第33話 一人にしないで
貝塚と二人だけとなった荒木は、大丈夫かと何度もたずねた。
幸いな事に、貝塚は酔いがまわって気持ちが悪いというだけで意識ははっきりしている。
居酒屋で水をもらって飲ませ、もう一度嘔吐しにいくと、貝塚は少し調子を取り戻した。
一人で帰れると本人は言うのだが、真っ赤な顔をしていて、どうにもそんな風には見えない。足取りはよたよたとしているし、体が左右にゆらゆらと揺れ続けている。頻繁に生あくびしているし、ふと見ると目を閉じている。放っておいたらその辺で寝そうな感を受ける。
貝塚は見た目が少し幼く見えるので、そんな事になったら取返しのつかない事になりかねない。
結局、何だかんだと世話を焼きながら、吉良駅から電車に乗り隣の一色駅で下車。
そこでまた貝塚は嘔吐し、泣きながら家へと帰った。
そこそこの新しさの集合借家の一室が貝塚の部屋であった。
表札が無いので、本当にそこが貝塚の部屋かどうか不安になったが、鍵で扉が開いたので間違い無いのだろう。
扉の先の光景で、そこが貝塚の部屋だと荒木は強く確信した。
衣類があちこちに散乱し、台所には店のお惣菜の入れ物が所狭しと置かれている。出していないゴミ袋もあり、ふと見ると下着が無造作に落ちている。
「汚……」
苫小牧の男所帯の寮ですらこんな事は無かった。寮母さんはいたのだが、なるべく寮母さんの手を煩わせないようにと皆が心掛けていた。
貝塚を寝床に寝かせ、貝塚が脱ぎ散らかしたものを隅に避け、荒木は床に座った。
ふと見ると、机の上に何枚かの写真立てがある。
そのうちの一つは荒木たちが高校三年の時の合宿最終日に撮った写真。
荒木が写っていない集合写真が二枚あるのは、恐らくは二年生の時と三年生の時のものなのだろう。
その中の一枚は実に懐かしいものであった。
中学生時代、荒木が部を卒業する時に記念にと撮った写真である。
よく見ると、高校の時の写真も、中学の時の写真も、貝塚は荒木の隣に立っている。
そのうちの一枚、荒木が一人で写っている写真がどうにも写りが綺麗だと手に取る。
手に取ったらすぐに気が付いた。
それは見付球団が球場だけで販売している選手の公式写真であった。しかもよく見ると何枚かが重ねられている。
荒木は初戦で怪我をし、しばらく欠場していた。その間新たな公式写真は販売されなかったので、それが複数枚あるという事は、応援をしにわざわざ何度も球場に足を運んだという事になる。
「……先輩、恥ずかしいからあんまり見ないでください」
背後からふにゃふにゃの声で貝塚が言った。
視線を移すと、貝塚は少し照れくさそうな顔をしていた。
いや、もっと他に恥ずかしがらないといけないところがあるだろうと荒木は感じたのだが、ぐっと飲み込んだ。
体調はどうだとたずねると、貝塚は最悪と回答。
「実は私、初めてお酒呑んだんです。お酒ってこんなに気持ちが悪いものなんですね」
それを聞くと、すっと席を立ち、荒木は洗い物が放置された台所へ行き、全てを洗い、コップに水を入れて持って行った。
「とにかく体内の酒を水で薄めろ。もう嘔吐しちゃっているから二日酔いは避けられないかもけど、薄めればかなり楽にはなるはずだから」
貝塚は寝床の上で半身を起こして、荒木のもってきた水をちびちびと飲み始めた。
荒木を見てにかっと笑顔を向ける貝塚に、荒木は呆れ顔をして頭を撫でた。
てへへという声を発して笑う貝塚を、しょうのない奴だと言って荒木は更に呆れた顔で笑った。
水を飲んでいると、貝塚は急に苦しそうな顔をして、コップを机に置いて、便所へ駆けて行き嘔吐。荒木がそんな貝塚の背を優しくさする。
瑞穂皇国の成人は十八歳。お酒もそこで解禁となる。
最初にお酒を呑んだ日の事は今でも覚えている。
呑み方がわからず、大杯の麦酒をぐっと飲み干したのをみて、今日はそれ以上は呑むなと谷松に取り上げられたのだった。後は水だけ飲んで、先輩たちがどんな呑み方をしているかよく観察しろと叱られた。
結局、その日の夜、気持ちが悪くなって今の貝塚のように吐いた。その時、小川が今のようにとにかく水を飲んで酒を薄めろと言ってくれたのだった。
すると、おもむろに貝塚は上半身に着ているものをまくり上げ下着を緩めた。ごそごそとして下着を脱いでしまった。
ちらりと見えた控えめな膨らみに、思わず赤面する荒木。
着ているものを直し、貝塚は立ち上がった。
「あの、先輩、その、お花摘みしたいので、その……」
もじもじとする貝塚に、ごめんと言って荒木は慌てて便所から逃げ出した。
荒木が便所から出ると、今付けていた下着をぽいと放り投げて、貝塚は扉を閉めた。
荒木の目の前に、貝塚の脱ぎたての下着が落ちている。
やれやれと思いながら、荒木はそれを摘まみ上げて、洗濯鞄の中へ放り込んだ。
どうやらこの部屋には洗濯機が無いらしい。恐らくは、大きな洗濯鞄に洗濯物を詰めて、近所の硬貨式の洗濯機に持って行っているのだろう。
洗濯鞄の中に脱ぎ散らかされた下着や服を放り込んでいく。
一応、貝塚にも皺になっていたら恥ずかしいという感覚はあるらしく、そういった物は衣紋掛けに掛けられている。なので落ちているのは基本下着や靴下、そして手拭い。
少しすっきりした顔で出てきた貝塚は、荒木が洗濯物を片付けてくれたと気付き、急に赤面した。
「あの、私、普段はこんなじゃないんですよ。ここのところ部活とかちょっと忙しくて。だから、その……」
水を飲みながら必死に言い訳する貝塚を、荒木はじっとりとした目で見つめる。
「この状態の部屋、俺、前に一回郡山で見てるんだよな」
それがいつの話なのか貝塚もすぐに思い出したらしく、ぐうの音も出ない。
あの時も偶々でと貝塚は非常に苦しい言い訳をしたのだが、荒木の顔は呆れ果てたという表情であった。
「さて、少し落ち着いたみたいだし、俺帰るわ。酔いが完全に冷めるまで水を飲むんだぞ」
そう言って荒木は立ち上がった。
貝塚がちらりと時計を見る。
「先輩はどうやって帰るつもりなんですか? もう電車は終わっちゃいましたよ?」
時計を見て、焦った顔で嘘だろうと荒木が呟く。
この辺りは終電が早いんだと貝塚。
「いやいやいや。駅前で賃走掴まえて帰るから!」
焦って立ち上がる荒木に貝塚は、一色駅ではそんなものは望めないと言い切る。
そこから貝塚は目を少し伏せて口を尖らせた。
「先輩、私今日は一人じゃ心細いです」
せめて朝まで一緒にいて欲しいと言って貝塚は荒木の手を取る。
朝になったら始発に乗って帰れば良いからと。
「久々に会ったんですよ。一緒にお喋りしていきましょうよ。ね? 良いでしょ?」
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