第39話 起きてこない
朝早い、朝から労働、そんな事を言ってもそれほど大した話ではないのだろう。
そう一年生たちは高を括っていた。
夕飯の後、風呂から出ると最後に風呂に入ろうとした貝塚の入浴を覗きに行こうなどと不届きな事を言い合っていた。貝塚が風呂から出たら数札で遊ぼうとも。
ところがふと二年生と三年生を見ると、早々と布団を敷き始めている。
数札やらないんですかとたずねる一年生たちに、荒木は極めて冷静な口調で言った。
「とりあえず今日は大人しく寝て、明日の今頃まだ元気なようなら、そこで数札で遊べば良いよ。悪い事は言わないから今日は止めとけ」
旅行じゃなく合宿だぞという荒木に杉田、大久保、石牧がうんうんと頷く。
一年生たちは顔を凍り付かせ、無言で布団を敷き始めた。
まだ修学旅行感覚全開の貝塚は自分に宛がわれた部屋を抜け、一年生たちと数札をしようと扉を開けてびっくりした。
すでに部屋は真っ暗、全員布団を敷いて横になっていたのだった。
「なんだ貝塚、夜這いに来たのか? ずいぶん元気だな。お前も明日朝早いんだから、さっさと部屋に戻って寝とけよ。美容に悪いぞ」
杉田からそう指摘され、貝塚は無言で扉を閉めた。
翌朝、朝というにはあまりにも早い時間に牧場の迎えはやってきた。
外はまだ真っ暗。虫の羽音の大演奏が繰り広げられている。
当然、そんなに早い時間に全員が起きられるわけがなく、大庭と青野が全く起きない。
それを大久保と石牧が無理やり叩き起こし、何度も顔を洗わせて無理やり目を覚まさせた。
ところがもう一人起きてこない奴がいた。貝塚である。
竜に乗るわけじゃないから置いて行こうと戸狩は言ったのだが、初日は挨拶もあるからそういうわけにいかないと荒木と杉田が指摘。
こういう場合、武上先生がいれば起こしに行ってもらえるのだが、昨年の広岡先生同様起きて来る気配が無い。恐らく昨晩は安達夫妻と遅くまで酒盛りでもしていたのだろう。
あんまり牧場の方たちを待たせるわけにもいかないからと言う事で、貝塚は置いていこうという事になった。
そこに安達夫妻の娘、美香が便所に起きて来たのが見えた。
便所から出て来た寝間着姿の美香の肩に荒木はそっと手を置いた。
「きゃあぁっ!!」
完全に狂乱し美香は金切声をあげた。
寝間着は着ているとはいえ極めて薄着。そんな自分を同年代の男性が触ったのである。平静でいられるわけがないだろう。
「違う! 違うんだ! 落ち着いて美香ちゃん。そうじゃないから! 美香ちゃんにお願いがあるんだよ。聞いてもらえないかな?」
涙目になって胸部を手で押さえる美香から少し距離を取り、荒木は手を合わせて拝んだ。
美香はまだ頭が混乱していて状況が全く飲み込めない。ただ、自分に悪戯しようとしているわけじゃないという事だけは理解した。
かくかくしかじかでと説明すると、美香はやっと状況を把握し、起こしてくるから少し外で待っていて欲しいと促した。
「あの……せめて先に一声かけてください。いきなり触られたら暴漢かと思うじゃないですか。今度同じ事したら母さんに言いつけますから」
そうチクリと荒木に苦情を言って、美香は二階の貝塚の部屋へと向かった。
今のはいくらなんでもマズいですよと樽井にまで注意されてしまい、荒木はうなだれてしまった。
荒木、大庭、貝塚以外の部員たちはそれぞれ牧場に先に向かってもらった。
どうやら美香は貝塚を起こしに行って、律儀にも朝の身支度を手伝ってあげているらしい。貝塚の部屋から完全に寝ぼけた貝塚の声と、それを急かす美香の声が聞こえてくる。
「ちょっと、ちゃんと下着着てよ! そんな恰好で男の子たちの前に行っちゃ駄目だったら」
そんな美香の声が聞こえてきた。
荒木と大庭が無言で顔を見合わせる。
様子を見に行きましょうと真顔で言う大場を、馬鹿野郎と言って荒木は全力で制した。
顔を洗って服も着替えて貝塚は荒木の前に現れた。
髪も恐らくは美香がとかしてくれたのだろう。少し寝ぐせは残っているものの、かろうじて人前に出ても良い程度にはなっている。
ただその顔はいつもの感じでは全く無く、どんよりとしていて実に機嫌が悪そうであった。
「へんぱい……おはようございまふ……ふぁぁぁ」
いつもの溌剌とした声はどこへやら、おっさんのようなだみ声であった。
初日からこれでは先が思いやられる。そう荒木は二人の一年生を見て感じていた。
遅いと文句を言われながら、荒木たちは牧場へ向かった。
何て理不尽なんだろう。自分は普通に起きているのに。ただ自分が助手席に座ったというだけで苦情を言われなければならないだなんて。
しかも寝坊した後ろの二人は寝てるし。
結局自分の班はどっちもはずれだったと思うと悔しさで泣きそうになる。
遅くなって申し訳ありませんと荒木が頭を下げると、伊原牧場の場長の伊原さんは笑い出した。
実を言うと、昨年はどうせ初日はぐだぐだして遅れるだろと覚悟をしていたら、定時に来て逆に驚いたのだそうだ。飯が足りなかったら竜を潰して食ってやるなんて話を聞いたから余計だった。
それが来てみれば実に真面目で、真剣に乗竜に勤しんでいた。噂だけでは判断はできないねと言い合っていたのだそうだ。
「率いられる身から率いる身になって荒木君も大変そうだね」
伊原さんはげらげらと笑い出した。
その後二人に挨拶させようとしたのだが、大庭も貝塚も半分寝ている状態で何を言っているんだろうという顔をする。
その態度に荒木がキレた。
「お前ら、ふざけんなよ! こちらはご厚意でうちらを預かってくれるんだぞ! 自腹で移動費と宿泊費払えって言って追い返したって良いんだぞ。人の好意を当然だと思ってるんじゃねえよ!」
荒木の怒声で大庭も貝塚もぱっちり目が覚めた。
二人は露骨に焦った顔をし、申し訳ございませんと頭を下げて、伊原場長に挨拶をした。
そんな二人に荒木は特大のため息をついた。
「荒木君、今年はだいぶ気苦労が多そうだね。まあ、うちの者たちにはそこまで気を使う必要は無いから。真面目に取り組んでくれさえすれば良いからね」
大笑いして伊原場長は荒木の肩をぽんぽんと叩いた。
その後、荒木と大庭は竜舎に、貝塚は食堂に向かった。
初回である大庭は、牧夫さんからみっちりと指導を受けながら竜房の掃除と竜の手入れを行った。途中荒木からも色々と助言を受けながら、何とか初日の仕事を終えた。
荒木と大庭が牧夫たちと一緒に朝食を食べに食堂へ向かうと、そこには笑顔を引きつらせながら給仕をしている貝塚の姿があった。食堂担当の女性にかなり厳しく指導を受けているようで、泣きそうな顔になっている。
それを見た大場は、自分の事を棚に上げて寝坊するからだと悪態をついた。
頬を膨らませ貝塚がキッと大庭を睨む。
思った事をすぐに口に出すなと言っているだろうと言って、荒木は大庭の頭を叩いたのだった。
「あ、荒木さん……これ……何すか? 何なんですかこの量は?」
大皿に山盛りになった肉の山を見て大庭は絶句。
好きなだけ食べて良いと牧夫に言われ、何日分あるんだよと大庭は苦笑いした。
すると昨年乗竜を指導してくれた松沼さんが食堂に現れた。
松沼は荒木を見ると久々だと言って背中を叩いた。荒木もお久しぶりですと挨拶し、後輩だと言って大庭と貝塚を紹介。
よろしくお願いしますと言って貝塚も大庭も挨拶した。
「大場君と貝塚さんね。食ったらさっそく乗竜やるからよろしくな。ん? 君、ずいぶんと小食なんだな。そんなんじゃ体が持たないぞ」
荒木がここの肉の味付けが絶品だというので、大庭としてはこれでもかなり皿に盛ったと思っていた。
そう言われて周囲を見渡して大庭は絶句。全員自分が皿に盛った量の倍近い量を皿に盛っていたのだった。
「常識が壊れている……」
そう呟いた大庭に、荒木は内心でそれはお前だと指摘していた。
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