第25話 一軍昇格?
連日暑い日が続く。
実家の三遠郡に比べたら確かに圧倒的に涼しいのだが、それはあくまでそこと比べたらという話で、決して北国が暑くないわけではない。
暑いとどうにもだらけがちになるものである。
夕飯後ダラダラと寮の大広間で麦酒を呑んでいると、寮の電話が鳴り響いた。
基本的に電話というものは新人が取るものと決まっている。昨年は荒木と荒井が電話番であった。
真っ先に電話に駆けて行った池山だったが、すぐに戻って来て広沢さん宛てだと報告。代わって広沢が電話に向かった。
昔と違って今は個々人の携帯電話があるのに、こういう風景は昔ながらのものなのだろう。
誰からの電話だったのかと秦が池山にたずねた。
よくわからないが丸山と名乗っていたらしい。球団の方だそうだと池山は回答。
すると小川が、それって一軍の指導者の丸山さんなんじゃないのかと言い出した。もしそれが本当なら、その要件というのは何となく想像がつく。
そんな少しざわついた雰囲気の中に広沢が帰って来た。
戻って来て皆の顔をきょろきょろと見渡し、荒木を探す。
「荒木、今週、苫小牧に一軍の丸山さんが来るってよ。そういう事だから、俺とお前で事務所に来てくれだそうだ」
一軍の指導者が来る。十中八九は昇格の話であろう。
大広間は多いに沸いた。
前祝いだと言って岩下が冷蔵庫から麦酒の缶を持ってきた。
毎週のように試合のある二軍だが、八月に一回だけ休みが挟まっている。
元々は体を休めるための一週間なのだが、その一週間でどの球団も色々と人事が動く。
合同練習の翌週、広沢と荒木は車で苫小牧にある獅子団の事務所へと向かった。
約束の時間は午前九時。
二人共に着慣れない一張羅に身を包んでいる。
「やっぱり一軍昇格の話なんでしょうかね。年頭に関根監督も、若手を積極起用していきたいみたいな事言ってましたし」
荒木がそう話を振ると、助手席の広沢は口角を上げて顔をほころばせた。
「まあ、東国戦の真っ最中にわざわざ一軍の指導者が北国まで来るってんだから、そういう事なんだろうな」
そうでないなら逆に何の用事があるんだと言いたいくらい。
そこまで言った広沢だったが急に顔から笑顔を消した。
「もう一つ可能性はあるな。あの福富っていう指導者だ。聞いた話だがな、どうやらあいつ、日野監督に指導者としての意識が低いって叱られたらしいぞ」
こういう選手はいるかと監督から聞かれても、うちの選手は駄目ですと毎回言っていたらしい。
広沢を日野が抜擢しようとした時も、あんなのを使うより苫小牧の選手を使った方が良いと言ったのだそうだ。
荒木を呼ぶ時には、能力が低すぎてあんなのを呼んでも到底戦力にはならないと笑い出したのだとか。
「何で自分の球団の選手をそこまで悪しざまに言うんでしょうね。そもそもうちの球団から来ているんだから、むしろ使ってもらおうと売り出すのが当たり前でしょうに」
荒木の疑問はもっともだった。
それについて、昨年退団した谷松から広沢はちょっとした話を聞いている。
どうやら福富は元々見付球団の選手ではないらしい。選手交換で別の球団から見付に来たのだそうだ。
引退後は一軍の指導者をしていたらしい。
だが、監督が代わった際、福富はそのまま見付球団に指導者として残る事になった。
ところが新たな監督には全く評価されず、最終的に二軍の指導者にされてしまった。
それを福富は左遷だと感じたようだが、それでも最初はちゃんと選手たちを監督に推薦していたらしい。
ある時、自分が推薦した選手が活躍しなかったと言って二軍監督から叱責を受けたのだそうだ。
当時、谷松は入団一年目。
それまで嫌々でも指導してくれていた福富が、ある日突然横柄な態度になり、それから全く監督に推薦してくれなくなったのを感じたらしい。
さらには新入団の選手に対しても、指導するだけ無駄と一切指導をしなくなったのだとか。
迷惑な話だと広沢は言う。だが迷惑だけでは済まない問題がある。
そもそも自分たちは未来ある選手なのだ。そんな偏屈なやつの感情で未来を閉ざされてはたまったものではない。
「もしその話が出ないようならさ、今回は良い機会だから俺が言ってやるよ。だから荒木もちゃんと賛同してくれよ」
獅子団の事務所に到着した二人は、受付の案内で会議室へと通された。
その時点ではおじさんが一人佇んでいるだけであった。
おじさんは荒木たちが入ってきたのを見て、にこりと微笑んだ。
つかつかと近寄って来て、まず広沢と握手し、その後荒木と握手。
その後二人に名刺を渡し、丸山だと言って挨拶した。
「いやあ、君たち二人の活躍が一軍にも聞こえてきたんだよ。君たちを呼んできてくれって関根監督が要望しててね。だけど獅子団との交渉もあるからね。こうして北国までやってきたってわけさ」
そう言って丸山は顔をくしゃっとさせて笑った。
丸山は笑うと額に皺が寄る。かなり頭皮が後退しており、短く剃ってしまっている。そのどことなく猿を思わせる愛嬌のある顔からは非常に親しみを感じる。
「へえ、交渉なんてしているんですね。獅子団に申し入れたら二つ返事ってわけでは無いんですね」
少なくとも入団から一年半、石毛のように途中で一軍に昇格した選手を数人見ている。だから一軍からの要請は絶対だと荒木は思っていた。
「太宰府さんはそうだよ。だって監督だって太宰府から来た監督なんだもん。だけどうちはそうじゃないんだよ。監督との交渉が必要なの」
それでも期待はしてくれと丸山は二人に笑顔を向けた。
そこから丸山は一軍の状況を二人に聞かせた。
今年も現時点で見付球団は最下位。観客動員数も二四球団中二十位。
ついに協会から業務改善を言い渡されてしまったらしい。
そんな話をしているところに、日野監督が入室してきた。
日野が席に着くと、事務所の人がお茶を持ってやってきた。
お茶を配り終え退室すると、丸山は日野と世間話を始めた。
開幕から太宰府球団は少し調子が悪かったそうだが、石毛選手の昇格で成績が安定しだしたらしい丸山が話を振った。
すると、球団からの指示だとしても、できれば石毛の昇格は今年いっぱい待って欲しかったと日野は言った。こちらは二軍、それはわかるのだが、中心選手を抜かれて成績が悪化して怒られるのは自分なんだと。
その一言で丸山は交渉の難航を覚悟した。
案の定、本題である広沢、荒木の一軍昇格の話をすると日野の表情は雲った。
せっかく今獅子団は調子を上げているのだから、年末まで待てないのかと言ってきた。
だが、太宰府同様こちらにも一軍の都合というものがあると丸山も引き下がらない。最下位という現状を考えれば喫緊の問題だという事がわかるだろうと言って。
そこから二人の交渉は平行線であった。
ある程度意見をぶつけたところで休戦し、二人ともお茶をすすった。
「関根監督はどうしても二人ともという話だったのですか?」
日野が丸山に探りを入れた。
丸山が広沢、次いで荒木の顔を見る。
「できれば二人という事でした」
丸山の回答は、最悪二人は無理でもどちらか一人はという回答であった。
日野がふうと短く息を吐く。
「ならば荒木君を残して欲しい。それを聞いてもらえるなら、見付球団から代わりの選手を一人正規選手に呼びます。これで手を打ってもらえませんか?」
日野はじっと丸山の目を見つめた。
荒木の顔を見て丸山がふんと鼻から息を漏らす。
「わかりました。今回はそれで納得しましょう。ただし今年一年間のみ。年末には一軍に上げます。それと、一軍の選手に不測の事態があった際にはこの限りではないという事を承諾ください」
丸山の条件に日野が頷いた。
交渉成立だと言って二人は握手を交わした。
その後、日野は広沢と握手した。
「今までありがとう。一軍での活躍を影ながら応援しています。頑張って!」
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