第30話 ありがとう
当然のように広瀬たち野外球技の顧問たちは広岡を睨みつけた。余計な事をするなという顔をして。
部員もいない、竜も無い、それでどうやって部を続けていく気なのか?
今ですら、わずかな部員たちは練習という名目で校庭の外で竜杖で遊んでいるだけの状況なのに、それでどう大会に臨むつもりなのか?
ただ出ただけで無様な結果になれば、学校が笑いものになるとまで言われた。ところが……
「試合勘を養うだけならどうとでもできます。人が足りないなら急場で借りればいい。いくらでもやりようはあります!」
そう言い切った広岡に、何もわからないくせに小娘が偉そうなことを言うなと広瀬は激怒。そんな広瀬に川上教頭は言葉を慎めと注意。職員会議は異様な雰囲気になってしまった。
そこから広岡は川上に何度も呼ばれて、竜杖球部の再建計画を練っていった。それからも職員会議は毎日のように開かれ、毎回広岡と広瀬が喧嘩になって終わるという状況が続いた。
そんな不毛な事が繰り返されて、一月が経過しようとしていた。
一月の最後の職員会議で、また広岡と広瀬が喧嘩をはじめようとしたところで、蹴球部顧問の大沢が口を挟んだ。
「やれるというんだからやらせてみたら良いではないですか。夏の大会の結果を見て処分を決めれば。一回戦落ちなんて事になったら、それこそ廃部という事にすれば良いでしょう」
広岡が顧問をしていた女子篭球部は、それまで顧問を受け持っていない女性の先生が受け持つ事になった。
こうして広岡が竜杖球部に来る事になったのだった。
春の合宿に北国に労働込みで行くという話を聞きつけた大沢、広瀬、杉下は猛反対した。校則を歪めてまで合宿を許可するのはいかがなものかと言って。
それでも最終的に川上が自分も帯同し監督すると言って大沢たちを黙らせた。
そして三学期最初の職員会議。
広岡は野球部、蹴球部、闘球部が共に初戦敗退だった事を聞いており、決勝まで進んだ竜杖球部に対し何も言えないだろうと高を括っていた。
ところが、そんな事は全く無かった。
広瀬たちは竜杖球部は何故に決勝を棄権する事になったのかとたずねた。広岡は怪我人が出てやむを得ずと回答したのだが、広瀬たちは失笑であった。
恐らく既に生徒たちから色々と漏れ聞いていたのだろう。何度も何度も聞いている話と違うと言って広岡を問い詰めた。
この時点では川上は喧嘩の件について広岡から報告を受けておらず、広瀬たちが何を言っているかよくわからなかった。川上にまで何があったのかと問われ、ついに広岡は乱闘騒ぎがあった事を報告せざるを得なくなったのだった。
本来この職員会議では応援部の乱闘騒ぎの処分について話し合う予定であった。だがそんな事は二の次となり、竜杖球部をどう処罰するかという話に変わってしまった。
最終的に川上は、まだ詳細が何もわからないうちに処分も何も無いと一旦会議を終わらせた。
はっきり言って広岡が決勝の顛末を川上に報告しなかったのは選択としては最悪であった。確かにあの時、花弁学院と大会責任者によって、この事はなるべく穏便に収めようという事にはなっていた。だが、それでも報告だけではするべきであった。
川上はその会議の後で戸狩の入院の件を知ったのだった。恐らく乱闘騒ぎになった原因はそれだろうと川上は察した。
だが、ならばなぜ広岡は隠蔽などしたのか。真っ先に報告すべき案件だったのではないのか。
こうして、それまで竜杖球部と広岡に好意的であった川上の心が離れてしまったのだった。
翌日開かれた職員会議で川上は戸狩が怪我を負い入院しているという事を公開し、広岡が生徒を守れなかった事に失望したと述べた。
当然そこからは竜杖球部への糾弾が続いた。最終的に会議は広岡に二つの選択を迫った。
『廃部か、責任を取って退職か』
広岡が選んだのは退職であった。
広瀬たちは苦々しいという顔をし広岡を睨んだ。
川上は驚き、性急に答えを出す必要は無いと広岡を宥めた。まだ学期末まで四か月あるのだから、残った部員たちとよく話し合って決めたら良いではないかと言った。
だが、広岡は首を横に振った。ご指摘の通り怪我をさせたのは私の監督責任、私が教師を辞める事であの子たちが、竜杖球部が残るというのならば私は喜んで教師を辞めますと。
翌日、広岡は辞表を提出した。
辞表を提出したわずか四日後の事であった。学校の校門に報道が押しかけて来る事になったのは。
報道によって竜杖球部に何が起こったのか全校生徒が知る事となった。全校生徒どころではない。瑞穂中の人が知る事になった。
最終的には瑞穂竜杖球連盟の渡辺会長が学校に来て謝罪までした。
協会側は校長と部の顧問に同席を求め、広岡に直接謝罪したいと言ったのだが、広岡は晒し者になりたくないとそれを拒絶。校長だけが同席して謝罪を受ける事となった。
協会の職員はこの際誰でも良いから顧問という事で教師を用意して欲しいとお願いしたらしい。だが、そんな事をして生徒の口からその事が広まれば、やっと沈静化してきたこの話がまた炎上する事になるのではと校長が指摘。それでもと協会の職員はごねたのだが、頑なに校長は教育者の一人としてそれはできないと首を縦に振らなかった。
その後、当然のように職員会議で広岡の辞職取消しを求める声があがった。広瀬、大沢、杉下といった野外球技の顧問たちはバツの悪い顔で無言であった。無言ではあるが、状況的に内心やむなしと思っていたのだろう。
だがそんな中、川上が非情な事を口にした。
もう辞表は教育委員会に行ってしまっており取消はできないと――
「こういう事っていうのはね、社会に出たらよくある事なのよ。今はね、みんな純粋だから、冗談じゃないとか、そんなの間違ってるとか思うんだろうけど、社会に出たら普通の事なの。だからね、今は心の中にそっととどめておくだけにして欲しいんだ」
広岡は瞳を滲ませながらそう説明した。
これまで退職の事を隠していた事は謝るけど、でもその代わり竜杖球部の未来は守り通したからと。
「三年生はこの事どこまで知ってたんですか?」
少し震える声で戸狩がたずねた。戸狩としてはかなり返答を聞くのが怖い質問であった。
「浜崎くんには春の合宿の時にこっそり話したよ。でも黙っててって言っといた。みんな動揺しちゃうからって言って。辞職云々の件は……なんとなく聞いてたみたいね。浜崎くんたちの方から部室で卒業式やろうって言ってきたから」
知っていて三年生のあの態度だった。それを知った戸狩は胸が張り裂けそうになっていた。
辞職して来年からどうするのかと石牧が聞いた。すると広岡は軽く唇を噛み、ちょっと気恥ずかしそうにした。
「実は、その、結婚する事になりました……」
その一言に、涙目になっていた部員たちの涙がどっかに吹き飛んだ。全員瞼をしばたたかせ、無言で広岡の顔を見つめる。全員の視線を浴び、広岡は顔を背けて照れまくっている。
よくその胸で相手の人満足したな。
やっと部員から出たのが杉田のその一言であった。
「あの人はね、あなたたちみたいに、女性と見たらおっぱいおっぱい言うような変態とは違うんです!」
広岡が頬を膨らませて抗議すると、荒木が俺と一緒で尻派なのかと言い出した。黙れと短く言って広岡は荒木の頬をつねった。
そこからは何となく重苦しい空気は解け、部員たちも何となく笑顔で広岡を送り出そうという雰囲気になった。
話の流れのようなもので、結婚相手ってどんな人なんだという話になっていった。そこで広岡の口から飛び出したのはとんでもない名前だったのだった。
「竜杖球の職人選手で若松琢磨って選手知ってる? 彼、私の大学時代の同級生でね、今、見付球団にいるのよ。来年の春にその人と……」
知らないはずがない。何せ瑞穂代表として国際大会に出ている見付球団で最も名の知れた選手なのだから。
顔もかなり整っていて女性人気が高い事でも有名である。一部からは『王子』やら『皇子』やらと言われている。
部員たちは信じられないという目で広岡を見ている。いったいどうやってあの応援団たちの群れの中からあの上物を咥え込んだのやら。
「そういう下品な言い方しないの! 学生時代の知り合いが、たまたまこっちに来る事になって、偶然再会して一緒に呑みに行ったりして深い仲になっちゃったってだけよ。それに言い寄って来たのは向こうからなんだから」
追っかけやってるようなあさましい人たちと一緒にしないでちょうだいと、広岡は心外だという顔をした。なんとなくその顔が可笑しくて部員たちは一斉に笑い出した。広岡もクスクスと笑い出した。
最後に部員たちは広岡と握手をし、ありがとうございましたと言って頭を下げた。
伊藤先輩を真似て「これまで何かと楽しかった」と荒木が言うと広岡は感極まって泣いてしまったのだった。
よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。