第26話 おかしな借金
証文がわからないという美香の発言で広岡の表情はにわかに厳しいものとなった。
童顔の広岡にしては眼光が非常に鋭い。
「美香ちゃん。お父さん、お母さんと借金を別けあって一家離散するところから詳しく経緯を教えてもらえないからしら」
鬼気迫る広岡の表情に美香は少し気圧されながらも、思い出せる限り正確に話していった。
それを若松と荒木が頷きながら無言で聞いている。広岡は途中でいくつかたずねながらも、聞き続けている。
美香の話は荒木も詳しく知らない内容がかなりあった。ただ聞いていて荒木ですら、もしかしてこれは詐欺なのではと感じていた。
話し終えると美香は、眉間に皺をよせ少し辛そうな顔をする。
そんな美香の背を荒木が優しく撫で、温かい珈琲を飲むように促した。
広岡も瞼を伏せ、珈琲を口にする。
「やっぱり何かおかしいわね。もしかして最初から詐欺案件だったりして。でも銀行が関わってるのよね。ううん……そもそもなんでそんな事になってるんだろう?」
腕を組み、首を傾げて広岡が眉をひそめる。
「他の人に言われて球団の弁護士さんに話をしてみたんですけど、もしかしたら銀行員が詐欺の首謀者かもしれないって言ってましたね。銀行員による詐欺って報道されないだけで、結構ある事なんだそうです」
ふむふむと頷いていた広岡だったが、どういうわけか荒木がそれ以上を話さない。どうしたのとたずねる広岡に、荒木はキョロキョロと目を泳がせる。
その荒木の表情で何か色々と察し、広岡の目がじっとりとしたものに変わっていく。こういう反応は教師時代から何も変わっていない。
色々と説明してもらえたのだが、悲しいかな荒木の頭脳ではわからなかったのだ。荒木も自分の頭脳には最初から期待はしておらず、説明を聞くにあたり若松に付いて来てもらった。
そこからは苦笑いしながら若松が説明をした。
銀行員が顧客のお金に手を付けたり、不正な書類を作って詐欺を働くという事案は、昔から話だけはよく聞く。
銀行というのは完全な信用商売であり、そんな自殺行為を行うわけがない。だからそんなのは都市伝説にすぎないとこれまでは宣伝されてきた。
だがそれが事実であるというのは多くの人が薄々感じている事である。
銀行員というのは賢いので、詐欺を行う際、相手がそういった契約の知識が無い事を利用してくる。しかも金を返す先もその銀行で、証文を預かっているのもその銀行。
そのせいで気が付いた時には財産だけ巻き上げられて証拠を隠滅されている事が多い。証拠が無ければ、どんな犯罪も疑惑にすぎなくなってしまう。
疑惑だけでは警察は動いてはくれない。そうとうな証拠を集めて弁護士を一緒に連れて行かないとまず門前払いされてしまう。だからこれまで一部の極々愚かな銀行員の犯した件しか明るみになっていないのだ。
これは実はこの国の統治機構にも問題がある。
この国はいわゆる連邦制を敷いており、連合政府は各国からの供出金によって運営されている。そのため各国の総督の意向の方が総理大臣よりも強く働く。
つまり国家の政府機関である内閣の権力が非常に弱い。
そんな感じであるから、本来国家で最も強い権力機構であるはずの内閣を凌ぐ機構が三つも存在してしまっている。
一つは皇国中央銀行を頂点とする金融機構。
そしてもう一つが連合警察を頂点とする警察機構。
三つ目は紙面によって政治家を失脚させられる報道機関。
そのうちの報道機関は少し前に競竜の協会と揉めて、いくつかの大新聞が倒産するという前代未聞の事態となり、その影響力は著しく低下。
結果的に、今この国では金融と警察が異常に強くなっている。
実は古くからこの二つの機関はお互いに持ちつ持たれつでやってきている。
金融機構は警備の名目で警察に多額の資金を供出しており、一方の警察は銀行の不正や詐欺に目を瞑っている。
ただ、球団の弁護士は、絶望する必要は無いと言ってくれている。
この件によって、球団に所属する選手が結果的に給与を掠め取られてしまっているのだから、その方面から攻める事は可能だろう。しかも一人二人ではなく複数人となればなおさらである。ただし、それには被害者女性の全面協力が必須。
「かなり高額の金銭移籍の勧誘を断って、わざわざ給料の安いうちの球団に留まってくれたのだから、法務部としてはその恩に報いてやるのが男気というものだって酒井部長が言ってたよ」
若松がそう言ってがははと笑い出すと、広岡もやるねえと言って笑い出した。荒木もつられて笑っている。だが、美香の顔だけ笑顔に陰りがある。
広岡は元教師であり、そういう事を見逃さない。美香にどうかしたのとたずねるのだが、美香は「何がですか?」ととぼけた。
恐らく荒木の前では言えないような何かがあると感じた広岡は、それ以上は聞かないであげた。
「じゃあ美香ちゃん、明日にでも球団の事務所に一緒に行こうね。そうだなあ、私の恩人の娘って言っておけば特に問題は無いでしょ」
「はい」と返事し、ありがとうございますと御礼を述べる美香を、荒木は不思議そうな目で見ている。
どうかしたのかと若松にたずねられ、荒木は首を傾げる。
「いやあ、美香ちゃん、そんな何日もこっちにいられるんだなって……」
きょとんとした目で美香が荒木を見る。どうやら何も聞いていないんだと思ったらおかしくなったらしく、クスクスと笑い出した。
「私は元々、雅史君が復帰するからって今度の試合を観に来たの。そうしたら若松さんが、それならうちに泊まりなさいって言ってくれて。それでどうせなら観光もしましょうってなって。だから私、数日前からこちらに泊まらせていただいてるのよ」
目をぱちくりさせる荒木を見て、若松がぷっと噴き出した。
「やあ、荒木、応援団第一号の前で恥ずかしい競技はできないよなあ、ええ?」
かっかっかと若松が豪快に笑い出した。
『応援団第一号』という単語で美香が色々と話してしまっているという事が容易に察せられる。
荒木は笑顔そのものなのだが、その口元がヒクヒクとひくついている。
「み、美香ちゃん、俺頑張るからさ、俺の雄姿、目に焼き付けていってよ!」
得意気な顔で言う荒木に、美香はにこりと微笑んで「うん」と可愛く答えた。
机を挟んで反対に座る広岡が冷めた目で荒木を見て「暑苦しい」とぼそっと呟いた。
美香にもそれは聞こえただろうが、微笑みを消さなかった。だが、荒木はまたもや口元をひくつかせる。
その光景に、若松は笑いを堪えるので必死であった。
こうしてその日は若松家、美香、荒木の五人で外食して、荒木は自宅に帰った。
自宅に一人帰る車の中で荒木は思わず思っている事が口から洩れた。
「くそっ、広岡先生さえいなければ、今頃美香ちゃんと二人で!」
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