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第25話 若松家の客人

 先発選手が関根から発表になると、荒木は頬を膨らませて不貞腐れた。

 守衛が八重樫、後衛が若松、杉浦、中盤が栗山、広沢、ファン・デル・レー、先鋒が尾花。前回の稲沢球団戦と同じ布陣なのだが、荒木としてはせっかくの復帰戦は先発で出たかったのだ。


「気持ちはわかるよ。少なくとも俺はな。だけどここは監督の意向に従うしかねえわな」


 そう言って若松が荒木の腰をパンパン叩いて笑い出した。

 何の話かとたずねる杉浦に、若松はさすがにそれは言えないと言ってさらに笑い出した。


 口をへの字にして荒木は不貞腐れている。何かあったのかとたずねる広沢に、荒木は何でもないと誤魔化したのだった。



 ――話は練習復帰の翌日に遡る。


 荒木は突然若松の呼び出しを受けた。

 若松から呼び出しと言えば、その相手は広岡先生に決まっている。

 これを無視すると後が怖い。

 ……と若松に泣き落としされた。


 車で若松家に向かい、到着を知らせると、玄関がかちゃりと開いた。

 広岡ではなく若松が立っている。その足下から双葉が裸足で飛び出してきて荒木の足に抱きついた。

 荒木も心得たもので、ここに来る前に双葉用にお菓子を買ってきている。もちろん広岡に対するご機嫌取りだ。


 裸足で出てくるとお母さんに怒られちゃうよと言って荒木は双葉を抱っこし、買ってきたお菓子を渡す。

 若松はもう慣れたもので双葉の足を洗う準備をしている。双葉を荒木から貰うと若松は、居間で待っているから先に行っていてくれと指示した。


 この時点で、何かはわからないが妙な違和感を感じていた。

 言われるがままに居間に行くと、目の前に信じられない光景が広がっていた。


 広岡の前に若い女性が座っている。

 その女性は荒木を見ると、小刻みに震え出し、唇を噛んで涙を目から溢れさせた。

 ゆらりと座布団から立ち上がり、よたよたという足取りで近寄って来る。

 荒木の顔を両手で挟み、ぽろぽろと涙を零し、その顔を荒木の胸に当てて泣き出した。両手は離すまいと荒木の背に回している。


 広岡がじっとこちらを見ている。

 その目はどこか蔑むような感じで、手にしたお煎餅をポリポリと食べながら無言で顎だけを動かしている。


「美香ちゃん、どうしてここに?」


 美香の背に手を回した荒木の口から、やっと出てきた言葉がそれであった。


「だって……怪我したって情報があって……なのに全然連絡無いから……」


 しまったという顔をした荒木を広岡は見逃さなかった。わざわざ荒木に聞こえるように、わざとらしく「はあ」とため息をつく。

 その音に荒木はビクリとしてしまった。


 美香がそんな荒木の顔を覗き込む。


「ごめんなさい……迷惑だったかな?」


 潤んだ瞳で見上げる美香の顔が、荒木の心臓の鼓動を意志とは関係なく早まらせる。

 ここで目を反らしたら、そこで色々と終わってしまう。それだけを荒木は強く感じていた。

 じっと美香の目を見つめ続ける荒木。


「迷惑なんて事があるわけないじゃん。嬉しいよ、心配して会いに来てくれて」


 荒木の言葉に美香は顔を赤らめ、荒木の胸に顔を埋めた。

 「よく言うよ」という広岡の冷たい指摘が飛んできたが、荒木は聞こえないふりをした。


 すると玄関の方から「くちゅん」という双葉の可愛いくしゃみが聞こえてきた。

 どうやら若松がこちらを邪魔しないように玄関で双葉を押さえてくれているらしい。


 そこでやっとさっきの違和感の正体に気が付いた。

 玄関にどう考えても広岡の物とは思えない可愛い靴が置かれていたという事に。


 荒木は美香の背をぽんぽんと叩いた。


「立ち話もなんだから、座ってゆっくりお話ししよっか」


 荒木の優しい声に、美香が静かにうなずく。

 座っていた座布団に再度座るように促した時に、広岡の顔がちらりと見えた。

 相変わらずの蔑むような視線。正直このまま耐え続けられる自信がない。


 やっと終わったという顔をして、若松と双葉が居間に入って来た。


 そこからはまず、広岡による状況説明から始まった。

 そもそもこの話の発端は、北国の土井さんが広岡に荒木が大活躍だったという世間話をしてきた事から始まっている。

 その後で、実は荒木は怪我で退場しており、またしばらく出場できないという話になった。しかも広岡は若松から荒木の食事の件を聞いており、それも土井に話してしまった。

 すると土井は誰か食事管理してくれる人がいれば良いのにと言い出したのだった。

 二人の脳裏に美香が思い浮かばれる。


 それから半月後、土井から再度連絡があり、美香のところに連絡が来ていないらしいが、荒木はそんなに重症なのかと問い合わせてきた。

 広岡は若松から川根温泉で復帰に向けて調整中という話は聞いていた。ただ、その際、管理栄養士が女性であるという話も聞いてしまった。

 これは絶対にいかがわしい話があるに違いないと若松を問い詰めた。


 実際には管理栄養士の女性は三十代前半ではあるものの既婚であり、広岡の思ったような事は無かった。

 ……無かったと思われる。

 だが、それを置いておくとしても、美香に連絡を入れていないというのは、自分との約束を破られたように感じ広岡は激怒した。


 その数日後、またも土井から連絡があり、美香がそっちに行きたいと言っているので面倒を見てやって欲しいとお願いして来たのだった。

 こうして若松家に美香がやって来た。


 広岡は若松に荒木を呼んで来るように言う傍らで、美香を観光に連れて行き色々な話をした。

 思っていた以上に美香がほっとかれていると感じた広岡は、若松への圧を強め、若松が頼むから来てくれと泣き落とししたという経緯である。



 ただ、広岡が荒木を呼べと言ったのは美香に会わせる以外にも目的があった。

 実は以前から広岡も美香の借金については多方面から話を聞いている。詳細までは聞いていないのだが、その話の中の二度目の借金の話がどうにも腑に落ちなかった。

 広岡も法律についてそこまで知識があるわけではない。だがそうはいっても、少ない知識ながらも、二度目の借金の話がおかしい事くらいは何となくわかる。

 さらにその件で美香が一部選手の間で密かに悪女呼ばわりされているらしいという話を若松から聞いており、いったいどうなっているのか話を聞きたいと考えたのだった。


 広岡からその話を聞き、荒木もこれまで自分が聞いてきた話を広岡に話した。

 球団の法務部からは、極めて怪しげではあるが、美香の借金の証文を見ないと何とも言えないと言われてしまっている。荒木としてもその証文を見た事が無いため、そこで話が止まってしまっていると言うしかなかった。


 すると美香の表情がにわかに曇った。

 それは広岡と荒木だけじゃなく、双葉を膝に乗せている若松も気が付いた。

 そんな美香の口からとんでもない言葉が飛び出して来たのだった。


「あの……『ショウモン』って何ですか? 私、銀行の人にこれだけの借金があるから払うようにって言われただけで、そんな紙見た事無いですけど」

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