第55話 いざ準々決勝へ
相変わらず、朝食の時間を過ぎても貝塚も武上先生も起きては来ない。
もうみんな慣れたもので、朝食を食べながら、今日は一分でも遅刻したら容赦なく置いていこうと荒木と戸狩は言い合っていた。一年生たちも笑いながら賛同。
青野に至っては、教頭先生さえいてくれたら、あの二人はいなくても大丈夫と毒舌をかます有り様であった。それにはさすがに川上教頭も苦笑いするしかなかった。
そこに非常に眠そうな顔をした貝塚がやってきた。目をこすりながら少しふらつく足取りで。さすがに初日の一件は貝塚としても痛恨だったようで、ちゃんと下着は付けている。
そんな貝塚を見て川上はどこか様子がおかしいと感じていた。
貝塚はおはようございますと挨拶すると、ふらふらという足取りで空いた席――荒木の隣の席へと向かった。
座ろうと座布団に膝を付いたまでは良かった。そこで眩暈を起こしたらしく、隣の荒木の方に倒れ掛かってしまったのだった。
慌ててお茶碗と箸を置き、荒木は貝塚を両腕で抱きしめるように受け止める。
何が起ったんだと部員たちが一斉に荒木の方を見る。
抱きしめた腕に伝わる温度で貝塚が熱を出している事に気付く。額に手を当てると明らかに発熱していることがわかる。
荒木は体温計を持ってきてくれと戸狩に指示した。
「荒木先輩、ひんやりして気持ち良いです……」
ふにゃふにゃの声で言う貝塚に、荒木は小さくため息をつく。
戸狩が民宿のご夫妻から体温計を借りて貝塚に渡すのだが、貝塚は荒木の腕の中が心地よいらしく体温計を受け取ろうとしない。
やむを得ず戸狩が貝塚の胸元から体温計を差し込もうとすると、貝塚はすけべと言ってくすくす笑い出した。
真っ赤な顔をした戸狩が、貝塚の両頬を指で掴んで熱を測れと指示した。
三八度二分。
風邪薬を飲ませて今日一日寝かせておこうと川上が言うと、貝塚は荒木の首に腕をまわした。
「荒木先輩、お布団までお姫様抱っこしてください」
耳を赤くして照れる荒木を見て貝塚はくすくすと笑い出した。
「俺が足持つから、長縄は手の方持ってくれや。荒木先輩の手を煩わすわけにはいかないからな」
荒木の正面で食事をしていた樽井が極めて冷静な態度で長縄に声をかけると、長縄は承知したと言って立ち上がった。
「やだやだ! お姫様抱っこが良い!」
荒木に甘えてぎゅっと身を寄せ、貝塚は足をばたばたと振る。
その姿に戸狩と川上は二人並んで目頭を摘まんだ。
「荒木君。もう何でもいいから早く貝塚さんを寝かしつけてください。じゃないと君に風邪がうつってしまうかもしれませんから」
そう川上が指示すると、荒木もやれやれという顔で頷いた。
一旦部屋を換気してきますと言って樽井と長縄が貝塚の部屋に向かった。
荒木たちは大部屋で雑魚寝をしているのだが、貝塚と川上、武上の三人は各々小部屋を用意してもらっている。
実は川上も大部屋で寝る予定だったのだが、荒木と杉田の強固な反対にあって小部屋で寝る事になった。
昨年春の北国の合宿の際、川上も大部屋で一日だけ一緒に寝たのだ。
だが、とにかくいびきと歯ぎしりが酷く、浜崎と伊藤から寝れないと苦情を入れられ、別室に追いやられたという過去がある。そこから川上は合宿中ずっと別室で寝ていた。
大部屋で大人数で寝ると子供の頃を思い出すらしく、川上はそちらを望むのだが、そこは生徒が最優先、やむを得ない。
「汚っ……」
貝塚の部屋の扉を開けた樽井は、あまりの惨状に思わず感想が口から洩れた。
布団は敷きっぱなし、脱いだ下着が鞄の横に無造作に転がっている。服も衣紋掛けに掛けずその辺に放置。
「おい、脱いだ靴下が枕の横に置いてあるぞ。よくこんな状況で寝れるな、あいつ……」
実に嫌そうな顔で長縄は部屋に入ると、貝塚の抜け殻たちを足で壁側に払いながら奥の窓へと向かった。
長縄が窓を開けたところで、貝塚をお姫様抱っこした荒木が川上、戸狩、杉田と一緒にやってきた。
布団に貝塚を寝かそうとするのだが、貝塚は荒木の首から手を離さない。それを見た樽井が貝塚の手をぎゅっとつねる。
「今熱冷ましの薬を飲ませたので、今日はこのまま大人しく寝ててもらいましょう。武上先生に残ってもらって球場には私が行きます」
じゃあ出発の準備をしようと部屋を出ようとすると、入口に武上が立っていた。
「朝っぱらから何の騒ぎですか?」
その姿に荒木、戸狩、杉田、長縄、樽井は目を白黒させた。
下は下着のみ。色は白だが、かなり大人な布地の少ないもの。
上は少し大きめのシャツのみ。しかも胸に突起が二つ浮き出ている。
髪はぼさぼさで、完全に顔は寝ぼけている。
大慌てで川上は武上に駆け寄り、扉を閉め、部屋に武上を無理やり押し込んだ。
「若い男子生徒の前に何て恰好で現れるんですか! あなたはそれでも教師ですか! さっさと目を覚ましなさい!」
扉の向こうから川上の怒声が轟く。
今の成人向けの写真集のようなものはなんだったのだろうと樽井がぽつりと呟いた。
「教頭先生も何かと大変だな……とりあえず、俺たちは出かける準備をするか」
そう戸狩が促すと、荒木たちは窓を閉め、薬が効き始めて寝ている貝塚を置いてぞろぞろと部屋から出た。
前回同様、会場である郡山開成山公園へと輸送車は向かっている。
朝からドタバタ劇が続いたせいか、部員たちはどこかお疲れの様子であった。
恐らく最も疲れた顔をしているのは川上であろう。疲れたというより、ぐったりという感じである。
「尽忠高校かあ。俺たちあの有名な尽忠とやれるんだなあ」
幕府は東国の国府だけあり、郡そのものの面積が広い。
そこに人口が密集しているため、他の郡が代表を二校しか選出していないのに対し、幕府だけ四校の出場枠がある。
高校数もとんでもない数あり、予選の日程も超過密。
そんな中勝ち抜いて来る高校なのだから強いのは当たり前である。
その幕府の強豪校で有名な高校が三つある。
瑞穂大第一校、武蔵商業、そして今回の対戦相手の尽忠高校。
三校のうち一校は必ず東国代表として全国大会に出場しているし、三校全て全国大会の優勝経験がある。
その尽忠高校が今回の相手なのである。
既に尽忠はここまで二戦し今回が三戦目。
中盤の選手で三年生の川相豪という選手が中心選手だと報じられている。
特集で映像を見たのだが、あまりの華麗な手綱さばきに福田水産の部員たちも思わず見惚れてしまったほどであった。
中盤三人の選手が圧倒的で、相手に球を渡さない。
そんな戦略の高校だと番組では紹介されていた。
ちなみに福田水産もほんの少しだが報じられていた。
先鋒の荒木の乗竜速度は非凡だが、その荒木一人の才能だけでここまで突破してきた感があると評されていた。
「荒木さん一人の高校かあ。それがうちなのか。だったらとことんまでその方向で突き進んでやろうじゃん」
なあ皆と言って賛同を集める大久保を見て、川上は良い部だなと感じていた。
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