゴミ、ビンやカンと書かれ、スペースは割と広い。今日、掃除で出たゴミが積まれている。
近くには、2年前から使われていない茶色く煤けた焼却炉もあった。カラスが地面からジャンプしトンットンッと煙突の上に飛び乗り、眩しいのか翼で夕陽を遮り、見渡している。動作が、人間臭くてちょっと親近感が湧く。
「はっ!任せっぱなしは良くないよね。そもそも鬼は僕だし。ここら辺を探してみよう」
ブロック塀の裏にある体育倉庫との間や焼却炉付近の木の影を見てまわる。
「いないなぁ。どこにいるんだろう?他に、隠れられそうなところは…」
目の前にある人ひとりが入れそうな薄汚れた金属の箱を見やると、上部にある観音開きの扉が開いているのに気がついた。念の為に確認しようと、投入口の縁に手をかける。ざらざらして、ひんやりと冷たい感触が手のひらに伝わった。構うことなく覗き込むが、真っ暗で目を凝らしても底が見えず、古い油の臭いだけが鼻に残る。なんの収穫も得られず、僕は肩を落とし項垂れ、ため息をついた。
「痛っ…」
突如、2.3週間前に子猫にひっかかれた傷跡のない手首がジクジクと疼く。違和感がある箇所をさすると、少しはマシになった。
顔をしかめて我慢していると、「奥にいるのかもしれないよ」と鈴が転がるような声が聞こえた。導かれるように、焼却炉の中へ身を乗り出すと、暗闇から何かに手を引っ張られ転がり落ちてしまった。
光も届かない闇が僕を包む。目を閉じているのか、開けているのかすらも、わからない。頭の中を、ぐるぐるかき混ぜられているような気持ち悪さがあった。ただただ、右手首の掴まれてる感覚だけが嫌にはっきりとわかる。
気づけば地面に放り出されていた。受け身も取れずに、顔からぶつかった衝撃で悶絶する。めちゃくちゃ痛いが、怪我はない。少しでも、緩和しようと地べたを転がり回る。
「っ〜〜〜〜」
「だっセェ!プププゥ」
後ろから羽音と特有の足音が聞こえたと思うと、やたらテンションが高い声で、僕を笑っている声がする。目を向けると、カラスが翼をくちばしに当て、肩を震わせていた。
「もしかして、君がしゃべっているの?」
「当たり前だロ?俺様しかいねェヨ」
声の主はふんぞりかえって、自信満々に答える。
周りを確認するが、焼却炉だけがありゴミ捨て場や体育倉庫は跡形もなく消え薄いモヤしか見えない。校庭に視線を向ければ、人が残っていたはずなのに誰もおらず、足音や声もしなかった。
「誰もいない」
顔の痛みが落ち着いてくる。しかし、別の違和感を肌に感じた。空気が合わないのかまるで、真夏日の日差しに当てられたかのようにチリチリと焼けるようだ。我慢できないほどではないが、僕は居心地が悪く己を抱きしめるように腕を組んだ。おかしいとは思いながらも、目の前のカラスに疑問をぶつける。
「ここはどこなの?」
「ここは狭間ダ。空間が捩レ、繋がリ、曖昧になル。境界線があやふやになっテ、常識が覆ル。そんな世界ダ」
よくわからない。理解できていなかったことが僕の顔に出ていたのか、カラスは補足してくれる。
「あの世とこの世の境目で黄泉の国みたいなもんダ。いわば俺様のホームグラウンドってやつダ!」
「黄泉の国は、なんとなく聞いたことがあるかも…?」
「口で説明するよりは見リャ、違いがわかル」
見上げると、夕陽の燃えるような赤と三日月が浮かぶ夜空の青が拮抗し、ぶつかり合う境目は紫色に変化している。そして、ゆっくりと流れる雲を薄く染めていた。風は吹いているのに、まるで時間が停滞しているようだ。
「太陽が沈まない?」
「そりゃそうダ!ここハ、朝も夜もこネェ。俺様達の力が1番強まる逢魔時のままダ」
町の景色も、ほとんどが木造の建物で、合間に木や竹藪が多い。なかには比較的新そうな建物もあったが、どこかしらひび割れていたり瓦が崩れており土壁が見え、蔦が排水管を上り屋根に届いている。家や庭の手入れがされておらず、時代に取り残されたようで物悲しい。その奥には、山々が連なっていて自然に侵食されているようだ。
目の前には、僕の通っている白塗りのコンクリートでできた学校ではなく、木造の校舎がそびえ立っていた。これは、どこか見覚えがある。たしか、学校の玄関の壁に飾れていた創立当初の、少し黄ばみ色褪せたモノクロ写真に写っていたものと似ている。
そして、僕以外のここにいる動物や建物、すべてに共通するのが、薄くモヤがかかり煙のようにたちのぼって空に消えていっていることだ。僕がいつも見ていたモヤは、動物だけだったのに、ここでは、建物や植物、地面にいたるまで、全てにモヤが立ち上っている。夕陽と相まって、町全体が燃えているように見えた。
ここは、僕のいるべき世界じゃないと本能で感じる。現実を受け入れられなくて、カラスに視線を戻す。無意識に体がこわばり、唇を噛み締め、手に力が入る。
「…もう1度焼却炉を通れば、元の世界に帰れるの?」
「無理ダ。焼却炉にハ、もう力が残ってなイ」
即答された。無慈悲に望みを打ち砕かれて、足元が崩れ去るような感覚になる。僕は地面に両膝をつき、手で支えるだけで精一杯だ。心臓が握りしめられたかのように苦しくなり、呼吸が浅くなる。
「僕、帰れないの?!力が残ってないってどういうこと?」
「帰れる可能性はあル。焼くという行為は、あの世二、送るための儀式みたいなもんダ。以前まで使われていた力ガ、焼却炉に残っていたことを利用しテ、強い奴がお前ヲ、こちら側へ招いたのだろウ。そしテ、使い切ったかラ、ここでは戻れないだけダ」
カラスの言葉を反芻する。希望はまだある。落ち着いて、現状を確認しないといけない。目を閉じ深呼吸を数回行い、意識的に心を鎮めた。
「君が僕を、ここに連れてきたんじゃないの?」
「確かニ、俺様は力がものすごく強イ!むこうで自分の意思を保ち行動できるからナ!!だガ、現世の生き物ヲ、こちらに招くとなると話は別ダ。俺様よりも遥かに力の強イ、それこそ神様ぐらいじゃないト、できる芸当じゃないゼ」
何気に自慢が入っているな。何回か話して、カラスがどういう性格なのかわかってきた気がした。悪い奴ではなさそうだ。
「どうしたら戻れるの?」
「…そうだナ。あの山奥の祠にいる俺様たちの長老ニ、聞いてみるのが良イ。帰る手段ヲ、知っているはずダ。俺も昔世話になっタ。お前を返すことニ、協力してくれるだろウ」
カラスのモヤが一瞬少し濃く大きくなった。見間違いだろうか?目を擦った。
しかし、短い付き合いだが、カラスが他人を褒めるなんて、意外に思った。長老と呼ばれるくらい偉いからだろうか?だが、目指すべき目標が見えたことで、普段の自分のペースを取り戻せそうだ。膝に手をつき、立ち上がる。
「なんで、僕だったのかな?」
「お前が、好かれやすいからだろウ。魂が澄んでいテ、柔らかそうデ、一緒にいて落ち着くからナ。かくゆう俺様モ、お前のこと気に入ってるんだゼェ!」
カラスは捲し立てるように早口で話していて、聞き逃すことがあるが、おかげで見知らぬ世界へひとり迷い込んでも、寂しくなかった。帰れるかもしれないと希望がもて安心もした。
「そうダ!俺様の羽をやるヨ。お前を守ってくれるゾ!なんたっテ、超強いからナ!」
自身の翼から、くちばしで羽を抜き渡してくれる。僕が、上着のポケットへ入れると、薄いモヤが見えなくなり、周りの雰囲気が柔らかく、受け入れられたように感じた。自分で強いと自画自賛していた言葉は、あながち本当かもしれない。肩の力が少し抜けた。
しかし、突然、屋外スピーカーからサイレンがなる。台風で河川が増水して鳴っていた音と似ていて、追いたてるような恐怖心を煽る音だ。そこに、ノイズが混じり、より不快な音になり町中に響き渡り、夕暮れの空に消えていく。
ネガティヴな感情を振り払うかのように僕は、頭を振った。
あと、カラスを含めた野生の動物や落ちている羽等には、ウィルスや寄生虫がいるらしいです。