第41話 日競の猪熊
荒木たち竜杖球瑞穂代表の初戦が迫っている。
これから半年間、月二回、計十二試合を本戦までに行う事になる。
初戦はウェハリ共和国で、瑞穂で試合が行われる。ただ、そうは言っても次戦から敵地に乗り込んでの戦いとなる。
旅券を発行してもらうため、荒木たちは一旦地元に帰る事になった。
旅券は地元の役所でしか発行してもらえない。その為、荒木は近所の役所に向かったのだが、如何せんこの国の役所は手際が非常に悪い。申請の書類を書いてから、荒木はずいぶんと待たされる事になった。
どれくらいかかるのかと聞いてもわかりませんと返される有様で、家から持ってきた新聞を熟読するしかなかった。
悲しいかな、会見で記者たちが指摘したように見付球団は荒木が抜けてから成績が急落してしまっている。
九月は五戦あるのだが、ここまで三戦して一分二敗。
確かに相手は稲沢球団、幕府球団、小田原球団で、相手が強かったというのもある。だが、稲沢球団にしても、幕府球団にしても主軸選手が二人も代表に取られている。
小田原球団だって高木を代表に取られている。そんな状況で唯一の引き分けが小田原球団、それも両者無得点というのだから目も当てられない。
とにかく三試合でただの一点すら点が取れていない。圧倒的な得点力不足感。
八月の四戦も確か一点しか取れていないはずだから、七戦してわずかに一得点という事になる。そんな悲しい現実が、荒木の口からため息という形で漏れ出てくる。
「当社の新聞をご購入、ありがとうございます」
隣に座った男がそう言って声をかけてきた。
あまりにも突然。
いつからそこに座っていたのかすらわからない。
男は薄い口髭の乗っかった口元を緩めて笑顔を向けてきている。服装は一応背広姿といういうだけでよれよれ。雰囲気は競竜場で買った竜券の番号を叫んでいる親父。
露骨に誰だという顔をして警戒する荒木に、その男は財布を取り出し、名刺を差し出してきた。
名刺に書かれていたのは『日競新聞 猪熊』、新聞記者であった。
「競竜の取材だけが目玉の日競さんが何か御用ですか?」
そう言って荒木は猪熊から顔を反らして新聞を読んでいる風を装った。
日競新聞といえば競竜、世間でそう言われている事くらい猪熊も重々承知はしている。西府にある本社の局長がそもそも一競竜の記者から成り上がった人物なのだから推して知るべしだろう。
だが、世間でそう言われているからといって、改めて言われればムッとするものである。
「ずいぶんとつれないじゃないですか。この間の会見で俺の助け舟が無かったら、あのまま大荒れだったかもしれないってのに」
荒木がちらりと見ると、猪熊は得意満面でこちらを見ていた。
それに関しては、確かに猪熊の言う事は全く持ってその通りだろう。お前しかいない球団と罵詈雑言を浴びせられ、明らかに雰囲気が悪くなったところで、猪熊がその記者を『ちんぴら』と呼んで退室させてくれた。
実際あの時、記者にもこんなまともな人がいるんだなと少し見直した。
ただ、それはそれ、これはこれ。今の時間は限りなく私生活に分類される時間である。そんな時間に記者に粘着されて、気分が良いはずがない。
「その件なら感謝しています。ですけど、文屋に喋る事なんて何もありませんよ」
そう言って荒木はつれない態度を取り続ける。
ただ、そんな荒木の態度を不快には思いながらも、どうせいつもの事と稲熊は慣れた感じでもあった。
「まあ良いでしょう。じゃあこれは俺の独り言って事にしてください。恐らく荒木選手はこのままだと四戦目のアルゴンキン遠征の途中で帰国を余儀なくされるでしょう。もしかしたら選手も続けられなくなるかも」
荒木の方を見ずに猪熊はぼそぼそと呟くように言った。
言った後でわざわざ荒木の方から顔を背けた。
そんな猪熊に荒木は目を見開いて驚きの顔を向ける。
ちらりと荒木を見て、猪熊は鼻を鳴らした。
「荒木選手はあの時、うちら記者を十把一絡げに『知恵足らず』みたいに言いましたけどね、うちら日競は上からああいう取材方法を戒められているんですよ。ちゃんと取材相手と懇意になって情報を聞き出せってね」
だからこうしてこっちの手札をちゃんと見せている。そう言って猪熊はどうだと言わんばかりの顔を向けているのだが、正直そんな事はどうでも良かった。
今のはいったいどういう事なのか?
それを詳しく聞こうとしたところで、窓口に呼ばれてしまった。
旅券発行の一次手続きが終わり、振り返ると猪熊の姿は無かった。
結局肝心な事は聞けず仕舞いかと思いながら車に戻ると、そこで猪熊は待っていたのだった。
「うちの上の方の人たちと呑んだ時に言われたんですよね。聞かれちゃいけない話は、ちゃんと個室でって。それと、聞いた話を記事にする場合は相手とちゃんと相談しろって事も」
相手に嫌がられたら嘘の情報を出されるし、相手の事が理解できなければその情報の真贋の判断がつかない。だからこうして信頼関係を築くところから始めたいのだと猪熊は車の助手席で言ったのだった。
当然車に乗る許可など出してはいない。
「色々聞きたい事はあるんでしょうけど、車を走らせながら話をしましょうや」
猪熊に促されるままに荒木は車を南下、海岸に向かって走らせた。
途中で缶珈琲を購入。
防波堤の北で車を停めると、猪熊は一旦車から降り、ここなら大丈夫かと呟いてまた車に乗り込んだ。
「まずどこから話したら良いですかねえ。色々と喋ってあげたいところですけど、こちらもこれが商売ですからねえ」
そう言うと猪熊はちらりと荒木の方を見た。
明らかに不快という顔をする荒木を、猪熊は鼻で笑う。
「なるほど。こういうの慣れてませんか。こういう時はね、こう言うんですよ。『どんな情報が欲しいんだ?』ってね」
猪熊に促されるままに、荒木は続けて言った。
猪熊の欲しい情報はただ一つ。代表の主将になりそうと内部で言われている人物。もちろん特ダネなんて言って公表したりはしない。単にいくつもの情報源を持っておきたいだけだと猪熊は説明した。
まだ公表はされていないが、今のところは岡田か原、恐らくは原だろうと選手間では言っていると荒木は答えた。ただこれは金田監督がそういう態度を練習で取っているというだけで、実際にはどうなるのかはまだわからない。恐らくは試合の数日前に正式に監督の口から発表されるだろう。
自分はそういう事には疎いのだが、彦野がよくそんな話をしていると。
それを聞くと猪熊は少し意外そうな顔をし、やはり他所から流れて来るのと、実際に聞くのとでは全然違うと言って薄い口髭を人差し指で擦った。
「じゃあこちらも情報を開示しましょう。荒木選手が北国の反社会的勢力と関わりがあるという情報がうちの新聞に流れてきました。それについて何か心当たりはありませんか?」
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