第55話 日競の反攻
まさかアルゴンキンから帰国して、一か月以上雲隠れする事になるだなんて思いもよらなかった。
しかもその間携帯電話も電源を切らされて。面会といえば大宿の若女将と支配人だけ。
日競の猪熊がたまに来て情報を伝えてくれる程度。
報道は全く冷める事無く、連日朝から晩まで、ひたすら荒木を中傷している。
中学の担任だった三原先生が報道にある事無い事をべらべらと喋っている映像を偶然目撃してしまった。学生時代からわけのわからない事ばかり言う困った生徒だったというのを聞いた時、思わず電視機を殴って壊してしまいそうになった。
もうすぐ年が暮れるというに、全く大宿から外に出れない。
一月も竜に乗らないなんて、いつぶりだろう。
体が鈍ってはいけないからと、大宿の調整室を貸し切りで使わせてもらえるのだが、それでも自分の能力がじりじりと衰えていくのを実感し、日々焦りが募って来る。
このままでは復帰しても元の感覚が戻って来るまで少し時間がかかってしまうだろう。長引けば最悪の場合、強制引退もあり得る。
この間、瑞穂竜杖球連盟も竜杖球職業球技協会も一切荒木を擁護してくれず、さらに見付球団もだんまりを貫いている。
球団事務所に毎日のように報道が詰めかけているようだが、球団は頑なに、調査中、知らない、喋る事は無いを貫いている。
日競新聞の猪熊が見付球団と接触をして、荒木の状況を伝え、全面支援を申し出てくれたらしい。
広報部に日競新聞から人を派遣して報道対応の相談に乗っているのだとか。
そんな中、日競新聞が反撃に転じた。
これまで日競新聞では、しっかりと顔を出して、代表選手一人一人に紙面で思いを綴ってもらっていた。皆、語った事は同じで、荒木という人物は報道で蔑まれているような人ではないという事だった。
だが、それをかき消すような中傷報道がなされ、代表選手たちは言わされているという意見が多数を占めているように感じる。
日競新聞はじっと待っていた。
猪熊の話によると、吉田局長が言っていたらしい。
「今は燃えていないところにちょろちょろと水を注ぐだけ良い。いずれ火勢は弱まる。それを待って一気に水をかける。その見極めが肝要」
一月が過ぎ、ついにその時が来たと吉田は感じたらしい。
明らかに荒木への中傷報道が停滞し始めた。視聴者に飽きられたのだ。
そこで日競新聞は、とある人物に紙面に出てもらった。
それは支笏湖温泉で芸子をしている麻理恵。
これまで報道は美香の事を『花子(仮)』と報道していた。
その『花子(仮)』が借金で渋々芸子になろうとした時に受け入れをした『景子(仮)』は自分だと発言したのだった。
その時に『花子(仮)』から聞いた話と、荒木に対する印象を語った。自分は荒木選手の真摯な態度に感動し、応援していく事を決めた。その時に署名もしてもらった。今では自分の宝物だと言ってハンカチを開いて見せる写真が紙面に載った。
報道が出して来た『景子(仮)』と全く異なる人物が出てきて、視聴者はどういう事かと軽く混乱に陥った。
最初、競報新聞、その親会社であるかわら新聞、それに関わる放送局は、麻理恵を偽物だと報じた。
ところが、北国を中心に競報新聞たちへ抗議の電話が殺到。放送局にも抗議の電話が殺到し、情報番組が内容の差し替えを行う事態となった。
実は麻理恵の所属している芸子の組合は北国では多少影響力のある組合だった。麻理恵はある意味有名人で、荒木の中傷報道が出る前から麻理恵の話した話が話題となっていた。
そのため、東国の球団に所属する選手としては荒木は北国で異例の人気となっていた。そのせいで、競報新聞の出して来た『景子(仮)』は偽物という声が北国では最初からあがっていたのだった。
その北国の抗議の声が徐々に全国に広がっていった。
そもそも荒木を中傷する根本の論拠がこの『景子(仮)』だった。その人物が偽物という事になり、では、この問題は、いったいどこまでが真実なのだろうかという話になっていった。
そこで日競新聞が一気に流れを変える報道として出したのが、代表での荒木の活躍を海外が評価しているという記事であった。
海外が評価しているような選手を、今一部の報道が社会から抹消しようとしている。これはもしかしたら、一部の新聞に海外から工作資金が注入されているのではないか?
もしかしたら、今回の報道は、瑞穂皇国が国際競技大会に出場できないようにという海外からの工作だったりしないだろうか?
この日競新聞の記事を読んだ読者たちの脳裏に、何年か前に発生した『雛祭り騒乱』と言われた内乱が思い起こされた。
当時、『日進新聞』と『子日新聞』という新聞があり、その二社が大陸東部の国から工作資金を受け取って、『竜十字』『共産連合』という大規模な破壊組織を抱えていた。
紅花会の戸川という調教師が暗殺された事に端を発し、全国の竜十字の支部が武装蜂起を準備していた。それを日進新聞は全面支援していたのだった。
ところが、武装蜂起は事前に計画が明るみになり、簡単に鎮圧される事になった。
その後、日進新聞は一気に読者を失い、倒産を余儀なくされた。
かわら新聞も同じように工作資金を得て、こんな偽報道をしたのでは無いかと日競新聞は書きたてたのだった。
かわら新聞も日競新聞の記事が誤報だと一時は騒ぎ立てのだが、それも数日だけの事で、年末近くには、ここは黙っているに限ると方針を転換。
競報新聞だけが細々と荒木の中傷記事を記載し続けるという状況となった。
こうして、大晦日を前に、荒木は大手を振って見付市の実家に帰る事ができるようになったのだった。
家に帰った荒木を待っていたのは、祖母が入院しているという悲しい知らせであった。
どうやら連日家の前で大騒ぎをされて、夜寝れなくなってしまい、倒れてしまったのだそうだ。
ところが救急車を呼ぼうにも、報道が道を封鎖していて救急車が辿り着けない。警笛を鳴らして報道をどけようとしても、報道は救急車に帰れと連呼。
これに近所の住人が激怒。近所の人が商店街に走ってこの事を知らせた。
商店街の人たちは急遽店を閉め、手に手に商売道具で武器になりそうな物を持って足止めを受ける救急車に駆けつけた。
遠巻きに見ている警察の前で、商店街の人たちは救急車を遮る記者たちを囲んでぼこぼこに殴りつけた。
その間に救急車は祖母を乗せ病院へと向かったのだとか。
「お義母さん、聞こえますか? 雅史がお見舞いに来てくれましたよ」
病室で色々な計器を付けられて寝ている祖母に、母はそう言って語り掛けた。
なんだか祖母は酷く血色が悪く、髪もぼさぼさで、急に老け込んでしまったような気がする。
「婆ちゃん、俺だよ。雅史だよ。ごめんね、なかなか家に帰らなくって。心配かけちゃったよね」
そう言って荒木が祖母の手を握りしめると、それまで非常に細い脈だった計器が徐々に元気になった。
閉じていた瞼がゆっくりとあがる。
「……雅君? 本当に雅君なのかい?」
祖母が荒木の手を握り返してくる。
「そうだよ婆ちゃん。俺だよ。やっと帰って来れたんだよ。ただいま、婆ちゃん」
どうやら祖母に荒木の姿が見えたらしく、荒木の手を握る手を震わせ、瞳からぽろりと雫を零した。
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