第40話 瑞穂球技放送
『本戦初勝利』
それが金田監督が掲げた目標であった。
目標なのだから、本戦優勝とか言えば良いと思わなくもない。
それを最初に指摘したのは最年少の小早川だった。
すると最年長の岡田がわかってないと言って笑った。
「こういうんはな、非現実的な事を言うてもあんま意味無いねん。頑張ったら手が届くかもしれへんっちゅう目標を提示する事で、ほなら手を伸ばしてみよういう気分になるもんなんや」
代表の人気はすなわちその競技の人気。これは昔から言われている事である。
国際競技大会に向けての合宿はだいたい同じ時期から開始される。野球、蹴球、篭球、闘球など、一斉に合宿を始める。
その為、代表団の取材に訪れる報道の数によって、ある程度現在の競技の人気が推し量れる。
予想していた事ではあったが、裾野の運動場は実に寂しいものであった。
来ている報道といえば、普段から竜杖球に紙面を割いてくれている新聞と球技放送だけ。瑞穂代表だというに一般の観戦者も実にまばら。
連日報道では野球や蹴球の練習風景が報道されている。
選手たちも応援者に取り囲まれ、署名をねだられている。その顔は実に楽しそう。
片やこちらはといえば、署名を求められているのは原と岡田くらい。それも近所のおっちゃんとおばちゃん。
金田監督も非常に機嫌が悪い。
練習の動きを見る限りで、かなり良い人選ができたという手応えがあるのに、聞かれる事といえば先日の人選のゴタゴタの話ばかり。
報道からしたら、球技の結果やら、誰が選ばれたか、そんな事はどうでも良い。はっきり言って何の興味も無い。そういう読者、視聴者が一定数いる事は知っているが、少なくとも自分たちは全く興味がない。
興味があるのは揉めているらしいという醜聞だけ。その方が断然多くの読者に受けると思っている。
そんな中、瑞穂球技放送の取材が裾野市にやってきた。
瑞穂球技放送は国内でも最大の球技専門の放送局である。
当然、野球や蹴球、篭球のような人気球技が放送の軸ではあるのだが、それ以外の放送にも非常に力を入れている。毎日夜の十時から放送される『今日の球技結果』の視聴率は全放送局の中でもかなり上位の視聴率を誇っている。
その『今日の球技結果』の後枠、十一時からの放送が『撮れたて球技!』という番組で、毎日あまり話題になっていない球技を紹介している。
なお、六月、七月は毎年番組が休止し、代わりに『熱闘! 高校球技!』という番組を放送している。
練習が終了し、選手たちがぞろぞろと大宿へ帰っていく。
そんな選手たちに報道は近寄りもしない。今日も仕事が終わったと、つまらなそうな顔をして練習場を離れるだけである。
その選手たちが帰る大宿で瑞穂球技放送の取材陣は待っていた。
別室で対談という形を取りたいので、受付から呼ばれたら待合に来てもらいたいと、恐らく責任者と思しき人がお願いしてきた。
自分たちには関係の無い話と、荒木や川相たちは考えて、二人で喋りながら自分たちの部屋に戻ろうとした。
ところが責任者の人は全員取材させてもらうから順番を待って欲しいと言ってきたのだった。
いつもなら誰かしら誰かの部屋に遊びに向かうのだが、いつ連絡が来るかわからないという事で誰も部屋から出られない。なんとも迷惑な話だと荒木は感じていた。
寝床にごろりと横になる。
電視機を付け、何か面白そうな放送はやっていないかと局を変えていくのだが、どれも興味を惹かれない。
何となく瑞穂球技放送にして、ごろりと仰向けになった。
「本日予定されている球技戦についてご紹介させていただきます。本日の曜日球技は排球です。組み合わせは――」
その少し甘ったるい声にどこか聞き覚えがあるような気がした。
思わず顔だけ電視機に向ける。
化粧で雰囲気がだいぶ変わってはいるが、紛れもない、画面に映っていたのは高校時代に仲の良かった久野史菜であった。
今日の球技が排球という事で、排球の元選手が隣に座っており、史菜が今日の見どころを教えてくださいと話を振った。
その元選手は史菜の事を苗字の久野ではなく『史菜ちゃん』と呼び、親しそうに話をしている。
史菜も「そうなんですね、それは注目ですね」なんて愛想を振りまいている。
確か以前聞いたところでは、史菜が瑞穂球技放送を選んだのは、担当球技を選ばせてもらえるからという理由だったはず。だが、こうして総合司会をしているところを見ると、どうやら放送局は入社したらそんな約束はさっさと反古にしてしまったらしい。
”こういう事っていうのはね、社会に出たらよくある事なのよ”
”社会に出たら普通の事なの”
なぜか広岡が昔言った言葉が思い出された。
自分はまだそこまで理不尽と思うような体験はしてはいない。だが、美香の借金の事を思うと、そういう事というのは多分にあるのだろうという事は十分理解できる。
高校時代の史菜はあんな変な笑顔では無かった。もっと自然な、良く言えば屈託の無い笑顔であった。
だが今の笑顔はどうだ。笑顔の作り方を教わって、それを顔に張り付けたというような気味の悪い笑顔。
きっと史菜も画面から一歩出たら色々と苦労しているのだろう。もう昔の笑顔は忘れてしまっているのかもしれない。そう思うと、史菜がとても遠くに行ってしまったような気分に襲われた。
こんこんと扉を叩く音がする。
誰かとたずねると、音の主は小早川だと答えた。
暇だから遊びに来たんだと。
扉を開けると、腕を頭の後ろで組んだ暇そうな男が立っていた。
「何してんだよ、お前。連絡があるかもしれないから部屋で待機って言われたろ?」
勝手に部屋に入って来た小早川は、勝手に部屋の中の一人掛けの椅子に腰かけた。
しかも勝手に冷蔵庫を開けて果汁水を取り出す始末。
「だって、俺、最初に呼ばれたんすよ。監督の後すぐに。そやから暇で暇で」
そう言って果汁水を飲み始める。
「いや、お前は呼ばれたかもしれないけど、俺はまだ呼ばれていないから!」
そう指摘したのだが、じゃあそれまでと言って居座ってしまった。
どうやらここに来る前に愛甲の部屋に行っていたらしいのだが、愛甲が呼ばれてしまい、追い出されてしまったのだそうだ。
直江津球団の愛甲と南府球団の小早川は、二軍時代同じ昇鯉団に所属していた。
荒木は二軍時代同じ獅子団だった工藤や伊東とはあまり接点が無く、そこまで仲の良い付き合いはできていないのだが、小早川はそうでは無いらしい。
せめて石毛が取り下げになっていなかったら石毛と色々話ができたであろうに。
「おお! 史菜ちゃん出てるやないですか! 俺、この娘が番組に出るようになってから、ずっとこの番組見てるんですよね。小っちゃくて可愛いんですよ。荒木さんも史菜ちゃんが好きなんです?」
その小早川の指摘に、思わず飲んでいる果汁水を噴き出しそうになってしまった。
「たまたま電視機を付けたらその放送だったというだけだ」と言い訳をすると、小早川は再度、「可愛いと思いませんか?」と聞いてきた。
「そうだなあ。まあ、可愛いんじゃないの? ちょっと子供っぽい感じがするけど」
なぜかはわからないが、画面に視線を移せない。
心の奥底で見てはいけないという気持ちにさせられる。
「史菜ちゃんって、本当は竜杖球の放送員だったんですよね。だけど新人の時に中継で出たら、この可愛い見た目が話題になっちゃって。どんどん有名になっちゃって。今はこうして総合司会ですよ。はあ、可愛いなあ」
小早川が凝視するのを見て、荒木もちらりと画面の中の史菜を見る。
気持ちの悪い作り笑顔で、映像に流れた排球の選手の感想を語って、元排球の選手と笑い合っている。
その姿見て強く感じた。俺の知っている史菜はもういないのだという事を。
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