第23話 肉を食え!
検査の結果、胸骨の骨折が判明。
元々胸骨には金具が付いており、それが圧迫を受けて骨折してしまったらしい。医師は他にも何やかやと言っていたが、ざっくりと要約するとそんな感じらしい。
「骨折だそうです。胸骨の何とかってとこが折れてしまったんだそうで、全治は一月くらいだそうです。ただ、固定ができないのでもしかしたらそれ以上にかかるかもって」
民宿に帰って報告をすると、関根監督はぎろりと荒木を睨んだ。隣には指導者の神部もいる。
「あのなあ、荒木。報告をする時にだ、『何とかってとこ』じゃ、何にもわからないじゃねえか! この馬鹿たれが! そもそも俺は、無理をするなと中休憩の時に言っただろうが!」
普段全く怒らず、にこにこと笑顔を絶やさない関根が机を激しく叩いて激怒した。
「あの、無理はしてませんよ。向こうの外国人に竜杖で突かれて、その時の角度が悪くてこうなったというだけで。それは、医者も不運だったって言ってました」
必死に説明する荒木に、関根は目を細めて無言であった。
その程度で骨が折れるなんて栄養が足りてないのではと神部が指摘すると、関根の視線はさらに厳しいものとなった。普段どんな食生活をしているんだという話になり、さらには荒木の食の好みの話へと話題は移った。
「好物は粉吹芋ですね。小判揚げも好きです。あと、ふろふき大根とか。人参と大根のおなますも好きです。里芋の煮っ転がしとかも……」
関根と神部は顔から表情を消し、無の表情で目だけを瞬かせる。
神部が一言、「渋っ」と言っただけだった。
そんな二人の反応に、荒木は顔を強張らせ、額から汗を一筋垂らす。
「お前は職人選手を何だと思ってるんだ! この馬鹿もんが! 毎日牛乳を飲め! 小魚を食べろ! 肉も毎日食え! 食べるのも練習の一環なんだよ! そんなもんは常識なんだよ!」
顔を真っ赤にして、額に太い筋を何本も浮かべて激怒する関根を、隣の神部が血圧が上がっちゃいますよと宥める。
神部もここまで荒木とそれなりに接している。
思い起こせば、北国の温泉での療養でも、荒木が食堂で注文するのは老人の献立かと思うような渋い物ばかりであった。患部が骨という事で、朝は牛乳を飲むようにとその時は指導した。だがそれ以降の事はわからない。
当時も渋々という感じであったので、恐らくはすぐに飲むのを止めてしまったのだろう。
さらに思い起こせば、薩摩合宿で何度か酒席を共にしたが、その時も荒木は甘藷の甘露煮が旨いと言ってそればかり食べていた。違うものも食べているかと思えばせいぜい野菜のかき揚げか枝豆。肉や魚を食べている印象が無い。
肉や魚は苦手かとたずねる神部に荒木はそんな事は無いが、芋の方が好きと嬉しそうに回答。
その態度に関根がさらに額に血管を浮かべる。
二軍の寮の食事はどうなっているのかと関根がたずねると、神部も顔を引きつらせて首を傾げた。
「日高の寮は大皿で用意されてて、それを自分で好きに取る形でした。俺が好きな物は他の人があまり手を付けないから好運でしたよ」
この期に及んであっけらかんと言う荒木に、関根はもはや怒る気力も失せてしまった。
そんな雰囲気を察して、すぐに改善するように指示しますと神部は大慌てであった。
「荒木。見付に帰ったらお前に管理栄養士を付けてやる。朝と昼は必ずその方の指示された物を食え。後生だから夕飯は勘弁してやろう。良いな!」
渋々返事をする荒木を見て、関根は瞼を半分閉じ鼻から息を漏らす。
「荒木。お前がそこそこの選手なら、俺はこんな事は言わないよ。こんなに怒りもしない。お前は将来の瑞穂代表になれると俺は思っている。そんなお前がそんないい加減な食生活をしているからこんな事を言うんだよ」
諭すように言う関根に、荒木はかなりバツの悪そうな顔でありがとうございますと素直に礼を述べ頭を下げた。
その素直な態度に関根はいつもの好々爺のような穏やかな表情に戻った。
関根もそれなりの年齢である。なんなら同年代には荒木くらいの年齢の孫がいる人も多い。なんとなく自分の孫のように感じたのだろう。
「神部君、申し訳ないがまた復帰までの世話を頼むよ」
承知しましたと言って荒木を見る神部の顔は、やんちゃ坊主の息子に手を焼く父親のような呆れ顔であった。
見付に戻った荒木は、翌日から復帰に向けて神部と二人で合宿に行く事になった。
場所は大井川上流の川根温泉。
今回は体力作りより食事矯正が主目的である。そこで管理栄養士と共に医師も同伴している。
話によると、神部は北国に来る前にも医師に復帰についてよく相談していたらしい。今回は医師も静養がてら川根温泉に来てくれるという事で、まずは会議から始まった。
職人選手に怪我は付きものである。かくいう神部も現役時代は幾度も怪我に泣かされて来た。特に右手の小指は度重なる骨折でうまく曲がらない。
そんな神部だけに荒木の気持ちはよくわかっている。早く復帰したいのだろうが、焦れば復帰が遅くなるだけである。
「今日からこの固定具を付けて生活してもらう。これで傷み自体が和らぐはずだ。だが激しく体は動かせない。そこでこの川根で山道を歩いてもらう。それと! 食事な! 嫌いでも何でも食べてもらうからな!」
先ほどから荒木の顔を管理栄養士の女性がじっと見つめている。何か言いたげな顔をしては諦めるという事を繰り返している。
そんな管理栄養士が意を決して口を開いた。
「荒木さん、本当にあんな食生活してたんですか? いえね、普通の人なら健康的って言うかもしれませんけど、荒木さんは職人選手ですよ? 食事の話なんてごく当たり前に知っている事だと思ってましたよ」
ため息交じりに言う管理栄養士を、神部がまあまあと宥める。わからない事は一から教えていけば良い話だと言って。自分にとっての常識が、実際はそうではないというのはよくある話だとまで言った。
体質的に食べられない物が無いと聞いた管理栄養士は、であれば、ここにいる間は三食全てこちらで決めさせていただくと鼻息を荒くした。まずは手始めに昼食を食べに行こうと。
管理栄養士が厨房に注文したものは、およそ荒木だったら絶対に注文しないものばかり。
じっくりと焼かれた牛肉、上には溶けた乾酪がかけられている。付け合わせに茹でたほうれん草が添えられている。さらに温泉卵。
見た瞬間に医師と神部は旨そうだと顔をほころばせた。復帰飯が初回からこれなんて幸せな人だとまで言っている。だが、荒木の顔は引きつっている。
「いやいや荒木、これは職人選手ならごく普通だぞ? これが嫌とか、お前、修行僧じゃないんだからさあ」
神部に苦言を呈され、荒木は嫌々肉に箸をつけた。
そんなになのかと管理栄養士まで驚いてしまった。
これは明日からの献立は本気で考えないと、荒木がすぐに食事を元に戻しかねないと管理栄養士は深く考え込んだのだった。
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