第10話 安達荘に何が?
「久しぶりじゃない! さ、さ、中に入って。お茶でも飲んでいきなさいよ」
荒木を見ると、よくこの場所がわかったねと言って土井さんは事務室へ招きいれた。荒木たちも招かれるがままに事務室へと入った。
「聞いたよ、荒木君。見付球団に入団したんだってね。最初に練習試合で見た時から、君は職人選手として活躍する子だって私思ったんだよね。ねえ、後で署名してよ。宝にするからさ」
土井はニコニコしながら珈琲を三杯持ってきて、荒木、小川、広沢に配った。
構いませんよと荒木が微笑むと、土井は小川と広沢をちらりと見る。小川も広沢も微笑んで無言で頷いた。
「で、今日はどうしたの? もしかしてあの時の事を思い出して私を訪ねてきてくれたとか? そんなわけないか。観光のついでに寄ったとかかな?」
荒木たちの向かいの席に腰かけている土井は嬉しそうな顔で荒木を見ている。
そんなところですと荒木が少し恥ずかし気に言うと、そういう時はあなたに会いに来たって言うんだよと小川が小声で指摘。それが聞こえたらしく土井がくすくすと笑い出した。
「びっくりだよね。あの美登里がさ、あの若松選手と結婚するんだもんね。しかも聞いた? 子供も生まれたんだって。この間電子郵便が来たんだよ。三人の写真付きで」
おもむろに携帯電話を取り出し、土井は広岡先生が送って来た写真を荒木に見せた。
そこに映っていたのは紛れも無いあの広岡。
久々にその顔を見た荒木は、どうしてもついさっき見た安達荘の事を思い出してしまい、表情をどんよりと曇らせてしまう。
本当に若松だと盛り上がる二人とは明らかに表情が異なっている。
「どうしたの、荒木君。何かあったの?」
土井に優しくたずねられた荒木は、不覚にも涙を零しそうになってしまった。
下唇を噛み、うなだれてしまった。
その態度で確実に何かあったと察した土井は小川の顔を見た。
昨晩からここに来るまでの話を小川は順を追って説明。
それを土井はうんうんといちいち頷いて聞く。
安達荘の話になると、荒木は両拳をぎゅっと強く握りしめた。
「そっかぁ。荒木君と美香ちゃんがねえ。そんな事になってただなんてねぇ」
小さく吐息を漏らすと、土井はゆっくりと珈琲を飲んだ。
荒木はまだ拳を握りしめてうなだれたまま。
そんな荒木に土井は、少し辛い話になるが聞く覚悟はあるかとたずねた。
顔を上げると、荒木は土井を見てこくりと頷いた。
――実は二年前に荒木たちが合宿に来る前から、安達荘は閉鎖しようという事を言っていたのだ。
元々安達荘は、この時期にこの辺りの牧場に住み込みで働きに来る人を泊める目的で開かれた民宿であった。
この辺りの牧場を傘下に置く薄雪会は、かつてはかなり勢いのある会派であった。
土井牧場も薄雪会の傘下の牧場の一つである。
当時は保有している竜の数も多く、羽化、産卵の季節は毎年人不足が深刻だった。
ただ、ちょうどその頃学校は春休み。北国の高校生にとっては牧場での短期労働は良い小遣い稼ぎだった。
そんな高校生の宿泊所として民宿が運営されていたのだった。
最盛期では五つほどの民宿が営業されていたのだが、薄雪会が勢いを失うと共に、牧場の竜も頭数を減らしていった。それに伴い短期労働の募集も減っていき、民宿の運営はままならなくなっていった。
一軒が閉め、二軒が閉め。ついには安達荘以外の民宿は全てその営業を終えていったのだった。
ところがここに来て薄雪会は再度勢いを盛り返し始めた。
それに伴い竜の数も増え、急に人手不足となっていった。
困っていた土井の所に、たまたま後輩の広岡が連絡を取ってきた。
竜杖球部の顧問になったのだが、学校に竜がおらず、部員の乗竜経験が乏しくて、このままでは夏の大会でまともに渡り合えない。公立高校だから竜も買えないし、施設に行く部費も無い。何か良い案はないものかと相談された。
渡りに船だと土井は思った。
そこで近隣の牧場を訪れ、知り合いの高校の竜杖球部を短期労働として受け入れようと思うがどうかという話をして回った。
どこの牧場も、そういう事情なら乗竜も教え込んでやると二つ返事で受けてくれた。
安達荘に受け入れをお願いすると、最初は渋っていたのだが、提示された金額を見て了承してくれた。
ただ一つ問題があった。
もし素行の悪い者たちだったらどうしよう。特にうちには美香という年頃の娘がいる。もし乱暴でもされたらどうしよう。
その懸念を広岡に伝えた所、それならば教頭が同行してくれるという事になった。
果たしてやって来た彼らは、我々の期待以上に真面目に働いてくれた。とにかく乗竜技術の吸収に貪欲で、逆に牧夫たちが舌を巻くほどであった。
彼らが帰った後に薄雪会の会合があって、そこでどの牧場の場長も彼らを褒めていた。来年も来てくれると嬉しいとまで言ってくれていた。
招きいれた自分も鼻が高いというものであった。
その年、安達荘は久々の黒字決算だったらしい。借金も一部返済でき、営業継続できそうという目途が立った。
年が明けると、福田水産から今年も合宿に行きたいという申し出があった。安達荘は傷んでいた部分を改装して彼らを招き入れた。
荒木たちが帰ると、安達夫妻は来年の為に彼らが来た時に気持ちの良い思いをしてもらおうと、あちこち改装を施した。
ところが今年、彼らは春合宿には来なかった。
連絡が無いが今年はどうするのかと川上教頭に確認を取った所、川上は申し訳ないと謝罪をしてきた。職員会議で短期労働の件が問題になってしまい、どうしても許可が下りなかった。部員たちも皆楽しみにしていたのだがと平謝りであった。
昨年までは竜に乗れないからやむを得ないと特別に許可を出してもらえていた。ところが、今年見付球団の練習場を使わせてもらえる事になった。ならば校則に違反している短期労働を特別許可してまで北国に合宿に行く事は無いという事になってしまったらしい。恐らくは来年以降も行けないと思うと。
それを伝えると安達夫妻は、がっくりしてしまった。
そこから安達荘に何があったのかはわからない。
次に安達荘の話を聞いたのはどうやら安達荘は売却されたらしいという話であった。
安達一家がどこに行ってしまったのかもわからない。
噂ではかなり借金があったと聞く。
あくまで噂でしかないが、一家離散したんじゃないかという話も聞こえてきている――
「そんな……」
土井の話を聞き終えた荒木は、わなわなと肩を震わせた。
そんな荒木の握った拳の上に土井はそっと自分の手を添えた。
誰が悪いという話でも無い。
小川も広沢も、何ともやるせない話に言葉が出なかった。
美香ちゃんという娘はどうなったのか?
恐らく荒木がもっとも聞きたいであろう事を小川が代わりに土井にたずねた。
「本当にあの家族の事はわからないのよ。美香ちゃんもね、地元の水産会社で事務員として働いてたんだけどね、変な電話がかかって来たらしくて、そこから会社も辞めちゃってこの町からいなくなっちゃったのよ」
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