第1話 修学旅行の夜に
荒木たち三年生は高速鉄道に揺られ伊勢駅を目指している。
三年生たちは夏休みが明けると、慰安旅行かのように修学旅行に出かける。その後は秋に向けて受験一本である。
東国の学校は東国内に行く、西国の学校は西国内に行くというのが修学旅行の暗黙の仕切りである。私立高校はその類ではないが。
東国の旅行先の定番は、幕府、敦賀、郡山、浪岡、鎌倉、駿府、豊川、伊勢といったあたり。その中から福田水産高校は毎年勢尾郡の伊勢に行っている。
豊川、駿府、鎌倉といった辺りも近いのだが、豊川は小学生の頃に遠足で行く事が多く、駿府も小学校の時に修学旅行で行く事が多い。鎌倉は中学校の修学旅行の定番中の定番。
そういった経緯で伊勢という判断なのだろう。
鈴鹿駅を降りると輸送車が待機しており、そこに学級ごとに乗り込んで一旦伊勢まで向かう。その後は伊勢神宮で大学合格祈願をし、神話の街伊勢を観光していく。
観光が終わると大宿に行き、食事をとって、大浴場に入り、後は恒例の枕投げと教師からのお説教。
見付駅で高速鉄道に乗ってからこっち、荒木の隣の席は史菜が占領し続けている。
高速鉄道での話題は東国予選の郡山遠征の事であった。
武上先生も貝塚も朝が弱く毎朝大変であった。川上教頭がいなかったらどうなっていた事やら。そんな話をしていた。
史菜はいちいちそれに相槌を打って笑ってくれる。
荒木も何だか喋ってて楽しくなって、ついつい余計な事まで喋ってしまいそうになる。
貝塚が熱を出して大変だったと言ったところで、史菜の表情が曇った事に気付き、すんでのところでその先の出来事はうやむやにした。
輸送車に乗り換えてからは、今度は史菜の話であった。
郡予選を突破できたのは、結局史菜と草崎の二人だけであった。杉田先輩も頑張ってるんだから私もと言って、草崎は頑張っていたらしい。杉田と撮った写真をお守りのようにして携帯電話に設定していて、何かというと草崎はその写真を見て心を静めていたのだとか。
竜杖球部が郡予選を突破した翌日、史菜たちも郡予選の最終選考があった。
史菜は昨年も通過しているので堂々としたものだったが、草崎はそうでは無く、がちがちであった。
「ああ、杉田先輩! 私も東国予選に連れて行ってください!」
携帯電話を握りしめ何度も祈るように呟く草崎が、実に愛おしかったのだそうだ。
竜杖球部が準々決勝で敗退したという報が入った翌日、史菜と草崎も東国予選の三回戦であった。残念ながらそこで草崎は落選。
だが、史菜はそこからもさらに勝ち残り、ついに全国大会へと駒を進めた。北国、東国、西国、南国、それぞれ二人の代表、計八人の中から一位を決めるのだ。残念ながら一回目の選考で史菜は敗れてしまった。
その時の映像は荒木も中継で観ていた。何なら選考の始まる一時間ほど前に史菜に頑張れという電子郵便を送っている。
「あの時、自分でも信じられないくらい緊張しててね。あの電子郵便のおかげで緊張が少し和らいだんだよ。もしあの電子郵便が無かったら、もうボロボロであんなに接戦にはならなかったかも」
恥ずかしがる荒木の腕に頭を預けて、ありがとうと史菜はお礼を言った。
その日の夜、史菜に誘われて荒木は大宿の中庭を散策しに出かけた。
大宿の入口では常に先生が目を光らせており、外には行かせないという強い意志を生徒たちに向けている。
もう高校も三年生であり、それなりに男女で良い仲になっている人たちがちらほらといる。旅先の解放感からか、もはや全く人目を憚らない。門番のように玄関で待機する先生の前で堂々といちゃいちゃする強者もいる。
中庭は吹き抜けになっており、小さな池がある。天井は硝子張りとなっているので、上を見上げると星々の瞬きが見える。しかも他に比べかなり照明が暗めに設定されている。
そんな中庭に、お誂え向きに椅子のようになっている段差に、荒木と史菜は腰かけた。先に史菜が腰かけ、その隣に荒木が腰かける。少し隙間が開いており、史菜はその隙間を狭めるように座り直す。
荒木の手の上に自分の手を乗せ、肩に自分の頭を預ける史菜。
照れて史菜から顔を背ける荒木。
するとその視線の先にべたべたとくっつきながら中庭に入ってくる男女が見えた。
見慣れた男性と眼鏡をかけた女性。女性の胸部は相当な迫力を醸している。
男性の方と目が合う。何となくお互い気まずい気分になり視線を反らす。
その男女――戸狩と諸井は、荒木たちの反対側、荒木たちからしたら離れた横に二人で腰かけた。
「荒木君は進路って決めてるの? 竜杖球の職人選手になるの?」
突然史菜からそんな質問をされた。
史菜の頭はこちらにもたれかけたまま。少し甘い声を出している。
「どうだろう。東国予選に行くと一人二人は球団側からそういう誘いが来るって言うけど、そういうのって強豪校の話らしいからなあ。コネの無いうちみたいな高校に果たしてそんな誘いが来るもんなのかどうか」
荒木の返答に、史菜は最初そういうものなんだ程度の感想しかわかなかった。それよりも荒木と二人だけの時間の方に気を取られていた。
だがそこで会話が途切れると、史菜の中に今のはどういう事なのだろうという疑問がわいてくる。
「え? どういう事? コネって何? 職業球団って視察団が試合を視察して、それで実力を認められて採用の勧誘を出すんじゃないの?」
他の部はどうか知らないが、放送部の場合は完全に夏の大会の結果が全て。まぐれでもなんでもそこで評価されたら、多くの放送局がその人に採用の勧誘を出す。
その際、採用後の給料や待遇なんかが一緒に記載されており、それを見て学生たちはどの放送局の手を取ろうかと決めるのである。
当然、人気のある放送局は成績優秀者しか勧誘を出さないし、そこまで人気のあるわけでは無い放送局は、優秀者に勧誘を出しても断られるだけなので、それなりの成績の子に勧誘を出す。
「団体競技は基本コネだよ。宮田先輩みたいに地元球団が育成目的で勧誘してくれる事はあるけどね。そうじゃない人は球団の勧誘者と部活の顧問で癒着ができてて、顧問が推薦した人に勧誘が来るようになってるんだよ」
宮田先輩のように育成で採用された人も、その球団と提携している大学に行き、最終的にはその大学というコネで入団する。だからなんだかんだで球団に入る職人選手のほとんどはコネで入団している。
だがそれが全てではない。中には例外もいる。
それは視察に来た人が「これは!」と思った人を特別に球団に推薦した場合。
だが、そんな人は極めて少数なのだ。
「じゃあ、荒木君は採用の勧誘が来なかったらどうするの? 大学行くの? それとも就職?」
上目遣いでこっちを見る史菜に、一瞬荒木は心臓を突かれた気がした。
なぜか心臓が鼓動を早める。周囲を見ると、どいつもこいつも男女でべたべたしている。
一旦落ち着こう。
吹き抜けになった天井から夜空を眺める荒木。
「大学に行く気は無いよ。もう決めてるんだ。幕府に行って競竜場で調教助手をやるか、それが無理なら北国に行って竜の馴致(=幼竜の調教)をやるんだ」
騎手にはなれなかったから。
それならばせめて競竜の世界に身を置いて、騎手のような事をして生きていきたい。
「そっか。荒木君の志は常に竜の上にあるんだね。やっぱり格好良いな、荒木君……」
そう言うと史菜は荒木の腕を両手で抱き抱えた。
史菜の決して強く主張しない胸部が荒木の腕を優しく包み込む。
動揺して荒木は史菜から顔を背ける。
……何だこの雰囲気は。
今日の史菜はどこかおかしい。
ふと横を見ると、戸狩と諸井が顔を近づけ合っている。
なんだか薄暗い中庭に桃色の照明が当たっているように感じる。
抱えた腕を少しだけ引っ張り、史菜は荒木の気を引こうとする。
それにつられて荒木は史菜の方を見る。
荒木側の髪をかき上げて耳にかけて、史菜は少し口角を上げる。
ゆっくりと史菜が瞼を閉じる。
吸い寄せられるように、荒木は史菜の唇に自分の唇を触れさせたのだった。
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