第33話 武上が来た
翌日、部室で戸狩が新入部員たちに竜杖球とはどんな競技かを説明していると一人の生徒が入って来た。荒木たちは瞬時にそれが送球部の福島だという事がわかった。
説明を中断しどうしたのと聞く戸狩に、福島は逆に何も聞いていないのかとたずねた。
「俺、竜杖球部に編入する事にしたんすよ。今年の一年に凄い守衛の選手が入ってきちゃって。このままだと俺、来年も出れなさそうだから、いっそこっちにって。あれ? 別当先生から了承も得てるんだけどなあ」
福島はそう言うのだが、そもそもまだ顧問も決まっておらず、そんな連絡が入ってくるはずもない。
とりあえず、福島にも一年生に混ざって竜杖球の説明を聞いてもらう事にしたのだった。
一通り説明が終わった後、竜にどの程度触れた事があるか申告してもらった。
荒木と同じ中学校の竜術部だった長縄、樽井の二人は当然竜への騎乗経験がある。青野も父と共に小さい頃から竜に乗りに乗竜場へ通っていたらしい。岡本は小学校の時に短い期間だが竜術を習っていたことがあるのだそうだ。竜の騎乗経験があるのはこの四人。
杉田の後輩である内山と、戸狩の後輩である溝口は元篭球部、大庭が元蹴球部。ちなみに大庭は蹴球部では守衛だったらしい。三年間補欠だったそうだが。
初日はお互いの自己紹介だけで終了とその場の誰もが思っていた。
じゃあ戸締りするから、これから鍵の管理をよろしくと戸狩が貝塚に頼んだ時であった。
部室の扉がパンと開いた。
そこには栗色の長い髪の女性が立っていた。
広岡ほど肉付きは悪くなく、かなり胸がある。
……まあ、広岡の胸が平らすぎではあるのだが、それを差し引てもそれなりの代物である。
広岡に比べると背は低いが、広岡のような幼顔ではなく美女といった感じ。
誰?
三年生たちはそう言い合った。二年生たちも首を傾げている。恐らくは新任の教師だろうくらいの認識であった。
「あ、由香里先生だ! どうしたんですか?」
入って来た先生は、貝塚に由香里先生じゃなく武上先生でしょと訂正を促した。その声は広岡のような幼な声ではなく、どこか妖艶な声であった。
「今年から竜杖球部の顧問となりました武上です。前任の広岡先生は私の大学時代の大先輩で広岡先生の路線を引き継いで、昨年の結果を越えられるように指導していきたいと思っていますので、よろしくね」
武上が挨拶すると三年生の三人が一斉に笑い出した。広岡先生の路線って何だろうと言って。
漕艇部に丸投げされ、その後水泳部に丸投げされ、さらに送球部に丸投げされたと戸狩が腹を抱えながら言うと、一年生たちもげらげらと笑い出した。
だが、武上はふむふむと真剣に話を聞いている。
「つまりそれって体力作りを他の部に委ねたって事よね。わかりました。明日山内先生に掛け合ってみます」
武上が生真面目な顔で頷くと、戸狩は言うんじゃなかったという顔をした。荒木と杉田が非常に冷たい目で戸狩を見ている。
その三年生の態度と二年生のげんなりした顔で、一年生たちも何となく何が待ちわびているかを察した。
「広岡先生って単なる竜杖球好きってだけの人だったけど、武上先生はどうなんです? 少しは詳しいんですか? それともあれ? 広岡先生みたいに竜杖球の職人選手との寿退職狙い?」
そうたずねた荒木に、武上はぎょっとした顔をした。目を大きく見開いて嘘でしょとぼそりと呟いた。
「え? 広岡先輩って……寿退職なの? 聞いてないんだけど。相手誰か聞いてる?」
明らかに動揺を隠せないという武上に、杉田が見付球団の若松選手だと教えた。それに一年生たちは驚き、「ええ!」と下品な声を張り上げた。
だが、どうも武上の様子がおかしい。
「嘘……あの若松先輩が……あんな底抜けに明るいだけが取り柄みたいな人を選んだだなんて……嘘でしょ……」
明らかに取り乱している武上は、杉田の肩をがっちりと掴んで、嘘よねと言って前後に振った。嘘だと言ってとまで言っている。
この人、自然に広岡先生をアホだと罵ったぞと大久保と石牧が言い合っている。
「そんなあ……私には竜杖球やってる女の人って凛として恰好良いよねなんて言っておきながら! なんであんな小学生みたいに感情垂れ流しの人を……」
長い髪をかき乱して武上はしゃがみ込んでしまった。嘘だ、そんなわけないと、ぶつぶつ呟いている。
この人、自然に広岡先生をガキだと罵ったぞと大久保と石牧が言い合っている。
一年生たちはあの若松選手の奥さんになる人ってどんな人なんだろうと言い合っている。
何か吹っ切れたような顔をして武上はすたと立ち上がった。涙で目が潤んでしまっている。俯いたまま不気味にふふふと笑った。
そんな武上に荒木たちは、もう嫌な予感しかしなかった。
「昨年って確か郡大会の決勝で棄権だったのよね。広岡先輩が郡大会止まりなら私は東国大会の決勝に残らせてやる! あんなぺったんこより、私の方がやれるんだってところを証明してやるんだから!」
「いいわね!」と圧をかけて武上は部員たちを睨みつけた。
そんな事を急に言われても、どう返答して良いか非常に困る。
「ずいぶんと元気が無いのね。返事はどうしたの? そんなことで東国大会の決勝まで行けると思ってるの? ほら腹から声を出して返答なさい!」
渋々「はい」と返事をすると、武上は近くにあった竜杖を掴み、声が小さいと怒鳴った。大声で「はい」と返答すると、満足顔でよろしいと言って竜杖を元の場所に戻した。
「戸狩君と貝塚さん、明日放課後に部活動の方針を検討するから、職員室に来てちょうだい。それと明日中に山内先生に頼んでいくから、明日から漕艇部と合流するように。以上、解散!」
そう言うと武上は踵を返して部室から出て行った。
動き自体はきびきびしている。ただ、絶対にあの人にだけは負けないんだからという心の声が口から漏れてしまっている。男って最後はああいう女に騙されるんだとぶつぶつ言いながら帰って行った。
「なんだろうな……入って来た時は広岡先生と違ってちゃんとした先生が来たと思ったんだけどな。あれ、多分広岡先生より変だろ」
荒木が杉田にそう言うと、戸狩、大久保、石牧が一斉に笑い出した。
「広岡先生はからかい甲斐のある面白い先生だったんだけどな。あの先生は冗談通じ無さそうだな。広岡先生の時のように、水着になって一緒に泳いでくれたらなんて言ったら、本気で際どい水着着そうだもんな」
杉田がそう言うと、大久保と石牧がわかるわかると言って笑い出した。それはそれで見てみたいと長縄が笑いながら言うと、貝塚がいやらしいとちくりと指摘。その貝塚の一言で部員全員が、そう言えば女子部員がいたという事を思い出した。
「そっか……貝塚ちゃんがいるから、こういうのも言いづらくなっちまうな。春の合宿、今年はどうなるんだろうな。広岡先生もいないし、今年は行けないかもな」
その荒木の発言に、戸狩と杉田がそれが無いと郡予選は絶対に勝てないと指摘。
昨年杉田も戸狩も北国合宿で初めて一から竜に乗って練習をさせてもらった。牧場の人たちは非常に教えるのが上手で、二週間で見事に竜に乗れるようになって、竜杖球の試合までやれるようになった。大久保も石牧も同様である。あれがなかったらいきなり本番で竜に乗れとなってしまう。そんな状態で竜の制御なんてできるはずもない。
「え? 去年北国に合宿に行ったんですか? 良いなあ! 私も行きたいです!」
貝塚がそう言って荒木を見た。
荒木としては、そんな目で見られても、自分でどうにかできる問題ではない。
「そう思うなら、明日の放課後に戸狩と二人で武上先生をしっかりと篭絡するんだね。でも遊びに行くんじゃなく合宿だからな。去年だって広岡先生だけだと遊びに行くからって教頭先生が付いてきたくらいだし」
それを聞いた貝塚は戸狩の手を握り、絶対に由香里先生を説得しましょうと闘志を燃やした。
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