第9話 さらに送球部へ
ここまで一月筋肉つくりをしてきたせいか、どの部員も泳ぎが実に力強かった。一週間も水泳部に混ざって泳いでいると、水泳部員からも泳ぎの指導があったりして、かなり速く泳げるようになっていた。
「ねえ、荒木君たちって何やってるの? この間まで漕艇部で船漕いでたと思ったら、今度はこの寒いのに毎日水泳してて」
史菜がいつものように行儀悪く前の席の机に腰かけてそうたずねた。相変わらず無防備というかなんというか。薄桃色の布地と可愛いリボンが太腿の奥に見えてしまっている。
「知らねえよ。漕艇部だの水泳部だのって、広岡先生が勝手に話を付けて来て、俺たちは単にそれに連れまわされてるだけなんだから」
それになんの意味があるのかこっちが聞きたいくらいだと呆れ口調で荒木は言った。史菜はそんな荒木を眺め見ている。
「竜杖球の練習ってしないの? それともこのまま各部活を転々とするの? だって今のままだと大会出場の登録もできないんだよね?」
竜に乗れないのはまだしも、竜杖での練習もしないとなると仮に部員が入って来ても試合の時に何もできなくなりそうと史菜は心配する。
「知るか」と荒木は不貞腐れたような顔で短く答えた。
そんな荒木を史菜はじっと見つめる。
「気のせいかな? 荒木君、少し体大きくなった?」
服が少しきつそうと言って史菜は荒木の腕をぺたぺたと触り始めた。それは、あれだけ筋肉作りをやらされれば筋肉だってつくはず。だけど竜杖球になんの意味があるのやら。竜からしたら、むしろ上に乗る選手は軽い方が良いだろうに。
「いったい、あの先生、何がやりたいのやら。……おい、いい加減触るのやめろって」
荒木に怒られ史菜は少し顔を赤くし、えへへと照れ笑いした。
月が改まって四月となった。
荒木たちの暮らす瑞穂皇国の学生は年三回の長期休みがある。四月末から五月初旬にかけての春休み、七月の夏休み、十二月末から数日間という短い冬休みである。
どの部も七月の夏休みに大きな大会がある。運動部だけでなく、文化部も七月に大きな大会が催される。七月の最終週は、毎日のように全国大会の決勝戦が行われ、瑞穂中の関心時となっている。
水泳部での練習を終えた竜杖球部の面々は、久々に部室に戻って来て、一体今度はどこの部に追いやられるんだろうと言い合っていた。全員二か月間の部活で全身にかなり筋肉がついており、苦しいのかシャツのボタンを二番目まで外している。
さすがに竜杖球が恋しくなったのか、どの部員も竜杖を手にして手遊びのようにくるくると回して遊んだり、手のひらの上で立たせて均衡を取って遊んだりしている。
そんな気怠い雰囲気を部室内にみなぎらせている面々の前に広岡先生は現れた。
「みんな集まってる? じゃじゃん! 今日はね、ちょっとしたお知らせを持ってきました!」
広岡は嬉しそうに腰に手を当てて言うのだが、部員たちは広岡の方を見向きもしなかった。
「どうせまたどっかの部に行く事になったってだけだろ? 先月も聞いたよそれ。そもそも何で一緒に泳がなかったんだよ。水泳部の奴らも広岡ちゃんの水着姿期待してたんだぜ?」
相変わらずの宮田の辛辣な発言に、広岡は高まっていた気分を一瞬で落っことした。
「私もの凄い冷え性なのよ! こんな時期に泳げるわけないじゃない! 死んじゃうわよ」
そう啖呵を切る広岡に、杉田が寒いのは俺たちも同じだと短く指摘。
気分を害したという感じで口を尖らせて不貞腐れる広岡から部員は全員顔を反らしている。そのせいで部室内に沈黙が広がって、実に空気が重い。
暫くお互い何も言わず牽制しあっていると浜崎部長が、次はどこの部かとたずねた。
「……送球部(=ハンドボール)」
部員たちは一斉にため息をついた。もはや広岡をからかう気力も無いらしい。寒くないだけマシ、そう言い合っている。
伊藤が体育館に行こうぜと言って立ち上がると、皆、ぞろぞろと立ち上がった。
「ちょっと待って! お知らせって今日はその事じゃないのよ。もっと別の話があるの!」
広岡は両手を開いて皆にもう一度座るように促した。ついに廃部かと短くいう宮田に、広岡は違いますと即座に否定。
広岡は会議用の丸椅子を取り出してそれに腰かけた。その時点で、そこそこ長い話をするつもりらしいと部員たちは感じた。
「これはまだ本当に交渉している最中だから、実現できるかどうかはわからないんだけど、実はね、春休みに竜に乗りに行けないかって思ってるの」
そこまで言って広岡は想定していた反応が帰ってこない事にかなり焦りを感じていた。もっと大喜びしてくれると思っていたのに。どういうわけか全員気乗りしないという顔をしている。
「ふうん、実現できると良いね。おし、話終わったみたいだから体育館行こうぜ」
伊藤が再度皆を促すと、広岡はちょっと待ったともう一度引き留めた。竜に乗りたくないのかとかなり焦った態度で皆に問いかけた。
「広岡ちゃんさ、竜に乗るのいくらかかるか知ってんの? 春休み何日あると思ってんだよ? そんな長期的に竜に乗るだけの金がうちの部にあるわけねえだろ。そんな夢物語みたいなの聞かされて本当に士気が上がると思ったの?」
恐らく行くとしたら車で一時間以上行った山奥の乗竜場だろう。そもそも、そんなところまでこの人数でどうやって行く気なのか。仮に輸送車で行くとしても往復の運賃は誰が出すのか。もし合宿だとしたら、それこそそんな金がどこにあるのか。誰が聞いたって夢物語にしか聞こえないと宮田が厳しく指摘した。
「ふふん。私だってね、そんな事がわからないほど馬鹿じゃありません! ちゃあんと色々と考えてあるんだから。(ただ、まだちょっと許可が下りてないってだけで……)」
最後の方はごにょごにょと言葉を濁す感じであったが、全員ばっちり聞こえていた。
ようは学校の許可が容易に下りなさそうな事をやらせようとしているという事だろうと宮田が指摘。繁華街でいかがわしい店の客引きでもさせる気じゃないのかと川村が言うと、部員たちの目は非常に冷たいものになった。
「そんなの、どう言い繕ったって許可なんて下りるわけないでしょ! 労働してその対価で賄おうってのはその通りなんだけど、ちゃんとしたとこなの! 学校がちょっと校則曲げてくれるだけで良いのに……」
広岡が苦笑いしながら言うと、部員から大きなため息がもれた。
校則では対価を貰う労働は全面的に禁止となっている。破れば即退学である。誰だって退学にはなりたくない。彼らの反応は当然であった。
伊藤が馬鹿馬鹿しいと吐き捨て、部室を出ようとすると、広岡は服を引っ張って全力で引き留めた。ちゃんと話を聞いて欲しいと言って。
「みんな北国に行きたくないの? 北国だよ? みんな行った事なんてないでしょ?」
伊藤はぴたりと足を止めた。
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