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第36話 ミカちゃんって誰?

みお、母さん、飛行機の搭乗券買いに行ってくるから、ちょっと雅史に付いててあげてね」


 そう言って、母と父は病室を出て行った。


 意識を取り戻してから、まず看護師さんがやって来て、あれこれと状態を聞き取って行った。その後、担当医が来て、さらにあれこれと状態を聞き簡単な説明をして行った。


 その話によると、胸骨を圧迫骨折していたらしい。それによって一部内臓が損傷。もしもう少し骨折部が上であったら心臓を損傷していた可能性があるとの事であった。さらに肋骨も何本か折れていた。

 しばらくは絶対安静。それと検査が終わるまで食事はダメで点滴で過ごしてもらうという事であった。



「姉ちゃんたちはいつ帰るの? 会社何日も休めないでしょ」


 そう言って横を見ると、姉は勝手に誰かがお見舞いとして持ってきてくれた篭盛りを開けてリンゴの皮を剥いている。


「今日帰るわよ。婆ちゃんがどうしてもあんたの顔を見に行くって言うから、私も会社休んで付き添ったんじゃない」


 すると祖母は優しい声で姉にありがとうねと感謝した。

 姉は弟に対するのとは全く違う態度で、良いんだよ婆ちゃんなどと猫なで声を発する。おまけにリンゴ剥いたからどうぞと言って差し出した。

 さらに俺の方を見て、あんたは食べちゃ駄目だよと言ってくる。


 ……そのリンゴは俺のなのでは?

 というか、食べちゃ駄目という人の前で食うかね、普通。


「この篭盛りって姉ちゃんたちが持ってきてくれたの?」


 起き上がれないので首をひねって見ようとするのだが、残念ながら良く見えない。袖机の上から篭の取っ手が見えるだけ。


「何で私があんたに篭盛りなんて持ってこなきゃいけないのよ。見付球団の人が持ってきてくれたみたいよ。もう一つは襲鷹団って書いてあるね」


 しゃくしゃく音を立てリンゴを齧りながら姉は篭盛りを物色し始める。こっちの襲鷹団からの方がお金かかってそうと、実に下品な事を言い出した。


「姉ちゃんたちはいつこっちに来たの? というか、そう言えば今日って何日?」


 姉はまだ篭盛りを物色しており、次はこの桃を食べようなどと、ぶつぶつ言っている。


「私たちが来たのは一昨日かな。母さんは事故の日からずっと来てるけどね。母さんから、あんたが目を覚ましたって報告が入って、それから来たんだけど、あんた全然目を覚まさないから、もう三日もこっちにいるのよ」


 北国観光してさっさと帰るはずだったのにと姉は恨めしそうな声で苦情を入れて、携帯電話を見せてきた。画面に映った日付で、あの襲鷹団の試合からどうやら一週間が過ぎているらしいとわかった。


 今の姉の説明からすると、前回目を覚ました時に見えた人影は母だったのだろう。


「ところでさ、雅史。ミカちゃんって誰?」


 唐突に、まるで世間話かのように姉は聞いてきた。

 やましい事は何も無いはずのだが、どういうわけか胸の鼓動が急に早まる。


 『誰?』と聞いてきた以上は、姉は美香の事を知らないという事になる。

 ここはとぼけるに限る。


「誰の事? 何でそんな事聞くの?」


 こんなのでは絶対誤魔化し切れてはいない。

 そんな事はわかっている。問題はここからだ。


「あんたが何度もうわごとで言ってたのよ。ミカちゃん、ミカちゃんって。母さんも何度も聞いたらしいわよ」


 足下の方で椅子に腰かけている祖母が笑い出したところを見ると、どうやら本当らしい。おそらく祖母も聞いたのだろう。


「『澪姉ちゃん』って言ったのがそう聞こえたんじゃないの?」


 ふっと姉は鼻で笑った。明らかに馬鹿にした態度だ。


「あんたが私の事を『澪姉ちゃん』なんて呼んだ事あるかっての。いいわ、百歩譲ってそう言ったとしましょう。例えうわごとでも、あんたが私に会いたいなんて言うわけないでしょ!」


 ごもっとも。

 だがここで認めたらそこで試合は終了だ。まだまだ試合はここからですよ。


「何でそんな事言うんだよ。俺、ずっと姉ちゃんに会いたいって思ってたよ? 婆ちゃんにも、母さんにも、父さんにだって。そんなわけないなんて決めつける事ないじゃんさ」


 少し猫撫で声を出すのがコツである。

 少なくも多少の形勢の不利はいつもこれでなんとかなってきた。これぞ弟の戦術というやつだ。


「へえ、そうなんだ。まあいいわ。私はてっきり、あんたが応援団の女の子にでも手を出してるのかと思った」


 何という驚異的な勘の良さ。

 ほぼ正解でリンゴでもあげたくなってしまう。


「そんな、手を出すような応援団なんているわけないだろ? 俺まだ無名の二軍選手だぜ?」


 よし、これで投了だ。完璧。

 そう思ったのだが、ここで姉が予期せぬ一言を繰り出して来た。


「ふうん。じゃあ新聞に書いてあった『獅子団の新星 日に日に増える応援団』って記事は嘘なんだ。女性応援団がきゃあきゃあ言ってるって内容だったんだけど?」


 くそっ。いらんこと言っちまったぜ。

 というか、何でこの人こんなにしつこく食い下がってくるんだろう。


「どこの新聞に書いてあったの、それ? 二軍の試合なんて龍虎団と大鯨団戦以外はどこもガラガラだよ? きゃあきゃあ言ってくれたら競技場中に響いて嫌でもわかるんだけど」


 私もそう思っていたと姉は言う。祖母が試合の時間だといって電視機を見に行く時に一緒にせんべい片手に見に行ったりするが、いつ見ても観客はガラガラだったと。


「先日、会社の同僚の娘に言われたんだよね。弟さんはいつ一軍に上がって来れそうなんですかって。できる事なら今のうちに著名された物が欲しいなんて言ってて。聞けば最近あんたの応援団が増えてるっていうじゃない」


 思わず聞き逃しそうになったけど、この人、会社の同僚に弟は見付球団の職人選手って言いふらしてるの?

 「ええ! そうなんですか!」なんて言われててニタニタしてるの?

 それはちょっとどうなんだろう。


「姉ちゃん……俺の広報活動してくれてありがとう……」


 じっとりとした目で姉を見ながら放ったその一言で姉の表情が変わった。

 これで形勢逆転だ。

 動揺した姉はなんとか誤魔化そうと笑顔を作ったようだが、完璧にその笑顔は引きつっている。


「わ、私だって、か、可愛い弟の事だもの。あんたが一軍に上がったら、みんなで応援に行きましょうって会社の人たちに言ってるのよ。見付球団って観客動員が少ないって聞くから」


 作り笑顔を何とか保とうとする姉に決定的な一撃を放った。


「姉ちゃん、ありがとう。頑張って一軍に上がってみせるからさ。だから姉ちゃん、会社の人たちたくさん引き連れて応援に来てよね」


 やられたという顔をする姉。

 くう! この顔が見れただけで今日は素晴らしい日だ!



「実はさ、ここだけの話なんだけど、来年から一軍って話もあるにはあったんだよね。だけど今回のこれで、ちょっとわかんなくなっちゃった」


 そもそも選手として復帰できるかどうかすら。

 口にこそ出さなかったが顔には出ていたのだろう。姉が心配そうな顔をする。


「雅史って五年契約なんでしょ。大丈夫よ。焦らずじっくり一軍に上がったら良いよ。まずはその怪我を治す。それに専念しなさいな」

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