第4話 顧問来ず
「先輩、うちらって竜杖球部ですよね? なんで陸で杖持って走ってるんっすかね?」
知るか。
荒木は後輩の間抜けな声にそう短く答えた。
「先輩、俺こんな女子にモテない不人気競技じゃなく、蹴球とか野球とかやってればよかったって後悔してます」
みんな一緒だ。
また荒木は馬鹿馬鹿しいとでも言いたげな感じで短く答えた。
他の部員は『竜杖』という丁字の長い杖を持って運動場を走り回っている。部員はわずか十人しかいない。走り回っているといっても競技の練習をしているわけではなく、競技の道具を使って遊んでいるだけである。
かなり離れた先に果汁水の缶が置かれていて、それに一打で当てる事ができたら貰う事ができるという遊びをしている。運動場は芝生などなく土がむき出しになっており小石も混じっている。そのせいでまともに打っても缶にはなかなか当たらない。
荒木は後輩の大久保と運動場の回りの芝生に横になって他の部員の姿を眺めている。
もしかしたら荒木の視線はその向こうの女子避球部の娘たちに向けられているかもしれない。避球部の二年生に一人発育の良い娘がいて、その娘が練習で球を投げるたびに豊かな胸が弾む。それに釘付けになってしまっているのかもしれない。
「先輩は何で竜杖球部になんて入ったんっすか? 自分はこの学校来て竜杖球がやれるって知ってから即決でしたけど、聞くところによると、先輩はそうじゃないんですよね?」
大久保は小学生の時にたまたま見た竜杖球の特集番組で、職業球技戦開幕の時のお祭りの映像を目にして竜杖球に憧れていたらしい。
だが、いかんせん竜杖球は団体競技で、おまけに広い球場が必要になる。野球や蹴球といった比較的狭い場所からでも気軽に楽しめる球技とは違う。そのせいで多くの学校の竜杖球部は、実際に竜に乗って練習する事ができないでいる。ここ福田水産高校も同様である。
なんでこんな事になってしまったのだろう……
大久保に言われ、改めて荒木はその事を思い返す。自分の人生設計では今頃競竜学校の二年生として、来年の実習競争に向けて毎日竜に乗っていたはずなのに。
学校を卒業してから知った事なのだが、学校からの推薦というのは担任が素行の悪い生徒じゃありませんでしたと書けばそれで良いという程度の代物だったらしい。札付きの不良は困るというだけで、推薦はいわゆる添え状で、あればそれで良いという類いの物だったのだそうだ。
むしろ重要なのはその後の学力試験と運動試験。それを受ける為の学校からのいわゆる許可証のようなものだったのだとか。
あの時、三原先生が面倒がらずちゃんと調べてくれていれば。
あの時母親が、家でどんな教育をしたら競竜関係に行きたいなどという駄目な子に育つんだという三原先生の叱責に屈して謝罪なんてしなければ。少なくともこんな挫折まみれ、妥協まみれの青春を送ることなんてなかっただろうに。
「あれ、もしかして、先輩、避球部の諸井先輩の乳見てます?」
図星をつかれ、荒木は初めて大久保の顔を一瞥した。だがすぐに元の避球部の方に視線を戻した。
なんでこいつは今、諸井さんじゃなく、諸井さんの『乳』とわざわざ言ったのだろう。まあ、見てたのは乳だが。
「良いよなあ、人気球技って。女子も入部してくれるしさ。竜杖球なんて勧誘したって女子なんて寄り付いてもくれないもんな。野郎ばっかり。それも十人しかいない。竜杖球は七人でやる球技だぞ? 十人でどうしろってんだよ……」
それも今の三年がいなくなったら五人しか残らない。そうなったら来年の一年生の入部次第では大会出場どころか部の存続も怪しくなる。
せめて竜術部のある学校に行きたかった。この学校なら竜杖球部があるからと言われて、学力的に一つ下の学校を受験させられたのだ。
これも後から知ったのだが、いわゆる中学浪人、高校受験の失敗者を出さない為の教師の戦術らしい。中学浪人を出すと郡の教育委員会に報告されて、教師の出世に響いてしまうのだそうだ。
それを知った時、荒木は怒りに震えた。自分の人生設計をめちゃくちゃにした三原という教師が許せなかった。三原を暗がりで襲撃して憂さを晴らそうと思った事すらある。
「ああ! 荒木君、また部活さぼってるぅ」
少し甘ったるい声が頭上から聞こえる。姿を見ずともその聞き慣れた声で、声の主が誰なのかわかる。風上からふんわりと独特な水蜜桃のような香りが漂ってくる。
声の主は横になっている荒木に徐々に近づいて来る。
スカートが風によって少しだけたなびく。
今日の下着は薄紫か……
「先輩たちみんな練習してるよ? 荒木君も一緒に練習しなくて良いの?」
荒木の顔の横で女子生徒はしゃがみこんだ。スカートを押さえているので残念ながら下着は覗けなくなってしまった。
「あれ、練習じゃなくって遊んでるだけだよ。今日は顧問が来ないらしくてさ。自主練だって。『今日は』じゃねえな。『今日も』だな。それより史菜の方こそ部活はどうしたんだよ」
久野史菜とは同じ中学校の出身なのだが、高校に入ってから仲良くなった。中学校の時は何の部活に入っていたかは実は知らなかった。仲良くなっていく過程で籠球部に入っていたという事を聞いた。
史菜ははっきり言って背が小さい。中学生の頃は学年の中でもかなり背の小さかった荒木だったが、高校に入って一気に背が伸びた。伸びたといっても平均値程度だが。
当時身長順で共に前の方だった史菜の方は今も対して変わっていないので、二人の間にはかなり身長差ができてしまった。
籠球部だったと聞いた時、何の冗談かと笑った覚えがある。その時、ぽかぽかと小さな拳で肩を叩いてきた仕草が妙に可愛く、そこから何となく親密になっていった。
恋人同士というわけではない。史菜がどう思っているのかは知らないが、少なくとも荒木はそこまでは思っていない。かなり気になる異性止まりである。
「私、放送部だもん。顧問が来なかったら腹筋やって発声練習して終わりだよ」
今日はどこの部も顧問が来ていないらしい。
緊急の職員会議でもやっているのだろうかと大久保が言った。そうかもしれないねと微笑む史菜に、大久保はきょろきょろと目を泳がせる。この感じ、大久保からも先ほどの薄紫が見えたのだろう。
「竜杖球部っていっつも自分の足で走りまわってて竜に乗ってるとこ見ないけど、そんなんで大会大丈夫なの? 大会で結果出ないと運動部だって部費って削られちゃうんでしょ?」
うちは放送室と音楽室が借りられれば、あとは大会登録料だけで他にお金はいらないけど、運動部はそうじゃないんでしょと史菜は荒木の顔を覗き込んだ。だがどうも荒木の反応が鈍い。史菜にも荒木の視線の先で避球部の女子たちがキャッキャ言っているのが見えた。
「もう! 人が話している時はちゃんと話している人の方を向きなさい!」
史菜は両手で荒木の鼻を摘まんで、むりやり自分の方に向けた。だがその視線はどう見ても自分の顔には向いていない。そこから少し下、ちょっとした丘のようなささやかな膨らみに向いている。
もう!と言って、史菜は鼻を摘まんでいる指を捻った。
「昔はさ、今女子避球部が使ってる部室がさ、竜杖球部の竜舎だったらしいんだよ。竜杖球部が発足した時にわざわざ建ててくれたらしいんだよね。だけど今では諸井さんたちが脱いだ制服が置かれているんだよ」
そんな状況で部活に熱が入ると思うか?
荒木はそう史菜に同意を求めた。
「いやらしいなあ、もう。普通に更衣室になってるって言えば良いじゃん。なんで『脱いだ服』なんて言い方するかなあ。ほんと男の子ってスケベね」
史菜は機嫌を損ねたようで、立ち上がって校門に向かって歩いていってしまった。その際、もう一度薄紫の下着が視界に入った。
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