第54話 記者の本質
「選民思想、特権階級意識、優良種思想。報道に属する者には潜在的にそういう思想に犯された者が多いんや」
そう言って吉田は缶麦酒に口を付けた。
――この国には民に選ばれた各国の総督がいる。さらには連合議会、各国の議会に多くの代議士がいる。彼らは民意によってその職に就いている。当然その人たちは民衆の意に背けば選挙で落とされる。
だが、実際には国も地方も代議士ではなく、ただ試験で良い点を取ったというだけの官僚によって運営されてしまっている。
理由は至極簡単で、代議士は選挙で落ちればいなくなるが、官僚はいなくはならない。だから何か国家的な事を行うとしても、顔ぶれの変わりやすい代議士より、官僚の方が知識の蓄積がある。
議会で答弁するにしても、自分が担当となる前の事を聞かれても代議士にはわからない。だからといって前任の議員の事は知らないという答弁はできない、そのため、官僚が答弁を用意する。
悲しいかな、質問した代議士もその内容が正しいのかどうかの判別がつかない。
こうして、いつからかこの国は官僚の意向によって多くの事が決まるという風になってしまった。
そうなれば自然と官僚には優良種思想というものが芽生えてくる。我々官僚は優良種で、一般市民は劣等種。優良種たる我々は絶対に誤る事は無い。上手くいかない事があったらそれは全て劣等種たる一般市民のせい。
こうしてどんどん失政が行われる事になるのだが、その責任というのは代議士がとる事になっている。
何故なら、官僚というものは優良種で誤りを犯す事はないから。誤りが起きたとすれば、それは劣等種の代表である代議士のせい。
報道に身を置く者は自分たちを知識層だと自認している者が多い。
自称優良種の官僚たちがこういう記事を書いてくれと頭を下げてくる自分たちも、また優良種なんだと思っている。だから自分たち優良種が書いた記事が誤っているはずがない。仮に誤っているとすれば、劣等種たる一般人が起こした事象の方が誤っているはず。
そういう勘違いをしている記者は簡単に判別が付く。
とにかく取材に行く事を嫌がる。仮に取材に行ったとしても、露骨に見下す態度を取って相手を怒らせ、相手の言った事を自分の考える記事に都合の良いように歪曲してそれを元に記事を書く。もしくは、そもそも取材に行かず自分の妄想だけを記事にする。
そもそも自分たちは優良種だから、劣等種なんかと関わり合いたく無い。それと相手は劣等種だから記事になるような都合の良い事を言ってくれない、だから取材なんかしても時間の無駄。
こういう奴らがよく言う言葉がある。
『一般人と我らでは一秒の価値が違うんだ』
そして彼らは二言目には優良種思想がにじみ出た言葉を代議士に向かって浴びせかける。
『大衆に迎合するな』
そういう者が記事を書けばどういう事になるか。
まずは、標的に対し、きっとこいつはこういう奴に違いないという勝手な人物像を創造する。
それに見合う匿名の証人を創造する。
その証人が言いそうな証言を創造する。
こうして、いもしない証人が決定的な発言をして、標的の人格を否定するような記事が完成する。
この中で実際にいるのは標的となる人物だけなのだが、記事を読んだ人は証人は存在すると信じて疑わないから、標的となる人物を勝手に誹謗してくれるようになる。
さらにこの記事を元に別の報道が証人を作ってくれて、その証人に記事通りの事を喋ってもらう。
西国在住のはずなのに東国訛で喋る証言者が出たりするのは御愛嬌。
なぜそこまでするかといえば、報道に身を置く者は優良種だから、劣等種たる一般人に指摘などされてはならないから。
最終的には、陰謀論、下衆の勘ぐり、記事への中傷、営業妨害、そう言って批判を黙らせる――
「どうです? 思い起こしてみたら、色々と思い当たるふしがあるんちゃいますか? そんで、今回の背景が何となく理解できてきたんちゃいますか?」
イカゲソで荒木の方を差して、吉田は缶麦酒をぐびぐびと喉に流し入れた。
「そんなの記事じゃなく小説だ」と猪熊がぼそっと指摘。
そんな猪熊に、吉田は『記事は耳と足で書く』という社内の鉄則を示した。
「これから俺は、どうやってそんな雲の上に行っちゃっているようなおかしな人相手に戦って行けばいいんでしょう?」
そう荒木が吉田にたずねた。
吉田はそんな荒木に、「戦い抜く気はあるのか」と逆にたずねた。
「俺を守って怪我した熱海の小宿の支配人が言ってくれたんです。簡単に報道の誹謗に折れないでくれって。俺の為に戦ってくれた人がいる。それに応えるために俺は戦わなきゃいけないと思うんです」
その荒木の宣言にも近い決意に、猪熊も吉田も息をのんだ。
さらに熱海の小宿の支配人から「日競新聞だけは信頼できるから、手を貸してあげて欲しいと言われた」と報告すると吉田は身を震わせた。
「久々やなあ、この空気。そうなんや。そないに信頼してもらえてるんやったら、期待は裏切られへんねえ。社内の反対意見は俺が黙らせたる。そやから猪熊、お前はこの件を専属で担当せい。どんな些細な情報でも良えから、僕にあげてくるんやで」
そう言った吉田の顔はそれまでの気の良さそうおじさんではなく、敏腕の記者という顔であった。
「そしたら、まずは荒木さんがこれまでで知っている事を、全てわかる範囲で喋ってもらいましょか。あ、極々個人的な事はぼかしてくれて良えですから」
そう吉田に促され、荒木は高校時代に北国に合宿に行ったところから話を始めた。その後職人選手になって伊達町に行ったら安達荘が差し押さえになっていた事、美香と再会して借金を肩代わりした事、再度の美香の失踪、そして二度目の借金の肩代り。
見付球団の顧問弁護士の調査で、どうにも二件共に借金は怪しく、もしかしたら銀行による組織的な犯罪の可能性があるという指摘がされているという話をした。
ここまで聞いた話を手帳にまとめた吉田が、鉛筆で手帳をツンツンと突きながら、人一倍広い額をさすった。
「こら、うちだけやと無理やな。産業日報の山科に言うて、北国のその辺りの裏の情報を貰わんと。何やヤバい臭いがプンプンするわ」
そんな吉田に、現時点で何かわかる事はあるかと猪熊がたずねた。
吉田は何かを喋ろうとして、一旦考え直し、逆に猪熊に今までの話で何を想像したかたずねた。
「何者か、例えば反社の人物が、美香って娘を見て、借金を背負わせて無理やり商品にしようとした。ところがそれを横からかっさらった奴がいた。だからあらゆる手を使ってそいつを潰そうとしている。どうでしょうか?」
今競報新聞たちが書いている記事を参考にするとこんな感じになると思うがどうかと猪熊は吉田にたずねた。
自分が手帳に書いたものと見比べながら、吉田が眉間をぽりぽりと指で掻く。
「まあ、及第点いうとこやな。そやけども、相手の記事を元に大元の話を推測するいう発想は花丸や。敵を知り己を知らな戦には勝てへんのやからな」
これから自分も独自に情報収取するから、猪熊も自分の足と耳で情報を集めろと吉田は指示した。その上で、お互い情報をすり合わせて、精査して、逐次荒木選手に伝えていこうと。
不安そうな顔をする荒木の肩に吉田はそっと手を置いた。
「そういう事ですんで、荒木さんも何かわかり次第うちらに連絡ください。電話番号はその名刺に書いてあるんでね。相談事もその番号にどうぞ」
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