第52話 戦う以外に道は無し
想定している形とは全く違う形ではあったが、荒木は一人別の出口から空港を出る事となった。
他の選手たちのように輸送車にも乗れない。連盟の職員の運転で、普通車で裾野の合宿所へ向かっている。
車内は一言の会話も無い。雰囲気はほぼ護送のそれ。
婆ちゃんは、両親は、姉ちゃんは今頃どうしているだろうか。美香ちゃんはどうしているだろうか。自分の事よりも、その事で頭はいっぱいだった。
息子は職人選手だと父さんも母さんも周囲に話をしていたはず。少なくとも姉ちゃんは周囲に自慢したと言っていた。その息子が、弟が、やくざから女を札束で買った屑野郎だと世間に周知されてしまったのだ。
商店街の皆もさぞかし怒っている事だろう。俺の写真を使った張り紙を貼りまくってくれて、一緒に見付球団を盛り上げようと言ってくれたのに。きっと今頃、張り紙は剥がされてしまっているのだろう。
来年観客動員が減ってしまったらどうしよう。
色々な事がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。
合宿所の裾野市へ向かう途中、連盟の職員に連絡が入り、合宿所も報道に固められていて入れない事が判明。
来た道を少し戻って箱根に向かう事になった。
紅花会という競竜の会派が経営している小宿で車は停車。
連盟の職員が事情を話すと、宿の支配人は少し考えて、こういうのはどうだろうかとちょっとした案を提案した。
宿の支配人に案内された部屋は、いわゆる離れという宿の一番奥の小屋のような建物。本館とは細い廊下一本で繋がっている。部屋用の温泉が付いているという贅沢な部屋となっている。
浴衣に着替えてくつろいでいると先ほどの支配人がお膳を持ってやってきた。
「来週からは伊東の小宿になりますので、何も無いところで退屈でしょうが、それまでゆっくりとここで過ごしてください」
では私はこれでと、退出しようとした支配人に荒木は疑問に思っている事をたずねた。
なぜこんな面倒な事を引き受けてくれたのかという事である。
「せっかくの膳が冷めてしまいますよ。色々と話をする前に、まずはお食事をどうぞ。うちの鯵料理はね、本館の大女将が絶賛してくれた代物なんですよ」
本館というのは紅花旅館会という紅花会傘下の会社の本社の事で、場所は出羽郡の酒田市にあるらしい。
確かに自慢するだけあり料理は大変美味しい。というより、こんなに美味しい鯵を初めて食べた気がする。身が厚く、油が乗っていて、旨味も非常に強い。魚があまり得意ではない荒木でも食べられる代物であった。
思わず無心で食べてしまったが、忘れていた事を思い出したかのように支配人の顔を見た。
支配人は食事をがっつく荒木を見て優しく微笑んでいる。
「久々の瑞穂の食事で、ちょっと夢中になってしまいました。それにしても美味しいですね、これ」
先ほどまでの、この世の終わりのような顔から荒木は少し笑顔を取り戻しており、支配人も少し安堵した。
支配人が淹れたお茶をすする。
「三遠郡の出身のせいですかね。これを飲むと帰って来たっていう気分になるんですよね」
そう言って荒木は喜んだ。そんな屈託の無い笑顔に支配人も心が癒される。
まずはどこから話しましょうかと言って、支配人もお茶を淹れてすすった。
――紅花会は競竜界で現在首位となっている。
だが、少なくとも荒木が生まれた頃は、そんなに勢いのある会派では無かった。
大女将が奮闘しており、自分たち旅館会が会派を支えている、そんな気概を持って旅館を経営していた。
ある時、そんな紅花会に岡部綱一郎という人物が忽然と現れた。
調教師となった岡部師は、会派内の大きな揉め事を次々に解決していき、気が付けば世界を相手に竜を競わせるような、瑞穂競竜の代名詞のような人になった。
ちょうどその頃、旅館会は実は少し停滞を感じていた。大宿はかなりの高評価を得ていたのだが、熱海のような小宿の評価はそこまででは無かった。
当時調教師候補だった岡部師から助言をいただき、改修を施された修善寺の小宿が連日予約でパンパンとなった。それに倣って周辺の小宿も改修が施され、小宿も高評価を得る事になった。
そんな紅花会の救世主、岡部師が、ずっと悩まされていたのが報道機関からの誹謗中傷だった。恩師である奥さんの父親も報道に殺害されている。
今回の荒木選手の記事を読んだ時、我々が口を揃えて言ったのが、あの時の岡部師への誹謗中傷のやり口によく似ているという事だった。
記事を良く読むと、肝心の根拠の部分が『と言われている』『と推測できる』と実に曖昧な表現になっており、全体を通して見れば何の根拠も無いのに、あたかもそれを事実かにように書かれていて、『代表に相応しくない』『職人選手に相応しくない』と結論付けている。
すでに放送ではそれが事実であるかのように出演者が喋ってしまっている。岡部師の時も同じだった。あの時も、何の根拠も無く、そういう疑惑があるとしつこく書きなぐり、暗殺未遂事件まで起こしている。
また岡部師のような犠牲者が出るのか。これを読んだ時に我々はそう言い合った。
しかも、岡部師の時に一貫して先生の味方という態度を貫いた日競新聞が、荒木選手を擁護する記事を書いている。ならば疑う余地は微塵も無い。もし我々の宿に来るような事があったら、全力で報道と戦ってやろうと従業員たちと言い合っていた――
「私たちは誰が何と言おうと、この日競新聞の記事の方を信じますよ。だからもし荒木選手も日競新聞の記者が接触してきたら協力してあげてください。あの人たちはちゃんと取材をして真っ直ぐな記事を書く信用の置ける人たちですよ」
そう言って支配人は人の良さそうな微笑みを荒木に向けた。
そんな支配人に荒木は深々と頭を下げた。
「そこまで言ってもらったのに、俺には何も返せるものが無くて、何だか申し訳なく思います」
白髪頭をこくこくと揺らし、支配人は何かに納得するように頷いた。
「荒木選手。我々はそんな見返りなんて望んでいませんよ。私たちが望むのは、私たちのお客様が私たちの宿で疲れを癒して、戦う気持ちを取り戻してくれる事。だから、簡単に報道の誹謗に折れないでください」
ああいった悪意ある報道には、折れてしまったらそこで戦いは完全敗北。竜杖球の試合と異なり、次の試合なんてものは存在しない。あとはひたすら何もできずにただただ追い詰められていくだけ。
仮にあなたが世を去っても、彼らは未来永劫あなたを悪者にして叩き続ける。そうする事で反論ができなくなるという事を彼らは知っているから。筆によって集団暴行を加えられるという事を心得ているから。
あなたの実績は消され、墓は壊され、親戚もあなたの縁者だとは名乗れなくなる。なんなら竜杖球という球技そのものがこの国からは忌み嫌われるものになるかもしれない。
「今あなたは、そこまで彼らがやるわけがないと思っているかもしれません。自分がいなくなれば、そのうち彼らは忘れるだろうって。はっきり言ってそれは甘いです。もうあなたは、あいつらに後戻りできない道に連れ込まれてしまったんですよ」
支配人の話が終わると部屋はしんと静まり返った。
戦うしかない。
戦って、戦って、戦い抜いて、奴らの手の届かないところにまで上りつめるしかない。
そう覚悟した荒木の目は、篭に球を打ちこむ時の狩人のような目となっていた。
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