第24話 入門体験
復帰に向けた荒木の食事練習は順調に続いている。
普通なら一月はかかる怪我だが、そこはやはり若い職人選手、三週目には早くも医師の診断で激しく無ければ体を動かし始めて良いという許可が出た。
そこで神部は荒木を見付市の北、磐田市敷地にある近藤道場という古武術の道場へと連れて行った。
神部の話によれば、海外の事例にはなってしまうが、今の荒木と同じように相手選手に怪我を負わされ続けたハーシュハイザーという選手が、剣術を学んだ事で怪我から無縁になったという逸話があるらしい。
神部から話を聞いた道場主の近藤先生は、そういう事であれば杖術を学ぶと良いだろうとニコニコ笑いながら提案した。
だが近藤はかなり線が細く、お世辞にも武道家には見えない。近藤もそんな雰囲気を感じ取ったのだろう。奥から練習用の刃を落とした刀を持って来て神部に渡し、これで斬りかかって来いと言い出した。
近藤の方は腰の丈程度の単なる棒を手にしている。
刃が落としてあると言っても神部は鉄の刀、かたや近藤は木の棒。
初めて手にした真剣に神部は心躍ったのだが、恥ずかしい事にまず鞘から刀が抜けない。不器用ながらもなんとか抜刀し、時代劇なんかの見様見真似で近藤に刀を向けてみる。
すると近藤から遠慮せずにかかって来いと言われてしまった。
それでも躊躇う神部を近藤が煽った。
「そなたのようなド素人の攻撃なぞ当たりはせぬよ。せいぜい勢い余って自分が怪我せんようにな」
かっかっかと笑う近藤に、神部もカチンとなり、ならばと刀を振り抜いた。
刀は近藤の頭上に振り下ろされたはずであった。ところがどういうわけか、そこに近藤はいなかった。いつの間にか体半分横にズレている。
再度刀を振り下ろすのだが、結果は同様であった。
ならばと刀を突き入れると、近藤はそれを木の棒で横に弾き、棒をくるりと半回転させ、勢い余って突っ込んで来る神部の腹の前で構えた。
自分から棒に腹を突かれにいく形となり、刀を落とし悶絶する神部。
すまぬすまぬと言って棒で神部の肩をぽんぽんと軽く叩く近藤。
「これが杖術の世界だよ。見てもらったようにそこまで力はいらん。相手の攻撃に対しての反らし方だけ身に付ければそれで良いのだから」
その日は入門体験だけという事にして、近藤から古武術とはこういうものという事を教わった。
杖術だけを学んでも面白くないだろうからと、刀の抜刀から、槍、薙刀の使い方、苦無の投げ方なんかも教えてもらった。
いくつになっても男の子はわんぱく坊主の心を失ってはいない。気が付いたら二人は次は何を教えてもらえるのかと、心躍らせていたのだった。
初日の入門体験を終え、近藤は二人に、古武術と言ってもそこまで堅苦しいものでは無かっただろうと声をかけた。
少年のように輝いた目、晴れやかな顔、それが返答であっただろう。
明日からよろしくお願いしますと二人は丁寧に頭を下げた。
開幕戦の多賀城球団戦を二対〇で勝利した見付球団であったが、早くも次戦の稲沢球団戦に敗北、次いで幕府球団戦に大敗、小田原球団戦にも敗北。月が替わって直江津球団戦にも敗北。
一勝四敗で六球団中六位。気が付いたらいつもの定位置に落ち着いてしまっていたのだった。
状況打開の為に、関根監督は二軍から新たに一人選手を昇格させた。
本当は二人昇格させたかったのだが、それだけは勘弁してくれと日野監督に泣き落としされてしまったらしく、一人だけとなった。
その効果があってか、続く多賀城球団戦には引き分けた。だがその後の稲沢球団戦には敗北してしまった。
こうして、荒木の復帰戦がやってきたのだった。
一か月半ぶりに練習場に向かうと真っ先に一人の人物が駆けつけて来た。
菌類のようなふわふわした髪をたなびかせ、相変わらず爽やかな顔で男は荒木の名を叫んだ。
「おお! 栗山! 先週の試合見たよ! 相変わらずお前、守備範囲が広いなあ」
ニコニコと笑顔を絶やさない栗山の肩に荒木は手を回す。
そんな気さくな荒木に、栗山は怪我はもう良いのかとたずねた。
「もう治ってたんだけどさ、もう少しだけ杖術を身に着けてからの方が良いって言われちゃってね」
荒木はそう言うのだが、実は一軍に上がって来てすぐに広沢から聞いてしまっている。荒木が食事指導で少し復帰が長引くという事を。
言われてみれば栗山も寮で荒木が肉や魚を食べているのを見た記憶が無い。呑み会を思い出しても、やたらと枝豆や芋を食べていたのを思い出す。
荒木の食事を広沢たちは『病院食』と呼んでいたと言って大笑いした。
「食事指導されたって聞きましたけど、その後はどうです? 食べる物って変わりました?」
栗山としてはちょっと話を振った程度の気持ちであった。
ところが、荒木の顔が露骨に沈んだ。
「最悪だよ。なんであんな臓物を食べなきゃいけないんだよ。肝臓はぼそぼそしてて気持ち悪いし、胃だか腸だかはぐにゅぐにゅしてていつまで噛めば良いかわかんないしさ……」
特に甲斐郡の郷土料理と言われて出された鳥もつ煮は本当に苦痛だったと顔をしかめる。にんにくと生姜と醤油という味付けは悪くないけど、食感が最悪だと荒木は泣きそうな顔になった。
「で、どうしたんです? 我慢して食べてるんですか?」
普通の職人選手なら全然嫌がる食べ物ではないからなあと思いながら栗山はたずねた。すると荒木は冗談じゃないと憤った。
「こんなの毎日食べろと言われたら気が滅入るって言ってやったんだよ。そうしたら管理栄養士さんが色々と調べてくれてな。最近俺、毎食田作りの佃煮食べてんだよ。ちょっと苦味があってさ、美味しいんだ」
最近婆ちゃんは田作りを胡桃と一緒に煮てくれるんだと嬉しそうに言う荒木に、栗山は愛想笑いで返した。
栗山からしたら、田作りなんて食材、おせち料理以外では聞いた事が無い。そんなものが一年中食べられると知れた事の方が驚きであった。
「じゃあ、これで今日から試合に出れるんですね。獅子団の時もそうでしたけど、荒木さんがいれば得点の匂いがしてきますからね。期待してますよ」
栗山はそう言って目を輝かせるのだが、荒木の顔はそこまで嬉しそうでは無い。
「関根の爺さんは過保護だからなあ。日野のおっさんと一緒で、また後半だけとか前半だけとかって使われ方されるんだろうな。俺は通して出てたいのにさ」
今年まだ七戦して一勝しかできていない見付球団としては、もちろん荒木を通しで使いたいであろう。
それも確実に集客が見込める幕府球団戦なのだからなおさらであろう。
「ここは出られるようになった事を喜びましょうよ。それに過保護って、それだけ大切にされてるって事でしょ。羨ましい限りじゃないですか」
栗山が目を細め微笑みを向けると、荒木は鼻の頭を掻いて照れくさがった。
するとそんな二人を見つけて、広沢が駆け寄って来て、さらに若松と杉浦も駆け寄って来た。尾花、八重樫、ヘラルトもやってくる。
気が付けば選手たちが全員集まって来たのだった。
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