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第61話 開幕戦

 合宿を終え、見付駅から出てきた荒木を日競新聞の猪熊が待っていた。

 待っていましたよと真顔で言う猪熊に、荒木は特に顔色一つ変える事せず、「支笏湖で何が起きているのか?」とたずねた。


「その話をするには少しばかり役者が足りませんね」


 猪熊はそんな言い回しをした。

 誰かに一緒に聞いてもらいたいと感じた荒木は、若松に同席をお願いした。


 三人を乗せた車が東に向かって走り出す。

 到着したのは浜松の紅花会の大宿であった。


 大宿の支配人から大宿の従業員用の会議室を案内され、そこに四杯の珈琲を持って一人の女性従業員が入室してきた。

 女性従業員――美香は珈琲を配ると、自分も席に着いた。


 白い三角巾をほどき、束ねている帯を外すと長い髪がはらりと背に垂れ、ほんのりと甘い良い香りが漂ってくる。

 どうやらここで働くにあたって髪を少しだけ切ったらしい。それでも美香の髪はかなり長く美しい。


「下国麻理恵さんが、支笏湖で水死体で発見されたという話を知らない人は?」


 まず猪熊はそう言って三人の情報量を推し量った。

 三人共にその事は知っているらしい。


「北国支部から仕入れた情報によると、死因は溺死。足を縛られ、口に大切に持っていたハンカチを詰められ、足を縛った紐に大きな石を付けられて、そのまま湖にドボン。どうやら石を縛ってた紐がほどけて水死体として上がってきたようです」


 そこで一回猪熊は珈琲を飲んだ。

 ここまでの情報は新聞の記事で全員知っている。問題はその先の情報である。


「麻理恵さんの口に入れられていたハンカチには、荒木さんの署名がされていたらしいです。そこに『麻理恵さんへ』と書かれており、これが唯一の遺留品となっています。それ以外の衣類は靴下一本見つかっていません」


 水死体になってしまうと、なかなか元の姿というものを想像しづらくなる。そのせいでこのハンカチの麻理恵という名から、歯の治療痕、および髪の毛の染色体情報と照合、麻理恵本人で間違いないという事になったらしい。


「これは表に出ていない情報なのですが、検死の結果、大量の麻薬を注射されていた事がわかっているらしいです。最初警察も他殺として調査をしていたそうなのですが、急遽自殺に切り替えたのだそうで」


 衝撃的な内容に荒木だけじゃなく、美香も驚きで声すら出てこない。

 ここまで静かに耳を傾けていた若松が、ふうと小さく息を吐いた。


「麻薬の検出。つまり、北国の反社の犯行って事か。そして反社と繋がっている何かが警察に圧力をかけて、この件をもみ消した。そんな事ができる奴らなんて絞られるわな。新聞、官僚、政治家、財界の大物ってとこだろ」


 若松の推測に、猪熊は無言で頷いた。

 その四つのどれだと思っているのかと荒木にたずねられ、猪熊は腕を組んで考え込んだ。


「正直なところを言えば新聞一択だと思っていました。競報新聞の親会社のかわら新聞は反社との結びつきが強いですからね。ですが、確かに言われてみれば警察に隠蔽をさせるほどの力は新聞には無いかもしれませんね」


 何か深い闇のようなものを感じると猪熊は若松に言った。若松も小さく頷く。


 ふっと荒木が何かを思い出したような顔をし、美香の方を見る。


「ねえ美香ちゃん。再会した時さ、苫小牧で何だか怪しい仕事してたじゃない。何であんなところで働こうと思ったの?」


 正直、美香からしたらあまり思い出して欲しくは無い過去だっただろう。だが、もしかしたらその中に大切な事が何かあるのかもしれないと若松にまで言われ、その経緯を話す事になった。


「銀行の古屋という窓口の人が手っ取り早く金を返す手段があるって言ったの。私は渋ったんだけど、性交とかは無いからって言われて。だけどある時に変な客が来て、性交を求められて」


 ちょうどそこに荒木が偶然現れたと、美香は少し恥じらいながら言った。


 そんな美香に、猪熊は思い出せる限りで名前を教えて欲しいとお願いした。

 残念ながら、下の名前がわからないとしながら、その人物の肩書と苗字を美香は話した。


「北国海洋開発の土方ひじかた!?」


 その名前に、猪熊はかなり驚いた顔をし、思わず声をあげた。すぐに携帯電話を取り出し何やら検索し、この人物かと言って顔写真を見せた。

 今度は美香が驚き、この人だと断言した。


 信じられないと猪熊が呟く。猪熊が見せた写真は、苫小牧でも非常に有名な土建会社の社長だったのだ。


「これ、もしかしたらこの話の調査の第一歩になるかもしれないですよ。明日にでも北国支部に言ってこの男を調べてもらいますよ」


 これはとんでもない特報になりそうだと猪熊は目を輝かせた。


 最後に美香に「もうすぐ開幕戦だから楽しみにしていてね」と言って、荒木は浜松の大宿を後にした。



 非常に大切な開幕戦だったが、残念ながら荒木は補欠席に座っている。

 昨年三位だった見付球団は、今年の開幕戦は自球場で開催できる事となった。相手は小田原球団。


 本日の先発は守衛が八重樫、後衛が若松、広沢、中盤が小川、渋井、ファン・デル・レー、先鋒が尾花。

 荒木が代表に行っている間に、広沢と小川は守備位置を交代する事になった。ただ、そもそも広沢は本来は後衛の選手である。実は小川も元々は中盤の選手らしい。

 これで本来の守備位置に戻ったと言えるだろう。


 荒木の隣には秦と栗山が座っている。

 前半戦が始まっているというに、荒木、秦、栗山の三人は同じ事が気になっていた。

 それは観客席の空席。とにかく空席が目立つ。


 見付球団の集客力は東国では最下位なのだが、決して小田原球団も集客力があるわけではない。そのせいで開幕戦だというに、観客席が非常に寂しい事になってしまっている。


 しかも開幕戦だというに、両軍共に中盤での球の奪い合いばかりで、試合展開まで全く盛り上がっていない。

 結局、前半で一番盛り上がったのが、高木選手が素早く切り込んで行って、大門選手がそれをきっちりと篭に打ち込んだ場面だけであった。


 〇対一で前半戦が終了。


 中休憩、関根監督は荒木をビシッと指差した。


「荒木、お前、さっき試合を観て栗山と盛り上がりに欠けるとか言ってやがったな。聞こえてたんだからな」


 関根がそう指摘すると、先発した選手たちが責めるような目で荒木と栗山を見る。

 しまったという顔をする栗山。地獄耳とぼそっと呟く荒木。

 「何か反論でもあるのか?」と聞く関根に、荒木は「滅相も無い」と愛想笑いを浮かべる。


「言ったからには、ちゃんと盛り上げて来い。せっかく金払って見に来てくれたお客様を、しっかりともてなして来るんだ。いいな!」


 「はい」と返事をする荒木と栗山に、関根は、「声が小さい!」と指摘。

 げらげらと笑う選手たちの前で、栗山と荒木は大声で「はい!」と返事した。



 竜にまたがり出場の準備が整うと、場内に選手交代の放送がされる。

 荒木の名が呼ばれ、観客席から一際大きな歓声が沸き起こる。


 相手選手もすっかり荒木の知っている顔ばかりとなっており、荒木の顔を見て指を差して顔をほころばせる。

 高木選手が竜杖を振って挨拶している。

 荒木も竜杖を振って挨拶を返す。


 そんな荒木の姿に観客が大歓声を送る。

 軽く竜を走らせただけで、歓声がさらに大きくなる。


 やはり自分の『家』は落ち着く。

 どんな事があっても自分を信じて応援し続けてくれる家族がいる。

 守備位置についた荒木は観客席に向かって大きく竜杖を振った。



 後半が開始されるとすぐに、荒木はするすると竜を走らせ後衛の前に位置取った。


 栗山も気合いが入っており、果敢に守備に向かう。

 開幕戦で緊張している銚子選手から球を奪うと、栗山はそれをヘラルトへ打ち出した。

 田代選手とヘラルトの動き出しはほぼ同時。


 だが竜を走らせる初速が全然違う。

 ヘラルトが簡単に追いつき、大きく荒木の先へと球を打ち出した。


 風を切って荒木が球を追う。

 その躍動感あふれる姿に、観客は総立ちとなって大歓声を送った。

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