第7話 現実は厳しい
「小川さん、何で俺たち、毎日毎日竜の世話ばっかりさせられてるんっすかね? もう来月から二軍の公式戦って始まるんですよね?」
竜房の寝藁を掻きながら荒木は先輩の小川に愚痴った。
小川は荒木の一年先輩。同じ見付球団所属の二軍選手である。出身校は浜松の秀優学園。守備位置は後衛。驚くほど特徴の無いあっさりした顔をしている。
二人は北国の十勝郡日高町というところにある日章会という会派の提携牧場で朝から夕まで竜の世話をしている。
二人だけじゃない。四年先輩の谷松、三年先輩の岩下、二年先輩の広沢も同じ牧場で同じ生活を送っている。同期の荒井は小川の同期の伊東たちと別の牧場に行っている。
竜杖球をやりに入団したというに、五人とも竜杖球どころか竜杖も持たずに牧草熊手ばかり手にしている。
朝も暗いうちに牧場に来て、夜も明けきらぬうちから竜の世話をし、それが終わったら竜に乗って乗り運動をさせる。それも終わったら放牧させる。日が暮れそうになったら軽く水で汗を洗い流して竜房に入れる。
もうこんな事を二月も続けているのだ。それは愚痴の一つも漏れるというものであろう。
「しょうがねえだろ? 俺たちの獅子団は太宰府球団が主軸の球団なんだから。俺たちは傍流なんだよ、傍流。よほどの事が無い限り最低二年はここだ。そう覚悟決めて竜をかわいがってやろうじゃんか」
そう言って小川は爽やかにも白い歯を見せるのだが、その笑顔はやはりどこか引きつっている。
それもそのはず。小川も合同練習に参加しても一度も二軍の公式戦に呼ばれず、今日まで悶々とした日々を過ごしている。同期の伊東も同様。
牧場からは毎回小川の車に乗って帰っている。昨年までは広沢の車で牧場に向かっていたらしい。車は小川のものだが、燃料費は先輩という事で谷松が出してくれている。
この役割は見付球団の伝統のようなものらしく、燃料は一番の先輩が出し、車は二年目の後輩が出すという事になっているのだそうだ。つまりは来年の運転は荒木という事になる。
それまでに正規選手として呼ばれれば、来年も小川という事になるのだろうが、少なくともこうして近五年の先輩たちが一人も欠ける事無く日高にいるという事は、あまり見通しは明るくないという事なのだろう。
基本的に新入団選手はどの球団のどの選手も五年契約らしい。最上位の谷松が五年契約の五年目。今年の秋には厳しい現実が待ちわびている。
その為、怪我や成績不振による調整で二軍に来ている選手を除けば、入団六年目以上の選手はいない。
つまりは五年以内に何とかして頭角を現せという事である。
二軍選手は寮生活である。
何年北国にいる事になるのかわからないし、それほど生活力が高いわけでもない。さらに言えばそこまで給与が高いわけでもない。そんな二軍選手には安くて宿と食事が提供される寮は最適解なのである。
契約している牧場は二つ、寮は一軒なので、牧場から帰って寮で顔を合わせるという感じになる。
全員竜杖球の選手で、球団から勧誘を受けた選手のはずである。ところが、もはや全員、竜杖球の選手なのか牧夫なのか判別がつかない生活を送っている。そのせいで食卓の話題といえば、今年の何とかという竜が良さそうなどという情報ばかり。面白そうな情報でも入れば、休日には場外竜券売り場に繰り出すのが日課となってしまっている。
荒木たちにとって重要なのは、週に一回行われる獅子団の合同練習。
二軍は北国、東国、西国、南国、各国から一球団づつが参加し、一つの二軍球団として運営している。そのため球団数は全部で六つ。
『襲鷹団』『大鯨団』『猛牛団』『龍虎団』『獅子団』『昇鯉団』。
荒木たち見付球団はその中の獅子団に所属してる。
ただ、この六球団は元々母体となる球団が存在している。
襲鷹団は幕府球団、大鯨団は北府球団、猛牛団は西府球団、龍虎団は稲沢球団、獅子団は太宰府球団、昇鯉団は南府球団。
そこに他の国の三球団が振り分けられたという経緯がある。
そのせいで母体球団の選手が優遇されやすい傾向にあり、例えば荒木たち獅子団であれば太宰府の新人選手が優遇されやすい。
獅子団は監督からして太宰府の元選手なのである。
指導者として苫小牧、見付、沖縄の元選手が参加しているので、指導はしてもらえる。だが選手の選抜は監督が行うので、当然太宰府の選手が採用されやすいという状況なのだ。
ここまで荒木は五回合同練習に参加しているのだが、一度も試合には呼ばれていない。というより見付の十人全員が一度も試合に呼ばれていない。
さらに言えば、荒木に至っては指導者の指導すら受けれていない。
はっきり言ってやってられない。
腐るな、腐ったらそこで選手生命は終わりだと思え。
谷松はそう後輩に口酸っぱく言っている。それはなかなか試合に出して貰えない見付球団の選手が昔から言い残してきた格言のようなものらしい。寮の壁にもその言葉が墨で書かれて貼られている。
とはいうものの、指導もされないのでは、まるで無視されているような気分に陥る。当然合同練習にも身が入らない。
結局入団六回目の合同練習も特に誰からも声がかからず、練習試合でもこれといった見せ場も作れずに規定の時間を終えてしまったのだった。
自分はいったい何をやっているんだろう?
うず高く積もった雪を眼前に荒木は夜空を眺める。
どんよりとした厚い雲が星々の瞬きを覆い隠している。
わずか二か月前には、周囲には友人で溢れていた。
史菜もいた。
家に帰れば家族もいた。
口うるさい母さん、明るい父さん、口の悪い姉ちゃん、優しい婆ちゃん。
だが、いまここにあるのは膝より高く積もった冷たい雪だけ。強いて言えば竜がいるだけ。
早くも荒木は全てを投げ出して家に帰りたくなっていた。
卒業してから何かと忙しいようで、史菜からの連絡は一切無い。
二か月前までは、あんなに一緒に楽しそうに会話していたのに。
思わず吐息が漏れる。
白き火炎かのように目の前で吐息が煙る。
自然と体がぶるりと震える。
「どうした、荒木? なんだもう帰りたくなったのか? それとも何か、田舎に置いてきた彼女の事でも考えてるのか?」
背後から小川に声をかけられた。
風呂上りの湯冷ましで外にやってきたらしい。どてらの隙間から白い湯気が上っている。
「まあ、そんなとこです。婆ちゃん、俺が買ってあげた電視機ちゃんと見てくれてるかなって」
嘘を付け。そう言って小川が肘で荒木の腕を突く。
「高校の時の彼女の事を考えてたんだろ? その娘の事はもう忘れた方が良いぞ。今頃はもう別の男とくっついているから。二月会わなきゃそんなもんだ。一年会わなきゃ綺麗に忘れさられる。そういうもんだ」
高校時代の色恋なんて、流行性の風邪みたいなもの。一気に熱が上がって、月日が過ぎれば一気に熱は下がる。
したり顔でそう言う小川を荒木はじっと見つめた。
「元気出してくださいよ。女なんて星の数ほどいるんですから。まあ雪雲で隠れちゃってますけどね」
そう荒木に言われ、小川はどんよりとした厚い雲のかかった夜空を見上げる。
確かに星は一つも見えない。
余計なお世話だと言って小川は寮に帰って行った。
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