第29話 お客様を呼ぼう
幕府球団戦を観戦した美香は、翌日一日だけ荒木と二人で奥浜名湖に観光に行く事になった。
朝、車で若松家に向かい、一気に引佐町まで北上。竜ヶ岩洞を見学し、その後ゆっくりと南下し都田町へ。有名な豆腐屋で一足早い昼食。その後さらに南下し舘山寺で花公園に入場。
一通り花を見たあとで園内の休憩所で休憩した。
昨日の試合は凄かったねと褒めてくれる美香だったが、荒木の表情は冴えなかった。
何度もどうかしたのとたずねる美香に、実はかくかくしかじかでと試合中に感じた事を話してみた。
「ああ、それね。私も昨日気になってたんだよね。当然の事なんだけど、私と美登里さんは見付球団の応援をするわけじゃない。そうしたらね、周りの人たち、私たちの事睨んでくるのよ。だから何だか応援しづらくって」
あそこは一般席で、どちらの球団の専用の応援席というわけじゃないのに、相手球団の応援を許さないというのはいかがなものかと美香も憤った。そもそも自分たちを睨んで来た人たちは、遠征してきた球団の人たちなのだから、そういう意味でもその態度はおかしいと感じる。
「そうなんだ、そんな雰囲気だったんだ……それは、あんな感じにもなるよね。前回は多賀城遠征だったから、俺ここの球場でやるの初めてだったからさ。何とか気持ち良くうちの球団を応援してもらえるような環境にしたいなあ」
球団に苦情としてあげてもらうのが良いのだろうかと言う荒木に、美香はそんな事しても無駄だと思うと指摘。
「とにかく応援に来てもらえる人を増やさないと駄目だと思うな。こういうのはね、雰囲気作りの問題だと思うから一回来て何か嫌だってなったら次からは来てもらえないと思うの。だからとにかく数を増やさないと」
目に見える対処だけしても駄目。根本原因を突き詰めて、その対処を考えないと意味が無い。そう美香は説明した。
ただ、残念な事に荒木はそこまで頭の出来が良くない。そんな抽象的な話ではどうしたら良いのか全くわからない。とはいえ、美香だって現状がわかるわけじゃないから、それ以上の助言は難しい。
「ねえ、苫小牧の時に入場券貰った事があったじゃない。ああいう事って見付球団ってやってるのかな? もしやってるんなら、雅史君が事情を説明してあちこちに配ったらどうだろう?」
大切な事は一般席の中に見付球団を応援する集団がいる事じゃないかと美香は説明した。
応援席以外にもいつでも見付球団を大手を振って応援できる一角があれば、その周囲に人が集まるのではないか。それが常態化すれば、そこに行けば仲間に会えるとなるかもしれないし、雰囲気が悪いからと一回来ただけで来なくなるという事も無くなるかも。
「雅史君が応援団の中でも有名になれば、その雅史君が入場券を渡して観に来てくれって言えば、そういう人たちがたくさん来てくれるようになるかもよ」
どうかなと少しだけ首を傾け美香はたずねた。
少し紅潮する頬、その瞳、そしてさらりと揺れる髪に、荒木は思わず照れて耳を赤く染める。こくこくと頭を縦に振る。
まずはやれる事からこつこつと。それは美香の母が美香によく言っていた事らしい。
すると美香の表情が急に曇った。行方不明の両親の事を急に思い出したのだろう。
そんな美香の肩に荒木は手を回し、そっと抱き寄せる。美香も手を荒木の胸に添えて身を寄せた。
翌日、さっそく荒木は見付球団の事務所へ足を運んだ。
話からして営業部っぽいと感じた荒木は、まず営業部へ向かった。
ところが、営業部に選手が進んでやってくる事など、まずありえない。職員は驚いてしまい、何があったのかとたずねた。
一通り話を聞いた職員は、部内の応接椅子に座って待つようにと案内。
しばらく待つと部長の相馬が現れた。
相馬も荒木が何でここにいるんだと驚いて、荒木の正面の応接椅子に腰かけた。
何かあったのかとたずねると、そこに職員から事情を聞いて右近課長がやってきた。
話を聞くと相馬部長は腕を組んで悩みだしてしまった。
右近課長も眉を寄せて部長の顔を見ている。
二人の表情から難しい話だという事が荒木にも察せられる。
「うちの部署にも関わりがある話ではあるけれど、広報部が主体になる話かなあ。あと多分経営会議にもかけないといけない案件だから社長も交えないとだろうねえ」
それが相馬の回答であった。
たかが入場券を配って観に来てもらうという話がそこまで大袈裟な話なのかと、正直荒木は驚いてしまった。
相馬は右近に時間があるかとたずね、このまま広報部に行って話をしてみようと言ってくれた。
広報部は比較的選手がよく来る部署ではある。そうではあるのだが、営業部の相馬部長と荒木選手が一緒に来るというのはさすがに想定外すぎたらしい。いったい何の騒ぎだと田口部長が慌てて駆け寄って来た。
相馬が軽く事情を話すと、田口は吉野という課長を呼び、五人で会議室で話をする事になった。
広報部も詳しく話を聞くと二人で顔を見合わせて悩みだしてしまった。
「結論からいえば、できなくはないよ。ただし、一般席ではなく応援席でならば。一般席は極めて困難な話だと思ってもらいたい。一回だけなら何らかの理由を付けてそういった事もできますよ。だけど荒木選手が言ってるのは定期的な話なんでしょ?」
入場券を購入して入場してくれるお客様がそれに不満を持って来なくなってしまう事を広報部は危惧すると田口は述べた。頷いている所をみると相馬も同感らしい。
すると右近が小さく手を挙げた。
「実は私はこの話に賛成なんです。今、出資者様に毎回入場券を配ってるじゃないですか。それってほとんど来てもらえませんよね。で、結局そこは当日券として販売する事になる。だけど売れない。それならいっその事、その部分を一部この話に振ってはどうかって思うんです」
出資者様に配布する入場券はそれなりに良い席で、当日券として売る際もそれなりに高額だから売れ残る。そんな良い席がいつも空いているのは勿体ないと常々考えていたと右近は意見した。
すると自分もやるならそれだと考えていたと相馬も述べた。
「せっかく来てくれた人が、相手の球団の応援団に我が物顔をされて嫌な思いをしたって言ってるんですよ。俺も正直この間の試合で、まだ試合途中なのにぞろぞろと帰られたのは不快でした。だからせめて、自球場でやる時は自球団を応援する人に多く来てもらいたいんですよ」
荒木のその一言に相馬は大いに心を動かされたようで、何度も頷いている。
それが観客の生の意見だというのなら、それは大いに改善の必要があると右近も頷く。
観客からの苦情と言われれば広報部としてはぐうの音も出ない。
「まあ、なんにしても、ここだけの話でじゃあやりましょうとはならんでしょう。社長の意向もあるし、もしやるんだとしても企画部の早川部長にも入ってもらわないとでしょうからね」
それが田口の最終意見であった。
次の経営会議で話題にしてみようと相馬と田口は言ってくれたのだった。
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