第19話 合宿終了
南府球団に勝利した事で関根監督には得るものがかなりあったらしい。
続く西国岡山球団、北国稚内球団に立て続けに勝利。
尾花、荒木の二枚を先鋒に投入した事で、関根すら予想だにしていない効果があった。
それまで見付球団の評価は若松、杉浦、青木の三人による守備の堅さに定評があるというものであった。中盤の広沢も守備的な選手だったため、昨年の見付球団はさらに守備力が増強された。
その一方で、攻撃面は全二十四球団で最低という評価であった。実際、昨年の総得点数は断トツの最下位。
とにかく点が取れない。
色々と情報分析もされているのだが、皆が挙げるのが圧倒的な守備時間の長さ。
それが近三戦の見付球団は生まれ変わったかのように攻撃と防御の均衡が良くなった。今年の見付球団は良いところまで行くかもしれないという声もちらほらと聞こえてきている。
こうして、練習試合の最終戦、合宿の締め括りとして、南国の雄台北球団と対戦する事となった。
最終戦という事もあり、そろそろ両球団ともに選手が固定し始めている。
関根が発表した先発は、守衛が八重樫、後衛が若松、杉浦、中盤が広沢、ファン・デル・レー、先鋒が荒木、尾花。
中盤二人という戦術が徐々に馴染み始め、当初は攻守が噛み合わずに前の三人と後ろの三人で大きく距離が開くという事が頻繁にあった。それが徐々に徐々に改善されている。
最終戦では六人が綺麗に連携し、前半で二点を先取。後半荒木が下がって大杉が入り、その二点を守り通して勝利した。
合宿最終日、一軒の居酒屋を借り切って打ち上げが行われた。
どうやら近所の居酒屋では隣町で合宿している太宰府球団が打ち上げを行っているらしい。打ち上げ会場に向かう電車の中で偶然乗り合わせる事になった。
太宰府球団には荒木が知っている人が幾人かいる。
しかも、太宰府球団は荒木に金銭移籍の交渉をしてきた球団である。何で来てくれなかったんだと、鴻野、安部、石毛から散々に言われる事になった。
広沢もそこに混ざり、電車の中は大賑わいであった。
ただ酒だからどれだけ呑んでも良いと球団の事務員さんが言ってくれて、最初から酒を呑む早さが早かった。そのせいで、全員あっという間に酔っぱらった。
酔っぱらうと他の球団では羽目を外し過ぎて暴れる人が出るものなのだが、見付球団はそういう事が無く、ただただ口が軽くなる。
選手だけならまだしも、事務員や指導者まで口が軽くなる。絶対に喋ってはいけないような事を平気で喋ってしまう事になりがちである。
最初に大きな流れの口火を切ったのはなんと八重樫であった。
八重樫は、鬼瓦のようなごつごつした顔つきをしているため、喧嘩とお酒が強そうな印象を受ける。だが実はどちらもからっきしだったりする。そして人情家で涙もろい。
この日も荒木の隣に座り、友人の借金を契約金で肩代わりするなんて、なかなかできる事じゃないと褒め称えた。
だが、その事を知っているのは、自分以外にはここには二人しかいないはずである。少なくともその事を八重樫が知っているはずがない。
涙を流す鬼瓦を他所に、荒木はじっとりとした目で斜め前の席に座る広沢を見た。
荒木と目が合い、広沢はそっと目を反らし、酒杯を持って席を移動しようとする。するとそれを、どこに行く気だと若松が制した。
「酷いじゃないですか! その事は俺のごくごく個人的な話だって広沢さんだって知ってるでしょうに」
そう言って荒木が咎めると、若松と渋井が同時に笑い出した。
「何言ってるんだよ荒木、お前俺たちから金借りてるの忘れたのか? 俺たちだって何も知らずに金を貸すわけないだろ! もうお前のその件は全員知ってると思って観念しろ」
美香の二度目の借金を返すためにお金を借りた相手が目の前の人たちだという事を、荒木は今の今まで忘れていた。
美しい話だと言って隣の鬼瓦が再度涙を零す。
「くぅ、失敗した……移籍してれば借金踏み倒せたかもしれないのに」
その荒木の一言に周囲は一斉に笑い出した。
そんな事させないと杉浦が指摘し、移籍したら賠償請求だったと尾花が冷静に指摘、そして最後の若松の一言が最悪であった。
「まあ、仮にだ、お前が金銭移籍して、この話を取りまとめた俺の顔を潰したとしよう。俺は良いよ。そんな小さな事で怒るような真似はしないさ。ただ、うちの嫁は何て言うかなあ」
どうやら若松の妻が荒木の学生時代の顧問だという事もすっかり知られているらしい。若松の一言で会場がどっと笑いに包まれた。
「危なかった、本当に危なかった。気の迷いで他の球団に心動かされなくて本当に良かった……」
そう言って酒杯をくっと傾けた荒木を皆が一斉に笑った。
酒杯を机に置いた荒木は、皆の顔を見渡し、本当にこの球団に留まって良かったと実感した。
面白くて、温かい、それでいてどこか人情がある。
その一員として迎え入れられた事に喜びを感じる。
昨年最下位の球団だけど、ろくにお金も無い球団だけど、それでも帰る家のような温もりがある。きっとこの温もりは観客にも届くはず。きっと観客も、この見付球団を自宅の一つだと思って応援しに来てくれるようになるはず。
そんな事を思いながら荒木は芋焼酎の水割りを作っていた。
するとそんな荒木を後ろから抱きしめる人物がいた。
「ホイ! アラーキ、サン!」
茶色のふさふさした腕毛、ごつごつした大きな手、そして独特の体臭。ヘラルトだった。
これまで何度か飲み会で一緒になったが、初めて積極的に話しかけられた。
まだあまり瑞穂語を覚えておらず、通訳越しではあるのだが、どうやら先ほどの話を誰かから詳しく聞いたらしい。あんたは男気がある的な事をしきりに言っているらしい。
だいぶ飲んだから勘弁してあげてと通訳の人が言ってきた。
「へらると! だんくう!」
以前、通訳の人に咄嗟で使えるバターフ語の単語をいくつか学んでいた。その一つが本当に通じるものなのか荒木は試しに言ってみた。
発音はもろに瑞穂語のそれである。
ただでさえ大きな二重の目をヘラルトは更に大きく見開き、荒木の顔をじっと見つめる。
すると、ヘラルトの瞳が突然潤んだ。荒木に抱きついたまま、何やら早口でごにょごにょ言っている。
通訳の人は何を言っているのかがわかっている。そのせいで通訳の人も少し瞳を潤ませている。
「ここは瑞穂だから、瑞穂に馴染まないとってここまで必死にやってきたけど、それが、バターフ語で御礼を言ってもらえるとは思わなかったって感動しているみたいよ」
それを聞いた若松が、御礼は『だんくう』と言うのかと通訳にたずねた。さらに広沢が『だんくう』と何度か口にし、さらに八重樫も口にする。
皆が自分を見ながら笑顔で『だんくう』と言うのを見て、ヘラルトは本格的に泣き出してしまったのだった。
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