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第15話 美香と再会

 赤坂さんの『荒木』という呼び声に女性は敏感に反応してこちらを向いた。

その女性の顔で、なぜ自分がこの光景が気になって足を止めてしまったのか、荒木は理解した。先ほど聞こえた声がどこか聞き覚えがある気がしたのだ。


 頬を叩かれていた女性は美香だった。


 一昨年の夏からすると随分と髪が伸びていて、一昨年の夏は化粧もしていなかった。その顔はどこかやつれてしまっているようにも見える。だからあの時と印象は全然違う。

 だけどわかる。


「嘘……」


 何かに怯えたような顔をする美香の口から心の声が漏れ出る。

 咄嗟に荒木から顔を背けた。


 美香の頬を叩いた黒服の男性がこちらを睨みながら向かって来る。


「何見てやがんだよ! 見世物じゃねえんだよ! さっさとどっか行けや!」


 荒木を上から見下ろし、低く唸るような喋り方で威圧してきた。

 後ろにいた赤坂は明らかにそれに怯んで黒服の男性から距離を取る。

 だが荒木は一歩も動かない。


「何だお前? 何か俺たちに用でもあるのか? 無えんだったらさっさとどっか行け!」


 それでも荒木は動かない。

 地面に崩れ落ち顔を背けている美香をじっと見つ続ける。


 黒服の男が荒木の胸倉を掴む。


「無視してんじゃねえよ! 何なんだてめえは! 殺されてえのか?」


 黒服の男が上着の内ポケットから折り畳み式の短刀を取り出し、刃を出して右手に握る。

荒木の後ろでは、赤坂が狼狽して周囲をちらちらと見ている。


「おい、荒木! 何遊んでんだよ! さっさと帰るぞ」


 そう言って短刀を持った男の後ろに広沢が立った。さらにその両脇に伊東と小川。荒木の後ろには秦と荒井。赤坂の隣に岩下と片岡。


 明らかに競技者という感じの男性たちに取り囲まれ、黒服の男は短刀をしまって大通りを人込みに紛れて逃げて行った。


 裏路地を走り、こっそりと逃げ出そうとしている美香を荒木は追いかける。

 美香は踵の高い靴を履いており、あっという間に荒木に追いつかれてしまった。


「離して! 離してったら! 離さないと人を呼ぶわよ! 誰かぁ!」


 美香が大声で叫ぶ。だが残念ながらここは裏路地、人は一人も通らない。大通りからその光景は見えるだろうが、男女間の揉め事程度にしか思われないだろう。


「やっぱり美香ちゃんだ。良かった。あの時の約束を守って君の家に行ったんだけどさ、誰もいなくって。俺、ずっと心配してたんだよ!」


 荒木から顔を背け、美香は派手な赤で塗られた唇をきゅっと噛んだ。

 右手首は荒木に掴まれたまま。


 その背けた顔の頬に雫が一筋流れる。


「私はもう……あなたの前に現れて良いような人じゃないの。だから……放っておいてよ……」


 消え去りそうな声。

 震える声で美香は言った。

 さらにもう一筋頬に雫が流れる。


「どういう事? 何があったの? 何で美香ちゃんがこんな事してるの?」


 荒木の少し雑な態度に美香は涙を溢れさせ、じたばたと暴れて荒木が持っている手を振りほどこうとする。

 だが、暴れれば暴れるほど、荒木は逃がすまいと手首を強く握る。

 終いには美香は大声をあげて泣き出してしまったのだった。


 荒木が手を離すと美香は地面に座り込み、わんわんと声をあげて泣き出した。

 そんな美香を荒木はしゃがみ込んでそっと抱きしめる。

 美香からしたら、久々の人の温もりだったのだろう。色々な感情が次から次へと溢れ出してしまい、それが涙となって次々に零れ落ちていった。


「荒木君! 荒木君!」


 荒木の背に手を回して、荒木の胸に顔を埋め、美香は叫ぶように声をあげて泣き出した。

 そんな美香を荒木は優しく抱きしめ、そっと頭を撫でる。


 どれだけ色々な事を我慢していたのだろう。徐々に声も枯れてきているというに、美香はまだ声をあげて泣いている。


「ねえ美香ちゃん。お腹空かない? どこか何か食べに行こうよ。俺おごっちゃうからさ」


 荒木が優しく声をかけると、美香はひっくひっくと体を振るわせ、無言で小さく頷いた。

 美香を立たせ、膝やお尻についた埃を払って、荒木は美香の肩に手を回した。

 俯いたまま美香は荒木に体を寄せる。


 ふと大通りを見ると、他の選手たちの姿が無かった。どうやらあの後すぐに全員帰ってしまったらしい。


 力無くよろよろと歩く美香の歩様に合わせ、ゆっくりと大通りに向かって荒木は歩いた。時間も遅く、この時間からやっている店といえば、飲み屋か夜泣き拉麺か牛丼屋くらい。

 この状態で飲み屋に行くと、美香が変な飲み方をするかもしれないと危惧して、夜泣き拉麺の店に行く事にした。


 北国と言えば味噌拉麺。

 少し甘味のある白味噌を豚骨で取った出汁で煮立たせ、ちぢれ麵にからめる。牛酪ぎゅうらくを乗せて、そこに唐黍をどっさりと盛り付ける。

 最近この拉麺がお気に入りで、荒木は頻繁に色々な店に食べに行っている。


 汁をひとすすり。

 うん、絶品!

 麺と共に。

 まさに絶品!


 ふと美香を見ると、俯いたまま拉麺を前にじっとしている。


「ごめん、もしかして拉麺嫌だったかな? おごるとか大きな事言っておいて拉麺でごめんね」


 そう荒木が声をかけると、美香ははっとして荒木の顔を見た。

 しっかりと施してきていたであろう化粧は、もうぼろぼろで見る影も無い。

 だが、そのせいで最後に見た美香の顔がのぞいている。


 美香は無言で首を左右に振る。


「良かった。だったらほら、早く食べないとせっかくの美味しい拉麵が伸びちゃうよ」


 荒木の優しい微笑みに、美香はまたじわりと瞳に涙を浮かべた。

 そこから美香は、一心不乱に拉麺を食べ始めた。

 その姿にほっとした荒木は、自分も拉麺を食べ始めた。


 まさに完食。

 温かい拉麺は心まで温めてくれるようであった。

 美香も完食とまではいかないまでも、汁を残して食べきっている。


「美味しい……私、拉麺食べたのいつ以来だろう……」


 先ほどまでと違い、美香の顔はかなり穏やかな表情となっている。まるで美味しかった拉麺の余韻でも楽しんでいるかのように。


「そっか、地元の人ってあんまり地元で有名なものって食べないっていうもんね。俺の実家はシラスで有名だけど、俺もなかなかシラスって食べないし」


 世間話の感覚で荒木はそう言ったのだが、美香は小さく首を横に振った。


「小さい頃から拉麺って食べさせてもらえなかったから。私食べるのが遅かったから、伸びちゃってもったいないって言われて。大きくなってからは……」


 そこで美香は言葉を止めた。その先は言いたくない。そんな表情である。


「じゃあさ、これからはあっちこちの美味しい拉麺を食べに行こうよ! 俺より美香ちゃんの方が美味しそうなお店知ってそうだもんね」

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