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第26話 指導者をクビに

 会議が終わった後で、荒木は広沢が一軍昇格という一報を寮に入れた。

 電話を取ったのは寮母さんだったのだが、少し震えた声でおめでとうと言ってくれた。恐らく嬉し泣きしてくれているのだろう。


 寮母さんは砂押すなおしさんといって、もう何十年も寮母をしてくれている方である。

 これまで何十人もの二軍選手を見てきている。

 全員最長五年でいなくなる。それを知った時、砂押は選手にあるお願いをした。

『竜杖に署名をしてこの寮に収めていって欲しい』

 たまにそれを見て、こんな人がいたなという事を思い出そうと思うからと。


 それからというもの、全員寮を退出する際には、砂押と写真を撮り、それまで使っていた竜杖に署名をし、その二つを置いていくという風習ができた。そのせいで『竜杖の間』はちょっとした博物館のようになってしまっている。

 明日にはその部屋に広沢の竜杖が加わる事になる。


 荒木も寮に来た時に大量の竜杖を見せてもらった。

 傘立てが並べられていて、そこに無数の竜杖が刺さっているという光景はそれだけで圧巻ではあった。

 さらに一口に竜杖と言っても、時代ごとに形状や材質が変化しているんだというのが見て取れるのも非常に面白い。


 無数の竜杖を前にして、荒木は若松選手の竜杖はどれですかと砂押にたずねた。すると砂押は確か若松君は何年度の方だからこの辺と言って探し始めた。


 その時に荒木は気が付いた。

 砂押にとっては一軍の活躍は問題ではないのだという事に。ここに来る選手はみんな等しく寮生なんだ。だから一軍に上がれず職人選手としての道を閉ざされた人も、二軍での活躍を見て他の球団に金銭で売却された人も、一軍に昇格し華々しい活躍をした人も、皆等しく寮生なんだと。



「先に行って待ってるからな。ちゃんと獅子団で活躍し続けて、鳴り物入りで一軍に上がって来いよな」


 帰りの車の中で、そう広沢が言った。

 顔は荒木とは反対側を向いている。恐らく自分だけが昇格する事が少しだけ後ろめたいのだろう。


「広沢さんこそ、すぐに二軍にトンボ帰りして来ないでくださいよ」


 からからと荒木が笑うと、広沢は「言ってろ」と言って微笑んだ。


「広沢さんの代わりって誰になるんでしょうね。うちから採用するって言ってましたけど」


 そういう代案を提示してきたという事は、日野監督も誰かしら目星を付けているという事になるだろう。それが誰なのかが気になるところである。


「そうだなあ。中盤の選手ってのは間違い無いんだろうな。うちで中盤と言えば、岩下さん、荒井、池山、栗山ってとこか。順番的に岩下さんか荒井かってとこかなあ。俺のとこには笘篠ってのが入るだろうからな」


 岩下の名が出た所で、荒木は再度先ほどの丸山の話を思い出した。


 会議が終わった後、丸山は近所に美味しい拉麺屋があるんだが一緒にどうだと誘ってきた。丸山が言う美味しい拉麺屋は、以前荒木が美香と行った拉麵屋であった。


「どうだい? 君たちから見て今年の新人三人は。うちとしてはあの栗山にかなり期待しているんだが」


 味噌拉麺の汁をすすりながら丸山が言う。

 正面に座った広沢、荒木を順に見て、再度どうかなと声をかけた。

 すると広沢が匙と箸を置いて、真顔で丸山を見つめ返した。


「今のままではあの三人はいずれ潰されますよ。俺たちだって潰れかけていた。昨年末に谷松さんと原田さんが喝を入れてくれて、赤坂調教師が応援してくれているからこそ、こうやって正規選手に呼ばれるようになったというだけです」


 そうじゃなかったら今頃は職人選手なのか牧夫なのかわからないような生活を続けていただろうと広沢は述べた。

 それに丸山はどういう意味だと眉をひそめた。

 すると広沢は長くなると思うので拉麵を食べ終えて、喫茶店でも行きましょうと提案。

 そこからは三人無言でずるずると夢中になって拉麺を食した。


 広沢と丸山がここの喫茶店で良いかと言って入った店も、奇しくも以前荒木が美香と入った店であった。

 もちろん偶然だという事はわかっている。わかってはいるのだが、あの時実は監視されていたんじゃないかと訝しんでしまう。


 いいおじさんと兄ちゃん二人が甘食を前にして珈琲を飲んでいるという風景は、傍から見たらどのように映っているのだろう。そんな風に思いながら珈琲を口にした。


 珈琲を机に置くと、丸山は先ほどの件をじっくりと聞かせて欲しいと促した。

 そこから広沢は、自分が新入団選手として北国にやってきてから、今日までの事を色々な事象を踏まえて丸山に説明。その多くは二軍指導者である福富に対する糾弾であった。


 最後に広沢は言った。

 昨年退団になった谷松さんと原田さんは五年間、何の指導もされなかった。見捨てられた状態で五年もの間飼い殺されただけだった。岩下さんと片岡さんも四年間何の指導もされてこなかった。もしちゃんと指導されていたら、今頃どれだけの選手になっている事か。


 丸山は腕を組んで唸ってしまった。


「俺は一軍の指導者になってもうこれで監督は三人目なのかな。その間、二軍からの推薦は一人も無かった。昇格者は若松、杉浦の後は、角、尾花、渋井とそれなりにいるのにな」


 そこで小さく息を吐き、丸山は珈琲を口にする。


「それを一軍内では勧誘者に見る目が無いと言い合っていたんだ。角と尾花は怪我と引退で空いた枠を埋めるために昇格させたんだが、まあ、上がって来た当初は酷い有様でね。渋井も同様だった」


 その際、一軍では福富にこういう選手はいないかという聞き方をした。

 すると福富は言った。それなりに素質はあるのだろうが、選手にやる気が無くて全く育たないんだと。


 それでも先鋒の穴は急務であったから尾花を昇格させた。確かにその時点で尾花は一軍の水準には達していなかっただろう。だがそれでも使い続けた事でみるみる才能が開花。

 そのため一軍では福富の言う通り、選手の士気の問題と認識した。


 角、尾花、渋井、その三人共に二軍は酷かったという話はしていた。新入団の選手たちが可哀そうとも言っていた。

 実際その声は球団側も耳にしている。


「だけどね、残念ながら球団の上層までその声は届いていないよ。あの福富っての、異常に口が上手くてね。だから今日もあいつの同席を俺は拒否したんだよ。あいつがいたら、まとまるものもまとまらないからな」


 三人はしんと静まってしまった。

 静寂の中店内に流れる音楽だけが三人を包み込んだ。


「あの人、替えてもらう事はできないのでしょうか?」


 この件で荒木が口を挟んだ最初の言葉がそれであった。

 すると丸山は荒木に、それは君たちの総意なのかとたずねた。

 それに対し、荒木ではなく広沢が総意だと回答。


「明日帰ったら嘆願書を作って寮に送ってあげるよ。もしそれが君たちの総意だというなら、そこに全員の名前を署名して広沢君が本社に持ってくると良い。昇格すれば社長に会う機会がある。そこでそれを渡すんだ」


 丸山の提案に、広沢と荒木は御礼を言った。

 だが丸山の話はそこで終わりでは無かった。


「それによって福富さんは解雇となるという事を念頭に置いて署名してくれ。つまりはあの歳で路頭に迷う事になるという事だ。妻子もいるだろうに。それを自業自得だと言い切れるのであれば署名してくれ」

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