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第9話 安達荘に行こう

 美香に久々に会える。そう思うと荒木の心は高鳴っていた。


 きっと二人の先輩は美香との事をからかってくるだろう。どうやって言い繕うべきか。ここはもういっその事、先輩たち二人の公認の恋人という事にしてしまって、実は美香に会いに来るのが今回の旅行の最大の目的でしたって事にしてしまっても良いかもしれない。


 朝風呂といって温泉に入る前から荒木はのぼせ上っていた。

 広沢と小川から見ても、はっきりと心ここにあらずという感じに見えていた。朝食の時間も荒木の顔はにやけっぱなし。

 恐らくは女だなと広沢と小川は言い合っていたのだった。



「で、なんて名前の娘なんだよ。その民宿の娘は。合宿でお世話になったとかなんとかもっともらしい言い訳してたけど、その娘目当てなんだろう?」


 突然広沢からそう問われ、荒木は押し黙ってしまった。

 もったいぶらずに言ってしまえと小川からも囃された。


「実はそうなんですよ。美香ちゃんって娘なんですけどね。その合宿の時に良い仲になっちゃって。卒業したら絶対に会いに来るからなんて約束しちゃってて」


 荒木が鼻の下をこすって照れると、助手席に乗っている小川がちゃんと前を見ろと怒鳴った。

 車が中央分離帯を越えて対向車線に半分入ってしまっている。

 危ないと言って荒木は車を元の車線に戻す。

 三人はほっと安堵し、対向車が来てたら死んでいたぞと広沢と小川双方から怒られた。


「あれ? お前、先日実家に恋人がいるとか言ってなかったっけ? お前まさか……」


 助手席の小川が非常に冷たい目で荒木を見てきた。

 後方鏡からちらりと見える広沢もこちらを冷めた目で見ている。


「いや、あの、その、向こうは幼馴染みたいなもんで……」


 そう苦しい言い訳をする荒木に、先鋒は女にモテて良いなあと広沢が冷静に指摘した。


「で、こっちの美香ちゃんは現地妻って事か。良いご身分だなあ、ええ?」


 『現地妻』という単語に荒木は不快感を抱き、心外だという顔をする。

 向こうは押しかけ女房みたいなもので、こっちは恋女房なのに。

 ……女房でもないけど。



 天気は快晴。

 海からの心地よい風が開かれた窓を通って車内を吹き抜けていく。

 そんな心地よい風に誘われて、荒木たちの車は室蘭を過ぎ、伊達町へと近づいて行った。


「美香ちゃんだっけ? 民宿行ったらその娘を昼食に誘えよ。俺たちの目的は洞爺湖なんだからさ、一緒に洞爺湖に行こうぜ」


 これでも小川としては精一杯気を使ったつもりなのだろう。

 そう思うとなんだか申し訳なく感じてしまう。安達荘の訪問は自分の我がままみたいなものなのに。



「あれか? 想像以上に古い建物だな。しかも周辺は見渡す限り牧場以外何も無いと来たもんだ」


 安達荘が見えると小川がすぐにそう感想を漏らした。

 まあそう思われても仕方がないと荒木は思わず顔がにやけた。何せ自分も最初に来た時はそう思ったのだから。


 だが、建物に近づくにつれ、何故か荒木は期待よりも不安が強くなっていった。

 安達荘に到着すると、その光景に荒木は目を疑った。


「これ……営業してるのか? 門の所に立入禁止の紐が張ってあるけど」


 車から降りた広沢が真っ先にそう疑問の声をあげた。


 場所はここで間違いない。

 強いて言えば、思い出の安達荘はもう少しボロボロだったかもしれない。

 だが、門に掛けられていた『安達荘』と書かれた看板が外されている。


 その時点で荒木は強い不安感に襲われた。


 紐を跨いで門から中に入ってみる。

 車が無い。

 それどころか駐車場だった場所に草が生えている。

 つまりは今たまたまどこかに出かけているという感じではない。


 窓という窓、全て雨戸が閉まっている。

 玄関までの道が雑草だらけ。

 少なくとも荒木たちが合宿に来た時は雑草など一本も生えておらず、綺麗に竹箒で掃除がされていた。


 庭に置かれていた大きな物干し台が倒されている。

 自分たちが練習で汚した物を洗って干してくれていたあの物干し竿が庭に置かれている。


 よく見るとその庭の芝生も伸び放題に伸びていて不揃い。

 その光景に荒木はなんだか酷い息苦しさを覚えた。


「ここでね……合宿の最終日に、安達さんのご厚意で花火をやったんですよ……まだ時期じゃないからかなり高かったであろう西瓜を切ってくれて。花火には西瓜だって言って……」


 庭に立った荒木は涙目で小川と広沢に訴えかけた。

 小川も広沢もどう声をかけて良いかわからず、痛ましいという顔で荒木を見ている。


 ふと玄関を見ると、硝子張りの扉の内側に張り紙が貼ってあるのが見える。

 恐る恐る近づいていく。


 そこに書かれていた文字、それは『売物件』であった。


 中を覗き見ると靴が一足も無い。

 上履きも無い。

 本当にここがあの安達荘なのか不安になるが、玄関から見える風景は紛れも無い春に合宿した安達荘のそれである。


 安達荘が閉鎖……


 さらに悪い事に荒木は気づいてしまう。

 ここは民宿なのだから安達一家はここに住んでいたはず。その民宿が閉鎖という事は、じゃあ安達一家はどこに?


 いったい安達荘に何があったのだろう?

 どうしてこんな事になってしまっているのだろう?


 絶望的な光景を前に、呆然と立ち尽くす荒木の肩を広沢がぽんと叩いた。

 泣きそうな顔で荒木は広沢の顔を見る。


「昨日、お前何とかって人の名前挙げてただろ。お前たちを合宿に誘ったって人。その人の牧場に行ってみようぜ。何かしら話が聞けるかもしれんだろ。最悪洞爺湖は明日に回そうや」


 広沢の提案に小川も無言で頷く。


 この安達荘を合宿所として選んだのは恐らく土井さんだと思う。確かに土井さんなら何かしら事情を知っているのかもしれない。


 でも知ってどうするのだ?

 自分にどうにかできる問題なのだろうか?

 そう考えると、事情を知るのが無性に怖くなってきてしまった。


「何も情報の無いままこの町を立ち去ったら、お前一生後悔するぞ。事情を知って、楽しかった思い出として整理する事も大切な事だぞ」


 小川の指摘に、荒木は弱々しく頷いた。



 あまりにも荒木が動揺してしまっていて、運転をさせるのは危険と判断した広沢は運転を代わる事になった。


 『伊達町』『牧場』で調べると、あっさり土井牧場は見つかった。

 地図案内に住所を入れ、その場所まで自動案内をしてもらい、広沢はその通りに車を走らせていく。


 ただ北国はそこまで道が入り組んでいるわけではなく、安達荘からは少し北に離れてはいたが、迷うことなく土井牧場には到着した。


 車を止め、事務室へと向かった。


 もし土井さんもいなかったらどうしよう。

 そんなそこはかとない不安が荒木の表情を曇らせる。


 どうやら牧場側からも荒木たちの車が止まったのがわかったらしい。事務室から女性が一人出てきた。

 その姿に荒木は思わず涙しそうになってしまった。

 人の良さそうな笑顔、波打った髪、そして凛々しい眉。決して高いわけではない背、そして広岡先生とは比べ物にならない立派な胸部。

 それは紛れも無い土井さんであった。

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