第24話 棄権
「帰ろっか……学校に……」
ぼろぼろと涙を零して広岡先生が荒木たちの部屋に戻ってきた。
宮田が何があったんだとたずねたのだが、広岡はハンカチを顔に当て首を横に振るだけであった。
帰りの輸送車の中は、誰も一言も喋らなかった。揺れる輸送車の内燃の音だけがただただ鳴り響いている。それ以外に聞こえてくるのは、広岡のすすり泣く声だけ。
浜崎と荒木は、広岡から距離を取り隣同士座っている。その隣の席には宮田と川村。その後ろに大久保と石牧。荒木たちの後ろの席には辻と福島が座っている。皆、顔に痣ができている。
こんなに近くに座っているのに、誰も何も喋らない。
窓側に座った荒木は外の流れる景色を眺めている。
自分が入部した時、一年上の先輩だった浜崎たち。その時三年生は七人いた。結果は一回戦負けだったけど、三年生たちはやりきったという清々しい顔をしていた。
だが、窓に反射する宮田、川村の二人の表情はどう考えても昨年の三年生のあの笑顔ではない。
自分があそこで敵の八番を殴ってしまったから、そこで今の三年生たちの三年間は終わってしまった。きっとそう言えば浜崎たちは鼻で笑って、その前にもう終わってたんだと言ってはくれるだろう。
だが、止めをさしたのが自分である事には変わりは無い。
広岡はずっと泣いたままで何も言ってくれない。
もしかしたら、自分たちは全員停学や退学になってしまうのかもしれない。
それも自分がかっとなってあいつを殴ってしまったから。
送球部から借りた二人には可哀そうなことをした。
彼らは何も関係無いのに。一緒になって喧嘩の輪に入ってくれた。福島は顔を竜杖で殴られ、辻は殴られて鼻血を出していた。
輸送車が交差点で停まる。
内燃の音が少し静かになる。
窓の外の景色も止まった。
自然とため息が漏れる。
ため息というものはうつるものらしい。荒木のため息を受けて浜崎がため息をついた。次いで宮田が、さらに川村がため息をついた。
「終わっちまったんだな……」
川村がぼそっと呟いた。
宮田は黙っている。
浜崎がちらりと川村を見て、無言で天井を見上げる。
そこからまた皆無言になった。
輸送車が学校に到着した。
浜崎と宮田が席を立つ。だが誰も降りようとしない。
浜崎は宮田と顔を見合わせ、小さく首を横に振った。
宮田が先に一人で輸送車を降りて行った。
浜崎が川村の肩を叩き、無言で輸送車を降りるように促す。
川村も俯きながら無言で輸送車を降りていった。
「お前らも早く降りろ。荷物を下ろさないと輸送車の運転手の人が帰れないだろ」
浜崎にそう促され辻と福島は輸送車を降りた。更に大久保と石牧が席を立った。
それでも荒木は椅子に座ったままだった。
「荒木、先に行くからな。さっさと降りて来いよ」
浜崎は荒木を置いて輸送車から降りようとした。
途中で広岡の様子をちらりと見て、首を横に振って、広岡の隣の席に座った。
ごにょごにょと広岡に何かを言う声が聞こえる。荒木の席からでは聞こえなかったが、突然広岡がううと声をあげて泣き始めた。
浜崎は席を立ち、広岡の肩をぽんぽんと叩き輸送車を降りて行った。
広岡の泣き声が収まったところで荒木も席を立った。
広岡のところに行き、無言で広岡の腕を引く。
広岡は何か抗議をするような目で荒木を見てきた。その目はあまりに泣きすぎて両目共に充血してしまっている。もはや化粧はぼろぼろで、目の周りも少し黒ずんでしまっている。
だが、まるで駄々っ子に無理やりいう事を聞かす親のように、荒木は広岡の腕を強く引っ張った。
広岡が荒木を睨みつける。
「皆、先生の締めの言葉を待ってますよ。先生なら先生らしく、泣いてばかりいないで、ちゃんと声をかけてくださいよ」
荒木の言う事の方が正論だろう。
広岡は渋々椅子から立ち上がり、荒木に腕を引かれて輸送車を降りた。
荒木が荷物を持ちに行こうとすると、既に誰かに運び出された後であった。
広岡の手を引き、荒木は部室へと足を向ける。
「大丈夫だから……一人で行けるから……」
広岡のか細い声が聞こえ、荒木は広岡から手を離した。
そこから二人、無言で部室へと向かった。
部室で待っていたのは七人だけ。
出かける時は十二人だったのに。
これに勝ったら東国大会だと、あんなにはしゃいでいたのに。
三分の一が部室に戻って来れなかっただなんて。
改めてどれだけの大惨事だったのかが思い出される。
浜崎が椅子を持ち出して広岡に座るように促した。
ありがとうと蚊の泣く様な声を発して広岡はその椅子に腰かける。
浜崎は荒木にも椅子に座れと促した。
「話はさっき宮田から聞いたよ。大会責任者のやつらに何言われたんだ? ん? もうちょっとやそっとの事じゃ驚かないから言ってみ」
浜崎に促され、広岡は充血しきった目を浜崎に向けた。口紅の剥がれた唇をぐっと噛みしめて、今にもまた泣き出しかねない顔をする。
黙ってたらわからないだろと宮田に強く指摘され、広岡は宮田の顔に視線を移した。
「最悪……思い出したくもない……」
広岡の表情はそれまでの泣き出しそうというものから怒りの表情へと変わった。
どうやら思っていたのと何かが違いそうだと感じ、宮田は川村と顔を見合わせた。
「向こうの先生があの八番の選手、張本って言うらしいんだけどね、あいつが杖で殴ったのを認めたの。だけどあんなのはよくある事故だって」
それを聞いた大会責任者は二人の骨折疑いはそれで通るかもしれないが、頭部を竜杖で殴って病院送りにしたのはどう言い訳するつもりかとたずねた。
すると花弁学院の先生――名前を堀内というらしい――は、誰も見ていないからわからないと言い出した。向こうが攻め込んでいる時の話で、全員そちらに集中していて誰も見ていない。本当にそんな事実があったのか疑わしいと。
だが、相手の選手でその光景を見た者が二人いると大会責任者は指摘。
ところが、堀内は口裏を合わせただけじゃないのかと取り合わなかった。本当にそんな事があったのなら、何故その二人は見ていただけでその行為を止めようとしなかったのかと。
大会責任者は目を細めた。
堀内に今の発言はあまりにも誠意に欠けると指摘。彼らは試合中だからと必死に我慢したのだとは考えないのかと。
広岡も三人も怪我人を出した選手を庇うのは先生がそういう指導を普段から行っていると思われても仕方がないと指摘した。
だが堀内は怪我人ならこちらも出ていると反論。
何かあったらあのような暴力行為に及ぶようにあなたも普段から指導しているという事ですかと言い出したのだ。
大会責任者は堀内の下衆い言い方に腹を立て、花弁学院を失格処分にしようと思うと言い出した。少なくとも郡代表として、とてもではないが相応しいとは言い難いと。
「そうしたらね、あいつ、『うちが失格になったら今回暴力行為を行ったとされるうちの生徒は全員校則で退学になりますけど、大会運営は生徒の将来を閉ざす事を望むんですね』とか言い出したの」
当然ふくた水産さんも校則ではそうなっているのでしょうと堀内は口元を歪ませて下衆く言った。
広岡も生徒の事を考えれば反論はできなかった。
この試合でこれだけの人数が退学になる。しかも片方の花弁学院は郡代表の常連校。当然その学校が失格となれば、報道が嗅ぎ付けて何があったのかと取材される事になるだろう。
大会責任者の気持ちが揺らいだ。
なるべく穏便に事を済ませたい。あきらかにそんな顔色に変わった。
大会責任者が悩んだ末出した答えは、『試合が続行できないような怪我人が出たので、試合は途中で中止になった』という事と、『二日後に再試合を行う』というものであった。
「みんなごめんね……だから棄権するしかなくなっちゃったの……一方的なうちの負けになっちゃった……」
そこまで言うと広岡はまた目に涙を滲ませて、わんわん泣き出してしまったのだった。
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