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第5話 社長に会った

 十一月。

 荒木は学校を欠席し球団の事務所へと向かっている。


 車内に勧誘者が同乗しているのだが、軽い世間話程度しか会話は無かった。

 荒木の方からたずねる様な事も無い。例え何かをたずねたとしても勧誘者の回答は同じ。『その件は事務所に行ってから』であった。


 勧誘者の後に付いて事務所に入っていく。

 そこまで高くはない事務所。窓の数からして四階建て。


 会社の事務所というものに初めて足を踏み入れた。

 球場の煌びやかな雰囲気とは想像もつかない地味な雰囲気。飾り気は一切無い。無機質な壁、無機質な扉、そして無機質な床。事務的な通告書の貼られた伝言板。


 球団の事務所というのに、ここにいる人たちは全員背広。

 書類を手にする人やら、鉛筆を持つ人やら。多くの人は椅子に座って机に向かって何かを電脳に打ち込んでいる。受話器を持ってどこかに電話している人も見かける。

 すれ違う人たちも荒木には目もくれず、自分の向かう方向に歩いて行く。


 事務所の三階、そこの第五会議室と書かれた部屋に荒木は通された。

 扉を開けると女性の事務員が色々な書類と飲み物を用意して座っていた。


「まずは入団の手続きを終えてしまおうと思います。持ってきていただいた印鑑と通帳は今から使いますからね」


 女性の事務員に促され、鞄から印鑑と通帳を取り出す。


 もちろん高校生の荒木が個人の印鑑など持っているはずも無く。家の印鑑を持って行けば良いと両親は言った。だがそれに祖母が反対した。これから社会に出ようという者が印鑑一つ持たなくてどうするのかと言って。


 翌日荒木は祖母に連れられ町の印鑑屋さんへ出かけた。

 いくつかの意匠の中から祖母が二つまで選んでくれて、荒木にどちらが好みかとたずねた。その選んだ方の印鑑の意匠を彫ってもらい、容器に入れて、それを巾着に入れて持ってきた。代金は祖母がお祝いだと言って出してくれた。


 女性の事務員からいまいち理解できない小難しい説明を聞かされ続けている。契約の話やら法律の話やら、全く何を言っているのかわからない。息苦しさのようなものを感じ、思わず大欠伸をかましてしまった。

 そんな荒木を気にした勧誘者の方が、途中で女性の事務員に説明を止めてもらい、嚙み砕いて説明しなおしてくれた。


 ようは双方の合意の元で行われましたよという事がここに書いてある。

 正式な契約だから、どちらかが一方的に反古にする事はできませんよ。もし反古にした場合、それ相応の賠償を負ってもらいますよ。そして契約は来年から五年間有効なので、その前に契約交渉がありますよという事だと勧誘者は説明した。


 なるほどと納得すると、勧誘者の方は女性の事務員に相手は高校生だからもう少しわかりやすく言ってあげないとと指摘してくれた。


 最後に、何かご不明な点はありますかと女性の事務員はたずねられた。


「不明な点は無いのですけど、不安な点は山のようにありますね」


 そう荒木が返答すると女性の事務員が真顔で首を傾げる。

 だが、勧誘者は「わはは」と声をあげて笑った。


「気持ちはわかりますよ。なにせ初めての事ですもんね。これまでは学校で先生の指示に従えば良かった。それがこれからは自分の考えで色々とやっていかないといけない。こんなに不安な事はないですよね」


 荒木が愛想笑いを浮かべると、勧誘者は一言「大丈夫」と言い放った。


「荒木君がうちの球団に来て、考えなきゃいけない最も大切な事は活躍する事。ただそれだけです。他にもたくさんあるけども、そんなのは木で言ったら枝に過ぎない」


 それが職業球団に所属するという事、それが職人選手という事だと勧誘者は説明した。

 荒木は納得して大きく頷いた。


 その後、契約書と書かれた紙に何箇所も荒木雅史と署名し、祖母に作って貰った判を押していく。

 これが最後ですと言われた欄は、それまでよりずっと大きく、大きな字で署名し判を押した。



 契約を終えると入団の会見があるから別室で待機するようにと言われた。

 そこにはすでに契約を済ませたもう一人の選手が待機していた。

 残念ながら荒木はその人物を知らなかったが、向こうはこちらを知っているらしい。


「うわっ! 確か福田ふくで水産の荒木君だよね! 俺、三遠大知立さんえんだいちりゅうの荒井です。そうなんだ! 荒木君も見付に入るんだ! 一緒に頑張って一軍で活躍しようね!」


 そう言うと荒井は右手を差し出した。

 戸惑いながらも荒木はその手を取る。


 三遠大知立は、夏の大会で荒木たちの組とは別の組で優勝し、三遠郡の代表として東国大会に駒を進めた高校である。残念ながら初戦の相手が悪く敗退してしまったが、その中心選手だった荒井が見付球団からの勧誘を受けたらしい。


「俺は見付からしか勧誘来なかったんだけど、荒木君は何球団くらい勧誘が来たの? もしかして幕府や稲沢からも勧誘があったりした?」


 何となくその質問の回答はぼかした方が良いと荒木は感じた。何球団か来たよという程度に留めておいた。


 そこから竜杖球の話で少し話に花が咲いたところで、控室の扉がコンコンと鳴った。 かちゃりと音がし一人の男性が控室に入って来る。


 年齢はいまいちよくわからない。おじさんはおじさんなのだが、そこまで歳はいっていないように感じる。顔のしわも少ないし、髪も黒々としていて毛量も多い。ただ、ちらほらとではあるが白髪も見える。長身で年齢を感じさえない細身の体。


 荒木が椅子から立つと、荒井も慌てて椅子から立った。

 男性は荒木を見てから荒井を見る。そして無言でうんうんと頷く。


「荒木君に、荒井君。見付球団にようこそ! 社長の松園まつぞのです。近い将来、お二人がうちの球団の柱として活躍する日が来る事を願っていますよ」


 どうにも二人の表情が硬いと思ったのだろう。社長と聞けば無理もないかもしれない。


「小難しい事は我々が考えるし、監督が考えますから。お二人は『打倒、幕府! 打倒、稲沢!』それだけを考えてくだされば結構ですよ。お二人が来たからには夢じゃないと聞いてますからね。頼みましたよ!」


 そう言って松園は高笑いした。

 荒木の前に松園が手を差し出す。

 荒木がその手を取ると「打倒、幕府!」と荒木の目を見つめて発破をかけた。さらに荒井とも握手をし「打倒、稲沢!」と発破をかけた。


 そんな気さくな態度の社長に、荒木も荒井も頬が緩む。

 そんな二人に微笑みかけて、松園は記者会見に向かいましょうと声をかけた。



 記者会見場は事務所一階にある『報道室』と札の付いた広い部屋であった。


 パラパラとではあるが、記者が詰めかけている。

 よく幕府球団や稲沢球団の入団会見の報道を目にするが、その映像からしたら明らかに数が少ない。

 記者は放送局や新聞社の名前の入った腕章をつけているのだが、そこから察するに、地元の放送局と地元の新聞、競技新聞から少しといった程度だろうか。


 最初に松園から記者に向けて選手の説明が行われた。

 それが終わると、監督である中西から二人のこんなところに期待しているという話があった。

 その後、荒木から意気込みを一言、荒井から意気込みを一言語られた。


 最後に報道からの質問となった。

 質問自体は他愛のないものであった。どんな選手に憧れているか、将来どんな選手になりたいかといったもの。

 その中で、なぜ見付球団を選んだかという質問が出た。


 その質問に荒木は、大切に扱ってもらえそうだからと回答。

 記者はそれに対し特に何とも思わなかったようだが、事情を知っている松園と中西は思わず荒木の顔を見た。


 会見が終わった後でそそくさと帰ろうとする記者たちに、松園は一言声を発した。


「きっとあなたたちは数年後、この場に立ち会った事を他の記者たちに誇る事になるでしょうね」

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