第61話 世界へ
――あの秋のケルンでの一戦から二年が経過した。
国際球技大会が無事閉幕し、また世界大会の時期になった。
瑞穂竜杖球連盟から球団経由で帰国の指示があり、荒木はペヨーテのクメアイから見付の実家へ向かっている。
どこでどうやって知ったのか、小田原空港に降り立った段階で報道陣が殺到しており、空港の職員から専用出口を案内されてしまった。だが、実はこうなるだろうという事前情報が日競新聞の猪熊から入っていた。
前回の世界大会の後、猪熊は出世。ペヨーテ支局の外報部の部長に就任したらしい。表向きは荒木を密着取材するためという事らしいのだが、それでも出世には違いない。ありがたい事に頻繁に瑞穂の情報を携えて取材に来てくれる。
職員出口に向かうと既に竜杖球連盟の車が用意されており、それに乗って見付まで送迎してもらえる事になった。
東海道高速道路から、途中雄大な富士山が見える。あの山の麓、裾野市で瑞穂代表たちにまた会える。そう思うと荒木の心は変に昂ってしまった。
「しかし、最優秀選手の件は惜しかったですね。二年連続、最終候補に残って落選ですもんね」
運転をしている職員がそんな風に声をかけてきた。
富士山を見ながら、荒木が鼻を鳴らす。
「最後、クラシックシリーズで優勝できてたらねえ。二年連続で東地区のレナペ球団に負けちゃってるんだもん。うちのクメアイ球団は、どうも最後の詰めが甘くていけないよ。大事な一戦を前に勝った気になっちまうんだもん」
「あのお祭り野郎ども」と荒木は同僚に対し悪態をついた。そんな荒木を運転手がクスリと笑った。
「でも二年連続で西地区得点王、しかもクラシックシリーズも二年連続で得点王なんですよね。さらに今年は年間得点記録を更新して殿堂入りも決まったんでしょ。それで最優秀選手じゃないだなんてね」
瑞穂の報道がその事を『差別によるもの』と報じているのを荒木も知っている。実際、ペヨーテで竜杖球の職業球技戦が始まって以降、最優秀選手は瓢箪大陸の選手が独占してきた。選考者が差別主義者だから荒木が選ばれないと非難する報道はペヨーテにもある。だが、正直荒木からしたら、そんな個人の賞の事なんかはどうでも良い事で、そんな事よりもクラシックシリーズで優勝したいと報道には常々言っている。
そこから運転手は取り留めの無い話をして、何とか荒木を飽きさせないようにと務めてくれた。
見付の実家に帰った荒木は、まず仏壇へ向かい、線香を立てて祖母に帰宅の挨拶をした。
祖母は美香と会ってから、美香の事を気にかけてくれていて、安達家のお墓が取り壊された事を知ると、荒木家の墓の横に小さな墓を建てそこに縁者として埋葬しようと言ってくれた。
「美香さんの具合はどうなんだい?」
抹茶羊羹を切ってお茶を淹れながら母が聞いてきた。
「順調だよ。出産予定は十一月くらいって言ってた。今度は女の子だって」
母はうんうんと頷き、「裕君はどうなの?」と言って頬を緩めた。
「裕史も元気にやってるよ。瑞穂に行くって言ったら爺ちゃん婆ちゃんに会いたいって大騒ぎしてたけど、ほら、連れてきちゃうと報道の晒し者になっちゃうからね。ところで、姉ちゃんは今何してるの?」
母はその質問に苦笑いした。
姉の澪は、美香の事を本当に気に入っていないようで、祖母が亡くなった後、家を出てしまった。知り合った男性と結婚し南府で生活していたのだが、長続きせずにすぐに離婚。その後、幕府に移り住んだというところまでは母も聞いているらしい。
少しゆっくりした後で、荒木は車を借りて墓参りをしてから若松家へと向かった。
実は瑞穂に到着して早々に、携帯電話に広岡先生から夕飯を食べに来いというお達しが来ていたのだった。
「わあ! 荒木のおじちゃんだ!」
家の呼び鈴を鳴らすと、真っ先に双葉が飛び出して来て、そう言って喜んだ。さすがに小学生も四年生ともなると、昔のように裸足で飛び出して来て足に抱き付くというような事は無い。少しは顔つきもお姉さんっぽくなっているのだが、いかんせん母親があの通りの童顔である。双葉も恐らくはここからあまり変わる事は無いのだろう。
「おお、荒木! 久々だな。どうだペヨーテは?」
双葉に次いで出てきた若松に手土産とペヨーテ土産を渡す。
「こっちより圧倒的に当たりがキツイですよ。でもほら、俺には速さって武器があるから」
そう言って笑うと、さらに奥から広岡が出てきた。その後ろに柳司が隠れて、こちらを警戒しながら見ている。
「やっほ! 荒木君、久しぶり! ちゃんと忘れずにペヨーテのお土産持ってきてくれたでしょうね!」
相変わらずの舌足らずな感じで広岡が言った。人の顔を見て一発目がお土産の催促とは。本当に初めて会った頃からこの人は何も変わっていない。
若松の持つ袋を荒木が指差すと、広岡は満足気な顔をし「よしよし」と言ってニンマリと微笑んだ。
いつもの客間に通された荒木に、広岡はお茶と茶菓子として抹茶羊羹を差し出した。
「どうですか、見付球団は? 今年の夏から急遽監督になったって聞きましたけど」
関根監督の後を引き継ぐ形で監督に就任した野村だったが、荒木、ホルネルという中心選手を失っており、思ったような結果が出せず昨季は四位に沈んだ。そして、今年も開幕から敗戦続きであった。そこでどうせ敗戦が続くならと、早々に野村に見切りをつけ、若松が監督に就任する事になった。
「お前の代りに西村ってのを昇格させたんだけどな。竜は速いんだよ。それこそお前にも引けを取らないくらい。だけどまあ、これが宇宙開発の連続でな。でもあれは磨けばかなり光ると俺は見てるんだよ。もちろん、本人にはそんな事言ってやらんけどな」
がははと笑い出した若松に、荒木も思わず顔が緩む。
「ホルネルが抜けちゃって、新しく外国人取ったんでしょ。そっちはどうなんです?」
ふむと鼻から息を漏らしてから、若松はくいっと口角を上げた。
「デシンスってマラジョ人なんだがな。まあ、これが若いのに生真面目な奴でな。よく野村さんと衝突してたんだよ。だけど俺はこいつの言う事には一本筋が通ってるって思っててな。今好きにやらせてるんだよ」
おかげで調子が上がって来たと言って若松は微笑んだ。
優勝できそうかとたずねると、若松は大笑いした。
「おいおい、俺が就任した時点で最下位だったんだぞ。無茶言うんじゃねえよ。だけどこのまま行けば来年は良い勝負ができるんじゃねえかな」
右拳を握り得意気な顔をする若松の後ろで、首を傾げる広岡が何とも可笑しかった。
その日の夕飯は、広岡の得意料理であるみぞれ鍋であった。広岡は一緒に呑めるのを楽しみにしていたと言って早々に乾杯。若松と三人であっという間に一瓶を空けてしまった。
「前回大会は惜しかったよな。最終戦マラジョが引き分けなきゃなあ。で、今回だけど、昔太宰府球団で監督やってた森さんになるらしいぞ。先日極秘の電話がかかってきた。栗山と飯田を貸して欲しいって」
現在低迷している球団から、代表二人を選抜するというのは、かなり前代未聞の事だろう。国際球技大会ならまだわかる。若手の中から選手を抽出する必要があるから。だが今回は世界大会。必ず報道はもっと他に良い選手がいると騒ぐであろう。
「俺も言ったんだよ。じゃあ見付球団はどうしていけば良いんだって。そうしたらさ、荒木を中心に考えれば、どうしても栗山と飯田が必要なんだと言いやがったんだよ。そんな風に言われちまったらな。嫌とは言えんよな」
それを聞いていた広岡がクスクス笑い出した。
「あの荒木君がねぇ。瑞穂代表の中心選手だなんてねぇ。学生時代に「おっぱい見せろ」って私をからかってた、《《あの》》荒木君がだよ」
あははと笑う広岡。そんな広岡から荒木は顔を背けた。
「そんな低い丘を誰が……」
鼻で笑った荒木の態度に、広岡の顔が真っ赤に染まり「もう一遍言ってみろよ!」と怒り出した。
そんな二人を若松が目を覆って笑いを堪えている。
あの時はこうだった、あの時はああだったと、荒木の過去を暴露する広岡。
荒木も荒木で、ああでもないこうでもないと言い訳をかます。
さすがに子供たちの教育に良くないと感じた若松は、話題を変えようと、新聞をペラペラとめくって荒木に差し出した。
「そんな事より荒木、これを見ろよ」
広岡が「そんな事ってなによ!」と怒っているが、それを無視して若松は話を続けた。
「昨日、裁判で古屋聖の死刑が確定したよ。今日は堀内明紀、明日は駒田太一の裁判だ。報道ではどちらも死刑じゃないかって言われてる」
新聞記事には、すでに伊庭祐也、土方正広、張本雄介、松岡直己、星陽香の裁判が終わっており、ここまで全員死刑が確定している。全員控訴はしているが、ここまで判明している犯罪件数があまりにも多く、恐らく控訴したところで判決は変わらないだろうと記事には書かれている。
これで麻理恵や美香の父、その他犠牲となった多くの人たちも少しは浮かばれる事だろう。
「義母も少しだけ回復して、美香と裕史の声が聞こえると、ちゃんと目を開けるようになったんですよ。元気になったら民宿をやろうねって、美香が毎日語り掛けているんです。その甲斐あってか、ゆっくりだけど、少しづつ回復してるって医者が言ってました」
若松は無言で麦酒の瓶を荒木に差し出した。荒木もコップを差し出し、小太鼓のような軽快な音をたてて麦酒が注がれる。
「気が向いたらで良いからさ、見付に帰って来た時に来賓として試合前に挨拶してくれよ。白群色の競技服に袖を通してさ。応援団の人たちまだ納得してないらしく、お前の応援幕を毎回出してるんだよ。いつかまた、お前が見付で竜に乗る日が来るって信じてるんだよ」
荒木はくいっと麦酒を飲み干し、穏やかな笑顔で頷いた。
「竜杖球 ~騎手になれなかった少年が栄光を手にするまで~」 ―完―
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