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第39話 やっと退院

 内臓損傷のせいで物が食べられるまでに二週間を要した。

 結局、九月は丸々一月病院で過ごす事になり、退院までの間、多くの人の見舞いを受ける事になった。


 病院には定期的に見付球団の職員の方が見付から来てくれていて、医師からの話を球団に報告して故障者扱いをしてくれた。

 おかげで一軍で怪我をした選手と同じ金額を支給してもらえて、なおかつ、その間は医療費も球団が支払ってくれる事になった。

 ただ、来年からの一軍昇格の話は一旦保留という事になってしまった。



 この一月間、二軍の状況は大きく動いている。

 まず主軸選手四人を一気に失った襲鷹団は連敗を続け、大きく順位を落とした。

 代わって首位になったのは龍虎団。それを獅子団が猛追しているといった状況である。


 荒木の代わりには太宰府球団の渡辺という選手が入った。

 さらに安部が昇格となり、代わって同じく太宰府球団のつじという選手が加入した。

 渡辺も辻も今年の新入団選手である。


 映像で何度か試合を見たが、渡辺は完全に荒木と同じような選手で、竜の速度で勝負する質に感じる。もう一人の辻もかなり竜を操る技術が高い。


 もしかしたら獅子団が優勝できるかもしれないと、見舞いに来た小川は言っている。

 もし優勝できれば、創設以来二度目の快挙なのだとか。しかもその時の選手はほぼ太宰府球団の選手であった。

 過去優勝した二軍の球団は、いずれも一つの球団の選手に偏っている。今回のように四球団からまんべんなく選手を起用してという事になれば、これから二軍の状況は変わっていくかもしれないと言われているのだとか。



 十月に入って退院はできたものの、医師からは激しい運動は厳禁だと言われてしまっている。竜に乗るのはもう一月は厳禁、竜杖を振ってもいけない。

 しかもそれを診断書に書かれて、見付球団に報告までされてしまった。


 まるで刑期を終えた受刑者かのように、病院を出た荒木を神部かんべという球団の個別指導者が出迎えていた。


 そこから神部と病院の近くの喫茶店に行き、今後の打ち合わせを行った。

 まずはじっくり体力を戻すところから始めようと思うと神部は言った。

 なぜか隣で母が神妙な顔でそれを聞いている。神部も説明した後で、母にこんな感じでやっていこうと思いますがどうですかなどと伺いをたてた。


 神部とはそこで別れ、母の滞在している民宿へ向かった。

 かなり古い民宿の一室に、まるで下宿するかのように母は宿泊していたらしい。

 どうしてもこういう古い民宿を見ると、安達荘の事を思い出してしまう。


 母は荷物をまとめる、民宿に御礼を述べた。

 この一月ちょっとで母は民宿の方とだいぶ打ち解けたらしく、いなくなると寂しいやら、また機会があったら寄ってくださいやら言われている。


 室蘭空港まで送ると言ったのだが、母は一人で帰れるから良いと言って拒んだ。

 その代わり、お昼を一緒に食べましょうと言い出した。


「ご飯が食べれるようになって良かったね。あのままご飯が食べれないとなったら、母さんしばらく付いててあげないとって思ってたんだよ」


 母は食事に手を付けず、野菜の煮込みを食べる荒木をじっと見つめながら言った。その顔は心底安堵しているという顔である。


「固いものとか消化の悪いものはなるべく避けるようにって言われているけどね。あの虫の餌みたいなしゃびしゃびの汁を飲まなくて済むと思うと、本当に良かったって思うよ」


 荒木の笑顔に癒されたのか、母はクスクスと笑う。

 冷めないうちに食べないとと荒木が促すと、やっと母は食事を口に運んだ。


「今って家の食事ってどうしてるの? 婆ちゃんが作ってるの?」


 何気ない素朴な疑問だった。

 だが母は食べている物を吹き出さんばかりに笑い出した。


 どうやらこの一月、荒木家は紆余曲折あったらしい。

 当初は祖母が作ると言って作っていたのだそうだ。だが祖母の作るものというのはどうにも渋い。

 里芋の煮物、なます、大根の味噌汁、漬物という感じの食卓が続いたのだそうだ。


 最初に音を上げたのは父であった。

 姉はそれでもこういうのもたまには良いなんてやせ我慢していたのだとか。

 肉が食いたい、魚が食いたいと言って、そこからは父が料理を作る事になった。

 まるで反動のように、とにかく毎日のように肉料理を作ったらしく、それに祖母が激怒。脂っこいものばかり作りおって、毎日胃がもたれると喧嘩を始めてしまったらしい。


 結局、最後はみおが仕事から帰って夕飯を作る事になった。

 ただ、澪は澪で簡単なものしか作らないため、やたら野菜炒めが食卓にあがる。一応姉も考えてはいるらしく、味噌で味付けしたり、餡をかけたり、醤油をたらしたりと工夫はしているらしい。

 祖母も父も澪に文句を言うわけにいかず、最近では無言の食卓が続いているのだとか。


「お願いだから早く帰って来てくれって、この間連絡したら父さんが情けない声をあげてたのよ。良い機会だからのんびりしてやろうって思って退院までいたのよ」


 母は悪戯っぽい笑顔を荒木に向けた。

 荒木もつられて笑顔になる。


「父さんと姉ちゃんは良いよ、昼は会社で社食だろうからさ。婆ちゃんが可哀そうだよ」


 そうねと賛同してくすくす笑う母を見て、荒木も思わず顔がほころんだ。



 食事を終えると、苫小牧の駅へ向かった。

 本当に室蘭までいかなくて大丈夫かとたずねるのだが、母は来る時は一人で来たのだからなんの心配も無いと言って笑った。


「母さん、あの、来てくれてありがとう。俺さ、多分これからもきっと色々怪我して、その都度心配かけると思う。けど、元気にやってるからさ、応援してよ」


 荒木がそう言って微笑むと、母は少しだけ目を潤ませて、荒木の頭を撫でた。


「応援ならずっとしてるわよ。なんなら親戚の人たちだって、母さんの友だちだって、みんな応援してくれてるんだから。だから、なるべく怪我せず、元気な姿を見せるのよ」


 そう言って母は荒木の腕をパンと叩いた。

 なんだか急に照れくさくなって、荒木は母から顔を反らしてしまった。

 すると駅校内に放送があり、間もなく電車が到着する事が告げられたのだった。



 母を見送った荒木は、急に美香の声が聞きたくなり、美香に連絡しようとした。

 そこで携帯電話が無い事に気が付いた。


 入院していた時に小川が荷物を持ってきてくれたのだが、その中にも携帯電話が無い。

 そういえば、栗山が来た時に所有者不明の携帯電話があるという話をしていたのを思い出した。特徴からどうやら自分の物らしいと言ったのだが、ここまで誰も持ってきてはくれなかったのだった。


 そこで、退院の報告をするついでに携帯電話も受け取ろうと、真っ直ぐ獅子団の事務所に向かった。


 事務所の受付で話をしていると、すぐに獅子団の事務員がやってきた。

 今度は事務員と世間話をする事になり、入院中の状況を笑い話のように話す。大変だったねと事務員は何度も相槌を打った。

 選手たちは総合練習場で合同練習をやっているところらしく、日野監督はそちらに行っているらしい。だからそっちに顔を出して、元気な姿を見せてやって欲しいと事務員は嬉しそうに言うのだった。


 携帯電話を受け取り、事務所を出て、総合練習場へと歩を進める。

 事務所から離れると、荒木はすぐに美香に連絡を入れた。


 ところが、美香の携帯電話は『お客様の都合により』通じなかったのだった。

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